山口県の最高峰寂地山(標高1,337m)の山麓にある峡谷で、宇佐川上流の3.5kmにわたる犬戻峡(いぬもどしきょう)と、下流合流点から北西1kmにわたる竜ヶ岳峡からなる。犬戻峡には犬戻し18滝と呼ばれるさまざまな滝があるが、険しい個所もあり、散策、ハイキングには向かない。竜ヶ岳峡は5つの滝(龍尾、登龍、白龍、龍門、龍頭)を中心とし...
長門峡*は山口市の北東部から萩市南東部をまたいで流れる阿武川を中心とした溪谷。北から流れる阿武川と南から流れる篠目川が合流する「道の駅長門峡」近くの丁字川出合淵から、下流の竜宮淵までの約5kmには遊歩道がありみどころとなっている。この渓谷は火山活動で生成された火山岩(流紋岩、安山岩)や凝灰岩などからなり、北西方向から侵...
秋吉台は、山口県の西北部にある標高200~400mの石灰岩高原。日本最大のカルスト*1景観地として知られている。総面積130km2のカルスト台地のうち、45.02km2が国定公園に指定され、さらにそのうちの主要部が特別天然記念物として保護されている。ゆるやかな曲線をみせる広大な高原には、灰白色の石灰岩が無数に露出点...
景清洞*は、秋芳洞の北、約13kmにあり、猪出台(ししいでだい)の西麓に開穴する。本洞の延長が約1.5kmの水平貫通洞*、南へ2.5kmほどのところには大正洞*もある。天井が低く、横幅の広い洞内は、洞床流があるため石筍ができず、みどころが上層部に集中しているのが特徴である。このため、洞内は比較的平らで、歩道もよく整備されている。...
仙崎の先端からわずか100mばかり離れた日本海上に横たわり、仙崎とは青海大橋で結ばれている。島は、ほぼ中央でくびれ、標高300m内外の山地*が大部分を占め、平地はほとんどない。しかし、南部は傾斜がゆるやかで、古くから漁業を営む大日比(おおひび)・通(かよい)などの小集落が散在している。北部は日本海の荒波の浸食によって生じた...
JR山陽本線下関駅から海岸沿いに北東へ約3km、関門海峡大橋の手前にある。壇ノ浦の戦い*に敗れ、二位ノ尼に抱かれ8歳で入水した安徳天皇を祀る神社。安徳天皇*はこの地にあった阿弥陀寺境内に埋葬され、1191( 建久2)年には、朝廷の命によって御陵上に御影堂を建立し勅願寺とした。この阿弥陀寺が、明治政府による神仏分離政策によって赤...
JR山陰本線東萩駅から東へ約2kmの道のり、松陰神社の東、東光寺山の麓に寺域が広がっている。萩藩*1の三代藩主毛利吉就が1691(元禄4)年に建立した寺で、萩市街の西にある大照院と並んで毛利氏の菩提寺である。江戸中期の最盛期には堂塔40棟、僧侶80人を数えたというが、明治維新には寺禄を失い、往時の隆盛はない。しかし、黄檗(おうばく...
JR山陽新幹線・山陽本線新下関駅から南東へ約1.5kmのところにある。伝承では、神功皇后が朝鮮出兵の帰途に神託により、現在地に「荒魂(あらみたま)」を祀ったのが始まりとされ、同様の神意で大阪の住吉大社も祀られたと伝えられている。また、同社は、927(延長5)年に成立した法制書の「延喜式神名帳」では「住吉(に)坐(す)荒御魂神社...
JR山陽本線防府駅から北へ1.5kmほどのところにある。同天満宮の縁起では、菅原道真*1が筑紫大宰府への左遷の途中、周防国司で同族の土師氏*2のところに立ち寄ったという因縁を伝え、903(延喜3)年、道真が志半ばで大宰府において亡くなったことを知った国司土師信貞が904(延喜4)年に創建*3したとされていることから、日本最古の天満宮...
