衆楽園(旧津山藩別邸庭園)しゅうらくえん(きゅうつやまはんべっていていえん)

JR津山駅の北2kmにある衆楽園は、津山藩2代藩主、森 長継(ながつぐ)が江戸時代初期の明暦年間(1655~1658年)*に築いた池泉回遊式の大名庭園である。藩の接待などに使われ、「御対面所」とも呼ばれていた。その後、森氏に代わって入封した松平氏に引き継がれ、幕末に至るまで、主として藩の別邸の庭園として使用された。1870(明治3)年に「衆楽園」と命名され一般公開された。
 現在は築造時に設けられていた菜園などが廃止され、3分の1ほどの広さになっており、往時の景観を再現するために余芳閣・迎賓館・清涼軒・風月軒などが建っている。南北に長い池に大小4つの島を配した構成は、京都の仙洞御所*に類似すると、しばしば指摘される。江戸時代初期の大名庭園の面影をよく残しており、2002(平成14)年に「旧津山藩別邸庭園(衆楽園)」として国の名勝に指定された。無料で一般開放されており、市民や観光客に親しまれている。
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みどころ

南北に長い敷地の大半を池が占める。池には4つの中島が直線状に並んでおり、北から2番目の「中島」と最も南にある「紅葉島」に架かる橋により、大きく3つの水面に分けられる。北の池は北岸と東岸から築山が迫り、水面の東に寄せて「霧島」という中島があり、深みのある景を造り出している。これに対し、中央から南にかけての水面は広々として、海を思わせる雄大な景観になっている。余芳閣と迎賓館からは、奥行きのある風景の背後に中国山地の山並みを望むことができる。
 北から引き込んでいる小川と曲水のゆるやかな曲線が風景に変化を与えており、周囲の石組とともに、よいアクセントになっている。とくに、北東にある全長210mの曲水は、細長い敷地を南へ深く下り、築山の麓を回って北へと折り返しており、微妙な高低差をどのようにつけているのか興味がわく。現在も、津山出身の俳人、西東三鬼を顕彰する催しなどで、曲水の宴*が開かれる。由緒ある大名庭園が無料開放され、桜、睡蓮、紅葉、雪景色といった季節ごとの美しさを気軽に楽しめるのはよいものだ。
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補足情報

*1700 (元禄13) 年に完成した岡山市の後楽園よりも先に完成している。
*仙洞御所:退位(譲位)した天皇の御所。京都の仙洞御所は京都御所の南東、豊臣秀吉が築いた京都新城の跡に、1627(寛永4)年、後水尾上皇のために造営された。庭園は初め小堀遠州によって築庭されたものを、のちに後水尾上皇の意向により大きく改造している。1867(慶応3)年以降、隣接する大宮御所に組み入れられて皇室の京都における邸宅として整備され、天皇・皇后の行幸啓の際の滞在施設として使用されている。
*曲水の宴:小川のある庭園などで、流れの縁に出席者が座り、上流から流れてくる盃が自分の前を通り過ぎる前に詩歌を詠み、杯を手に取って酒を飲んでから杯を次へ流すという古来の遊び。宮中や貴族の屋敷で旧暦3月3日に行われた。
関連リンク 津山市(WEBサイト)
参考文献 津山市(WEBサイト)
岡山観光WEB(公益社団法人岡山県観光連盟)(WEBサイト)
「岡山県の歴史散歩」山川出版社
文化遺産オンライン(文化庁)(WEBサイト)

2024年10月現在

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