常栄寺(雪舟庭)じょうえいじ(せっしゅうてい)

常栄寺*1はJR山口線山口駅から北東に約3.5kmの道のりのところにある。もともとは、大内政弘*2の別邸で、のちに母妙喜尼の菩提のために寺とし、寺号を妙喜寺とした。当地の支配者の交代に伴い、合寺を重ね寺号も変遷し、1863(文久3)年には毛利氏の菩提寺であった常栄寺と合寺し、明治期に入り常栄寺と号するようになった。
 庭園は本堂の北面にあり、文明年間(1469~87)、政弘が雪舟*3に命じて築かせたといわれる池泉回遊式庭園である。三方を林で囲まれた3,000mの庭の中央に心字池を掘り、手前は枯山水、後方の山の斜面には枯滝が設けてある。水と石を主体にした作庭で、とくに枯山水の石組は、堅い岩の直線を強調している。また、本堂南面には、昭和期の代表的な作庭家である重森三玲が1968(昭和43)年に築庭した枯山水の南溟庭もある。
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みどころ

典型的な禅宗(臨済宗)の伽藍の本堂から北面を眺めると、雪舟庭が広がる。緑あふれる林を背景に、まさに水墨画を体現したような簡素ながら、豪放な印象の庭である。石組は鋭角的、直線的で雪舟の力強い筆法を彷彿とさせる。まずは、本堂の縁に坐り、じっくり鑑賞したいもの。また、池を中心として、林の中を一巡りでき、見る高さ、位置を変えて庭を鑑賞できるようになっているのも楽しい。庭の北東部の林の中にはモリアオガエルの生息地である小さな四明池が佇み、さらに山中に入れば、弘法大師堂、薬師如来堂、毘沙門堂をめぐることもできる。
 本堂の南側の縁に回ると、そこには重森三玲築庭の南溟庭がある。ここではX字状に有機的に配された石の静的な景観に対し、苔に覆われた築山によって庭に動きを与えているところを楽しみたい。
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補足情報

*1 常栄寺:現在の寺号となっている常栄寺は1563(永禄6)年、毛利元就が父隆元の菩提のため、安芸国吉田の郡山城内(現・広島県安芸高田市)に建立したのが創始。その後、毛利家の転封に伴い、移転、合寺、寺号変更が繰り返され、常栄寺の寺号を失った時期もあった。1863(文久3)年に毛利敬親によって毛利家が萩から山口へ本拠を移転したのに際し、常栄寺は現在地にあった大内氏の菩提寺「妙喜寺」と毛利隆元の夫人の菩提寺「妙寿寺」が合寺して寺号を「妙寿寺」としていた寺と、さらに合寺し明治期に入って常栄寺の寺号に復した。
*2 大内政弘:1446(文安3)~1495(明応4)年。周防・長門両国ほかの守護。1467(応仁元)年の応仁の乱では山名持豊方として上京し、西軍の有力武将となった。「大内家壁書」に収める法令の大半を政弘の時に制定した。また、文化面でも業績を遺しており、とくに和歌・連歌では知られ「新撰菟玖波集」などには作品が多数収録される。また、雪舟を厚く庇護した。
*3 雪舟:1420(応永27)~1506(永正3)年。室町時代の画僧で日本水墨画の大成者。京都相国寺に入り、禅僧の修行と同時に絵を学ぶ。大内氏の庇護のもとにしばしば山口に滞在し、1467(応仁元)年明に渡る。後半生は山口天花(てんげ)のアトリエ雲谷庵に居住し、1506(永正3)年に入寂したといわれる。(諸説あり)
関連リンク 常栄寺(WEBサイト)
参考文献 常栄寺(WEBサイト)
常栄寺雪舟庭パンフレット
山川出版社「山川 日本史小辞典」
文化庁「国指定文化財等データベース 常栄寺庭園」(WEBサイト)

2025年03月現在

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