岩国寿司
岩国寿司は、岩国市を中心に食べられている「押しずし」*1の一種。その形状や調理法から「角ずし」*2とも呼ばれ、伝承されている由来*3から「殿様寿司」とも称される。調理法は、1970(昭和45)年発行の岩国市史の「角ずし」の項によると、「五升なり一斗くらいの飯をたき、これを酢できかせる。大きい長方形の折の底に、蓮の葉などをしき、それに酢飯を置く。その平らになった飯の上に具として、しいたけ・ごぼう・にんじん・デンプ・赤い寒天・(錦糸)卵・白身の魚を置く、さらに青味として春菊・ほうれん草をのせ、しきりをして上へ積んでいく」としている。大きなものを作る時には、調理人が押し蓋の上に乗り、押し固めることもあるという。また、具にはここで示されているもの以外でも、岩国周辺で江戸時代から栽培されている、もっちりとした粘りとシャキシャキ感が特徴の「岩国レンコン」を酢漬けにし、輪切りにして載せることも多い。
一度に多くの人に供すことができるので、江戸時代から祝い膳などとして重宝されていたという。家庭などで作られる際は、大きな折のかわりに弁当箱や牛乳パックなどで代用し簡便に調理することもある。
現在、岩国寿司は、岩国市内、とくに錦帯橋周辺の食事処や旅館などで提供されており、持ち帰り用も販売されている。
一度に多くの人に供すことができるので、江戸時代から祝い膳などとして重宝されていたという。家庭などで作られる際は、大きな折のかわりに弁当箱や牛乳パックなどで代用し簡便に調理することもある。
現在、岩国寿司は、岩国市内、とくに錦帯橋周辺の食事処や旅館などで提供されており、持ち帰り用も販売されている。

みどころ
とにもかくにも彩りが豊かな寿司である。その形状もきちんと四角に収められており、見た目も美しい。具材には酢漬けにしたれんこん、甘辛く味付けした椎茸、アナゴ、錦糸卵、デンブ、青みに春菊などの季節の野菜が添えられ、ぎゅっと詰められた酢飯によく調和し、多彩な味が楽しめる。

補足情報
*1 押しずし:すしは淡水魚の保存法として作られた発酵ずしのなれずしが初源といわれている。奈良時代以前からあったという滋賀県の鮒ずしなどがその事例だ。室町時代には、発酵期間を短くし、発酵した米飯と魚を一緒に食べる生成(ナマナレ)ずしが生まれた。この発酵期間をさらに短くするため、江戸初期までには酢が使われるようになり、江戸中期までには発酵させることなく、酸味として酢を利用した早ずしへ進化した。生成ずしから早ずしへの過程で、箱ずしともいわれる押しずしが誕生したという。さらにこれが握りずしやちらしずしに分化していくことになる。これについて天保年間(1831~1845年)の百科事典「守貞謾稿」にも「三都(京都・大坂・江戸)共押鮓ナリシガ、江戸ハイツ比(ごろ)ヨリ歟(か)押タル筥(はこ)鮓廃シ、握リ鮓ノミトナル。筥鮓ノ廃セシハ五六十年以来漸クニ廃スト也」とあり、江戸では握りずしに移行し、押しずしの系統が京都、大阪に残存したことを指摘している。
*2 角ずし:箱ずしの形式はその形状から角ずしと呼ばれ、岩国寿司も地元では角ずしとも呼ばれており、広島、島根、長崎(大村)など全国各地でその名が残され現在も食されている。
*3 由来:諸説あるが、岩国初代藩主吉川広家に献上する際、山城だったため、運搬しやすいように考案されたというのが、一般的な伝承になっている。このため、「殿様寿司」とも呼ばれる。
*2 角ずし:箱ずしの形式はその形状から角ずしと呼ばれ、岩国寿司も地元では角ずしとも呼ばれており、広島、島根、長崎(大村)など全国各地でその名が残され現在も食されている。
*3 由来:諸説あるが、岩国初代藩主吉川広家に献上する際、山城だったため、運搬しやすいように考案されたというのが、一般的な伝承になっている。このため、「殿様寿司」とも呼ばれる。
関連リンク | 一般社団法人岩国市観光協会(WEBサイト) |
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参考文献 |
一般社団法人岩国市観光協会(WEBサイト) 農林水産省「うちの郷土料理 岩国寿司」(WEBサイト) 岩国市史編纂委員会編「岩国市史 上」1970年 470/594 国立国会図書館デジタルコレクション やまぐちの農林水産物需要拡大協議会「やまぐちの農林水産物 岩国れんこん」(WEBサイト) 赤野裕文「寿司の変遷と酢の力」日本食生活学会誌 第31巻第4号 2021年 |
2025年03月現在
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