景清洞
景清洞*は、秋芳洞の北、約13kmにあり、猪出台(ししいでだい)の西麓に開穴する。本洞の延長が約1.5kmの水平貫通洞*、南へ2.5kmほどのところには大正洞*もある。天井が低く、横幅の広い洞内は、洞床流があるため石筍ができず、みどころが上層部に集中しているのが特徴である。このため、洞内は比較的平らで、歩道もよく整備されている。メロン天井・サンゴ天井・かすり天井などがそのおもなもので、ほかに大理石や化石が浮き出た壁面も特異な景観であり、支洞も随所に見られる。入洞は約700mの観光コース(所要40分ほど)と、その先の400mにも入る探検コース(観光コースと合わせ所要60分ほど)がある。ともに有料で探検コースではヘルメット・ヘッドライト・長靴の貸出しもある。また、大正洞と合わせた入洞共通券も用意されている。

みどころ
景清洞は、洞内は比較的平坦で、約700mの観光コースの歩道はバリアフリーに対応し車椅子でも利用できる珍しい鍾乳洞である。観光コースのほとんどが洞内を流れる川に沿っており、常に聞こえる水音が心地よい。平板な鍾乳洞なので石筍などはあまり見られないが、歩道も歩きやすいので、石灰岩と水が作り出す自然の造形をゆっくりと楽しむことができる。さらにその先の400mの探検コースでは、照明が設備されていないので真っ暗な闇の中をキャップランプの明かりをたよりに進むことになる。多少、天井が低い所もあり、まさに洞穴探検気分を味わえる。団体の場合は希望すればガイドを付けてくれる。

補足情報
*景清洞:洞穴名の由来は、古くは長生穴、赤の穴とも呼ばれていたといわれる。景清洞の名は、江戸後期の萩(長州)藩の地誌「防長風土注進案」によると「是に平家の落人暫く亂をさけしとなん、爰を以景淸穴と唱う」としており、落ち武者伝説に由来するという。この景清は平家の武将大庭景宗の子を指すという。また、「防長風土注進案」では洞内の様子を「天井にハ露巌鍾乳氷柱の如く垂下り、下には岩石亂峙、獅子の如く、虎の如く、鶴の仰向ことく、鷺の啄むがごとく、佛の座する如く、太鼓石とて打は鳴あり、塔の如く輪の如く水落て瀧なすものあり、水溜る所もあり」などと詳細に記述している。
*水平貫通洞:洞内を流れる川によって猪出台の下を通って北麓の「三角田(みすまだ)洞」までつながっている。ただし通常時は、上流側の一部が水没し、通り抜けはできない。
*大正洞:本洞の延長が約1km、竪穴が連絡している複層的な洞穴。鐘乳石、石筍に富んでいる。かつては戦乱などの際、洞の一部に牛を隠したとされ、牛隠し洞とも呼ばれていた。本格的な洞内調査が行われ、全容が解かったのが大正時代だったことからこの名が付けられた。見学の所要は40分ほど。
*水平貫通洞:洞内を流れる川によって猪出台の下を通って北麓の「三角田(みすまだ)洞」までつながっている。ただし通常時は、上流側の一部が水没し、通り抜けはできない。
*大正洞:本洞の延長が約1km、竪穴が連絡している複層的な洞穴。鐘乳石、石筍に富んでいる。かつては戦乱などの際、洞の一部に牛を隠したとされ、牛隠し洞とも呼ばれていた。本格的な洞内調査が行われ、全容が解かったのが大正時代だったことからこの名が付けられた。見学の所要は40分ほど。
2025年03月現在
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