常栄寺*1はJR山口線山口駅から北東に約3.5kmの道のりのところにある。もともとは、大内政弘*2の別邸で、のちに母妙喜尼の菩提のために寺とし、寺号を妙喜寺とした。当地の支配者の交代に伴い、合寺を重ね寺号も変遷し、1863(文久3)年には毛利氏の菩提寺であった常栄寺と合寺し、明治期に入り常栄寺と号するようになった。 庭園は本堂...
JR山口線山口駅から北へ道のり約2kmの香山公園内にある。1442(嘉吉2)年、足利義満に敗れ戦死した大内義弘*1の菩提を弔うために、弟の盛見が当時この地にあった香積寺(こうしゃくじ)*2境内に建立したもの。大内氏の盛時を偲ばせる室町中期の優れた建築物である。なお、瑠璃光寺*3は、香積寺が毛利輝元*4の萩入りとともに萩へ五重塔を...
萩市街の北西端に位置する指月山(しづきやま)*1の麓にある。萩藩祖である毛利輝元*2は、豊臣政権下では中国地方で約112万石を領していたが、関ヶ原の戦で西軍に加わり周防・長門2カ国約36万石に減封となり、本拠地も広島から萩に移されたため、輝元は萩城を1604(慶長9)年に着工し、4年をかけて築城した。以後13代*3を重ね、1863(文久...
JR山陽本線岩国駅から西に約5km、錦帯橋を渡った錦川西岸に吉香公園はある。岩国を支配した吉川氏*1の居館跡はすでに明治期に公園化されていたが、その後、同公園内にあった岩国高校が1968(昭和43)年に移転したため、これも合わせて都市公園とした。 園内には、錦雲閣*2、岩国徴古館*3、花菖蒲園、旧目加田家住宅*4、香川家長屋門、...
JR山陽本線柳井駅の北方500m。中世・近世を通じ、瀬戸内海の舟運の中心として栄えた、港町・市場町の柳井津。船着場であった柳井川沿いに古市・金屋の町筋がのびる。この町筋は柳井津のなかでも最も古くから開けたところで、そのため敷地割は室町時代そのままに生かされ、約200mの通りには江戸中期建築の約40棟の町家が軒を連ねる。藩政時代...
萩の城下町は、日本海に向って流れる阿武川の下流が二手にわかれて(東が松本川、西側が橋本川)できた三角州にある。1604(慶長9)年に萩藩*1の本拠地として毛利輝元*2は、三角州の北西部で日本海に突き出している指月山を背に萩城を築き、三角州に向かって城下町を整備した。 現在、世界文化遺産「明治日本の産業革命遺産」の構成資産...
長府の歴史は古く、日本書紀など記紀の神代の巻に、仲哀天皇が神功皇后とともに「熊襲」制圧の際、仮宮として穴門(長門)豊浦宮(とよらのみや)*1を置いた地として記されている。さらに7世紀の中ごろ、長門国の国府がこの地に設置され長府と称されるようになった。国府のあった場所は不詳ではあるが、現在の忌宮神社*2付近ではないかとさ...
JR山陽本線防府駅から北東に2.5km、多々良山麓の高台にある。萩(長州)藩の旧藩主毛利家*の旧本邸で、1916(大正5)年に建設*され、現在は毛利博物館、毛利氏庭園として一般に公開されている。国の名勝指定を受けている面積は庭園部分が約8万4,000m2、邸宅の敷地部分が約4,000m2に及ぶ。広大な敷地のなかに、南側に...
JR山陽本線岩国駅の西約5km、JR山陽新幹線新岩国駅からも錦川沿いに約5km、錦川の清流に架かる5連の木造アーチ橋が錦帯橋*である。岩国城や吉川家の館がある横山と町方の中心である錦見をつないでいた。5連橋のうち、両端は柱橋、中央部の3連がアーチ橋で、圧力が加わると橋の強度が増すという構造になっている。 この橋は、1673(延宝元...
