金子みすゞ記念館かねこみすずきねんかん

JR山陰本線支線仙崎駅からまっすぐ北に向うみすゞ通りを約400mのところに記念館はある。金子みすゞ*は日本の童謡の隆盛期だった大正後期から昭和初期にかけて彗星のごとく現れた童謡詩人。20歳のころから雑誌『童話』『婦人倶楽部』『金の船』などに投稿を続け、詩人・作詞家の西條八十に「若き童謡詩人の中の巨星」と評価された。26歳で夭折したが、90編あまりがこれらの雑誌に掲載された。その後、512編の遺稿が見つかり、1984(昭和59)年に全集が刊行されると、再び注目を集める様になり、作品は教科書などでも紹介されるようになった。
 記念館は、20歳まで生まれ育った港町仙崎のメインストリートにあり、祖母と母が営んでいた金子文英堂を復元した店舗が通りに面してあり、その奥に金子みすゞの生涯と作品を展示解説する本館がある。入館は有料。また、詩の題材となった八坂神社(祇園社)、極楽寺や墓所がある遍照寺などゆかりのある場所もこの通り沿いか周辺に点在する。
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みどころ

記念館は、入り口付近では当時の地方の書舗の雰囲気を復元しており、本館ではコンパクトだが、金子みすゞの生涯と作品について分かりやすく、多面的に展示解説がされている。さらに、金子みすゞの作品が、この出身地の仙崎、20歳で移り住んだ下関の自然の風景や人々の営み・行事、一人娘から得た言葉などを題材とし、優しい眼差しと深い洞察をもとに童謡詩として表現しているだけに、ぜひ仙崎*3の街も歩いてもらいたい。
 現在の仙崎の街においても、みすゞが過ごしていた頃の漁業、海産物加工業が盛んだった当時の面影を遺している。町の角々にはみすゞの作品が掲示され、仙崎の人々のみすゞへの愛着を感じることができる。また「はらはら松の葉が落ちる、お宮の秋はさみしいな。・・・」の八坂神社(祇園社)や「極楽寺のさくらは八重ざくら、・・・」の極楽寺を見つけたり、「朝焼け小焼けだ大漁だ 大羽鰮の大漁だ。・・・」と描写している当時の海景を仙崎瀬戸で想像してみたりすることもできる。
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補足情報

*金子みすゞ:1903(明治36)〜 1930(昭和5)年。山口県仙崎生れ、本名テル。3歳の時、父が死去。祖母と母が書店を営み、みすゞを養育。1923(大正12)年に再婚して下関にいた母のもとへ仙崎から移り住む。このころから雑誌『童話』などに投稿を開始する。23歳で結婚し、長女ふさえが誕生。夫が執筆活動に理解を示さず、1930(昭和5)年に離婚し、自死。享年26歳。
関連リンク 金子みすゞ記念館(長門市)(WEBサイト)
参考文献 金子みすゞ記念館(長門市)(WEBサイト)
国立国会図書館「近代日本人の肖像」(WEBサイト)
「朝日日本歴史人物事典」金子みすゞ 朝日新聞出版
「山川 日本史小辞典 改訂新版」西條八十 山川出版社
徳山(現・周南公立)大学総合研究所「中国地方の地形環境」 仙崎の砂州(WEBサイト)

2025年03月現在

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