山口七夕ちょうちんまつり
毎年8月6日、7日の2日間にわたり開催される。開催場所はJR山口駅から駅前通りを約150m、山口地方裁判所前から一の坂川を渡った早間田交差点付近までの約500mとそれに直交する中心商店街700mと一の坂川交通交流広場がメイン会場である。その沿道や広場一杯に長竹竿一本に40個の小さな赤い提灯が付けられた「ちょうちん笹飾り」が所狭しと並べられ、一の坂川交通交流広場にはクリスマスツリーのようなちょうちんツリーも立てられる。一の坂川沿いには人の背丈ほどの竹竿に20個の提灯が付けられた「ミニちょうちんツリー」も設置される。
また、「つながる大殿七夕ちょうちん」と称して、中心商店街東端から中世に当地を治めていた大内氏の館跡の近くにある八坂神社までの堅小路約600mには、家々の軒先に「ちょうちん笹飾り」が飾られる。さらに山口市が誇る歓楽街である湯田温泉においても「ミニちょうちんツリー」が飾られる。なお、「ちょうちん笹飾り」「ちょうちんツリー」「ミニちょうちんツリー」の点灯はともに18時30分から21時30分まで。七夕ちょうちんまつり開催中の2日間には、ダンスパフォーマンス「DANCE WAVE やまぐち MINAKOIのんた」も催される。
この祭りの由来*1については、室町時代中期に大内氏の領国支配を固めた大内盛見*2が先祖供養で笹竹の高燈篭に火を灯したことに始まると伝わり、こうした伝承は、山口市民の「大内文化」を創生した大内氏に対する敬慕の念から生まれたものだろう。また、2024(令和6)年度にはコロナ禍で長らく休止していたちょうちん御輿・山笠が6年ぶりの復活巡行を果たした。
また、「つながる大殿七夕ちょうちん」と称して、中心商店街東端から中世に当地を治めていた大内氏の館跡の近くにある八坂神社までの堅小路約600mには、家々の軒先に「ちょうちん笹飾り」が飾られる。さらに山口市が誇る歓楽街である湯田温泉においても「ミニちょうちんツリー」が飾られる。なお、「ちょうちん笹飾り」「ちょうちんツリー」「ミニちょうちんツリー」の点灯はともに18時30分から21時30分まで。七夕ちょうちんまつり開催中の2日間には、ダンスパフォーマンス「DANCE WAVE やまぐち MINAKOIのんた」も催される。
この祭りの由来*1については、室町時代中期に大内氏の領国支配を固めた大内盛見*2が先祖供養で笹竹の高燈篭に火を灯したことに始まると伝わり、こうした伝承は、山口市民の「大内文化」を創生した大内氏に対する敬慕の念から生まれたものだろう。また、2024(令和6)年度にはコロナ禍で長らく休止していたちょうちん御輿・山笠が6年ぶりの復活巡行を果たした。

みどころ
中心街のアーケードで、長竹竿1本に40個の赤い提灯にろうそくの火が灯され、それが何本も延々と続き、まさに数万個の赤い提灯のトンネル状態となる。提灯の中の灯は、ろうそくなので、ゆらゆらとした光の揺らぎもあり、幻想的な光景といえよう。道筋によっては、背丈ほどのミニちょうちんツリーもあって、家族連れや観光客が願いを込めた短冊を飾り付けることができる。ゆっくりとそぞろ歩きをして、光のページェントを楽しみたい。心身を湧き立たせたいという向きにはダンスパフォーマンス「DANCE WAVE やまぐち MINAKOIのんた」を覗いてみるのもよいだろう。
なお、以前は行われていた、ちょうちん山笠、ちょうちん御輿の巡行は行われていない(2023年現在)。
なお、以前は行われていた、ちょうちん山笠、ちょうちん御輿の巡行は行われていない(2023年現在)。

補足情報
*1 由来:大内氏の先祖供養については、盛見が氏内の権力を掌握したあと、氏神・氏寺であった興隆寺(現・山口市)で執り行った記録がある。一般的に七夕や盆行事などの民間信仰とも習合した「提灯を多用する祭祀」の誕生は蝋燭・提灯の庶民への普及と相関しており、竿燈やねぶたなども江戸時代中期以降と推定されている。天保年間の地誌「防長風土注進案」にも現在のように提灯を多用した「まつり」の記載は確認できず、もっとも古い記録としては、江戸末期、1865(慶応2)年の笠間藩士加藤有隣の日記「榊陰年譜」だとされている。陰暦が廃された明治期後半には、開催日を新暦の8月7日に移し、七夕祭として定着していったと思われるものの、大正期に入ると一旦低迷期に入り、昭和初期には商工会の主導でテコ入れがなされた。第2次世界大戦中は、一旦中断となったが、1950(昭和25)年から商工会議所の音頭で再開された。その後、実施形態は変化しつつも山口市における一大観光行事として継承されている。
*2 大内盛見:1377(永和3/天授3)~1431(永享3)年。弘世の子、義弘の弟。周防、長門、豊前の守護に任命された。儒学・詩文に精通し、五山の禅僧との交流など、山口おける文化的寄与も大きい。
*2 大内盛見:1377(永和3/天授3)~1431(永享3)年。弘世の子、義弘の弟。周防、長門、豊前の守護に任命された。儒学・詩文に精通し、五山の禅僧との交流など、山口おける文化的寄与も大きい。
2025年03月現在
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