現在の山口県庁に隣接して建つ山口県旧県庁舎と旧県会議事堂の2棟を、1985(昭和60)年に県政資料館として開館した。建物は明治期の建築界の巨匠といわれる妻木頼黄(つまきよりなか)*の指導のもと設計され、いずれも煉瓦造2階建で1913(大正2)年に起工し1916(大正5)年に完工した。後期ルネッサンスシズムを主体に、細部意匠に日本の伝...
御神幸祭は防府天満宮の大祭。903年(延喜3)年、菅原道真*が左遷された太宰府の地で没してから、約100年後の1004(寛弘元)年に、一条天皇より菅原道真に深い所縁のある当天満宮に勅使*が遣わされ、「無実」を知らせ、御霊を慰める神祭事である勅使降祭が斎行されたのが始まりとされる。 御神幸祭は9月上旬の大・小行司お籤上げ神事に...
赤間神宮のもっとも重要な神事と祭事。安徳天皇の命日、旧暦の3月24日に平家生き残りの官女が、安徳天皇の陵に詣でたのが始まりといわれ、江戸時代*には、海の要衝として栄えた下関の遊女たちがそれを引き継ぎ参拝したことから、現在の祭りのクライマックスとなる上臈行列につながったという。現在は、毎年5月2日から3日間、「しものせき海...
写真提供:ときわ公園
宇部市街の東(JR宇部線宇部新川駅から東へ約4km)にある常盤湖*1を中心とした100万m2に及ぶ広大な都市公園。この公園は1925年(大正14年)に宇部市常盤公園として開設された。入江や岬が入り組んだ常盤湖は松林に囲まれ、主として、湖畔の南側に公園施設が集まる。 ここには、ときわ遊園地*2、ときわミュージアム(UBEビエ...
岩国寿司は、岩国市を中心に食べられている「押しずし」*1の一種。その形状や調理法から「角ずし」*2とも呼ばれ、伝承されている由来*3から「殿様寿司」とも称される。調理法は、1970(昭和45)年発行の岩国市史の「角ずし」の項によると、「五升なり一斗くらいの飯をたき、これを酢できかせる。大きい長方形の折の底に、蓮の葉などをしき...
日本人はフグを古くから食していたといわれ、約2万年前の旧石器時代、あるいは縄文時代の遺跡からもフグ科の骨が見つかっているという。その後、農耕の開始により、魚介類への依存が下がったところから、広汎に広がることはなかったとみられている。ただ、庶民の間では食べ続けられていたとみられ、豊臣秀吉が朝鮮出兵した際の本陣は、肥前名...
写真提供:元祖瓦そば たかせ
「瓦そば」は熱した瓦の上に茶そば、錦糸卵、牛肉などをのせ、小ネギ、海苔、輪切りのレモンともみじおろしが添えられて提供されることが多く、麺つゆにつけて食す。「瓦そば」が生まれたのは、JR山陽本線下関駅から北へ23kmの道のりのところにある川棚温泉*である。1962(昭和37)に、現在は「瓦そば」の専門店となった「たかせ」は、当時...
松下村塾は、JR山陰本線東萩駅から南東へ約1.4kmの道のりの松陰神社境内の中央にある。吉田松陰(よしだしょういん)*1の父の弟である玉木文之進が、この地より約600m東にある自宅に私塾を開いたのが起こりで、松陰が幕末・明治維新の人材を育てたところとして名高い。 松陰がこの塾を継いだのは、実家杉家において幽囚の身であった1857...
JR山陰本線支線仙崎駅からまっすぐ北に向うみすゞ通りを約400mのところに記念館はある。金子みすゞ*は日本の童謡の隆盛期だった大正後期から昭和初期にかけて彗星のごとく現れた童謡詩人。20歳のころから雑誌『童話』『婦人倶楽部』『金の船』などに投稿を続け、詩人・作詞家の西條八十に「若き童謡詩人の中の巨星」と評価された。26歳で夭...
毎年2月第3日曜日に開催*される。古くから農家が共同の採草地から良質の草を得るための農林事業として行われてきた。この山焼きの起こりは不詳だが、農業神の三宝荒神の祭事にも関係していたと言われ、かつては採草の入会権を有する集落ごとに火入れ*が行われていたという。現在は、景観保全と自然保護を目的としつつ、合わせて観光行事と...
写真提供:山口市ふるさとまつり実行委員会
毎年8月6日、7日の2日間にわたり開催される。開催場所はJR山口駅から駅前通りを約150m、山口地方裁判所前から一の坂川を渡った早間田交差点付近までの約500mとそれに直交する中心商店街700mと一の坂川交通交流広場がメイン会場である。その沿道や広場一杯に長竹竿一本に40個の小さな赤い提灯が付けられた「ちょうちん笹飾り」が所狭しと並...
写真提供:下関市豊北総合支所
角島大橋は山口県北西部の豊北町、中国自動車道下関ICから北へ約50km、JR山陰本線特牛(こっとい)駅からバスで25分にある。豊北町の北西約1.5kmに位置する角島*と本土を結ぶ、延長1,780m、幅員6.5m、2車線の橋で、1993(平成5)年に着工、1999(平成11)年に竣工し、2000(平成12)年に開通した。周辺海域の環境保全に配慮しながら、日本...
関門海峡をくぐるトンネルは、玄界灘側の鉄道トンネル、瀬戸内海側の新幹線用の新関門トンネル、その間の瀬戸内海寄りにある国道トンネルの3本がある。 鉄道トンネルは世界で最初の海底トンネル*1で、日本においてはじめて圧気シールド工法*2を本格的に採用した海底掘削トンネルである。1936(昭和11)に着工し、下り線が1942(昭和17)...
JR山陽本線防府駅から北東に約2km、防府平野の北端に建ち、741(天平13)年聖武天皇の勅願によって諸国に建てられた国分寺のひとつ。周防国分寺の創建は不詳だが、756(天平勝宝)年よりはさかのぼるとされている。西北約900mのところには国府跡があり、西側には周防国分尼寺があったと見られる。寺域は200m四方あったとみられ、発掘調査の結...
北長門海岸国定公園の東端。須佐湾の東、標高532.8mの高山(こうやま)*が日本海に突き出した西麓に縞模様がくっきりとした須佐ホルンフェルスと呼ばれる海食崖がある。JR山陰本線須佐駅から北へ約4kmの道のり。 須佐ホルンフェルスは、海底に堆積した須佐層群(砂泥互層)に対し、約1,500万年前に高温の火成岩体[高山(こうやま)斑れ...
JR山陽本線下関駅から東へ2.4km、関門海峡に面してある魚市場*。ふぐの市場として知られているが、タイやハマチ等魚介類が豊富に取引されている。カマボコなどの水産加工品、農産物の直売所などもあり、「総合食料品センター」としての役割も果たしている。営業時間は平日と土曜日は5時から15時で、早朝の5時までは卸売販売が行われ、それ以...
JR山陰本線萩駅から西へ約1kmに位置する臨済宗南禅寺派の寺院。萩藩7代*1にわたる藩主夫妻が墓地に眠ることで名高い。 1651(慶安4)年に亡くなった萩藩初代藩主毛利秀就(ひでなり)*2は、当時歓喜寺*3と呼ばれていた当寺に葬られた。2代藩主綱広(つなひろ)は父の菩提を弔うため寺の改築を始め、1656(明暦2)年に完工。亡き父の法...
本州山口県下関市と九州福岡県北九州市の間に位置する。日本海側の響灘と、瀬戸内海や周防灘を結ぶ海峡で、古くから海上交通の要衝であり、重要な航路であった。 歴史的にも、壇ノ浦の戦いで安徳天皇が入水した地、また巌流島での宮本武蔵・佐々木小次郎の決闘の場でもある。 両側にある海域で生じる潮位差により、急潮流や複雑な潮汐...