県中央部にあり、東は滑川市、上市町、舟橋村、立山町、長野県大町市、南は岐阜県飛騨市、西は射水市、砺波市、南砺市に接し、北は富山湾に面する。
 北陸新幹線・あいの風とやま鉄道(旧、JR北陸本線)が通り、富山駅からJR高山本線が岐阜に通じる。富山駅には富山地方鉄道の電鉄富山駅が接し、本線、立山線、上滝線、不二越線の起点として宇奈月温泉や立山方面へ通じており、立山黒部アルペンルートおよび黒部峡谷観光の基地となっている。また、富山地方鉄道の路面電車(市電)、旧JR富山港線から転じた富山ライトレールも走る。国道は東西に走る8号、415号に直交するように41号が通ずるほか、359号、360号、471号、472号が通じる。また北陸自動車道が東西方向に走り、富山、富山西の2インターチェンジがある。ほかに富山空港があり、札幌(千歳)、東京(羽田)、国外はソウル、上海、大連、台北との間に定期便が就航する。
 本州日本海側の中央付近にあり富山湾に面する。東京・大阪からはほぼ等距離にある県都。北には豊富な魚介類を育む富山湾、東には雄大な立山連峰、西には丘陵・山村地帯が連なり、南は豊かな田園風景や森林が広がる。市域は海抜0mの富山湾から3,000m級の山々にわたり、河川の上流・水源地域から下流までが一体となった都市。市域は神通川流域を占め、東部には常願寺川が北流。この2大河川は、世界有数の急流河川であり、扇状の富山平野を形成して富山湾に注ぐ。また、水源地である北アルプス地域は、立山カルデラに代表される大規模崩落地を抱えるなど、脆弱な地質構造をもつ山地で構成されている。面積の約7割は森林地域となっている。神通川の旧河道には県庁・市役所などの行政機関、NHKなどの報道機関、北陸電力、金融関係などのビルが集中している。
 1889年(明治22)市制施行。1920年(大正9)に桜谷村を編入以降、周辺町村を数回に及び編入、2005年(平成17年)に4)町2村を合併して現在の市域となり、同年に中核市となる。もとは藤井村という寒村だったが、天文年間(1532~1555)に水越勝重が城を築き、のちに神保氏がここを拠点として上杉勢と抗争。1579年(天正7)織田信長の臣である佐々成政が本格的に築城した。成政が豊臣秀吉に降伏以来、前田氏の所領となった。1605年(慶長10)加賀2代藩主前田利長が引退して金沢から富山城に入ったが、大火で焼失以後30年間放置された。江戸時代になると富山藩十万石が置かれて城を修築して城下町として栄えた。江戸時代には薬業や和紙などの産業が奨励され、飛騨街道や北前船航路などの交通・物流網の整備や越中売薬の独特の商法も相まって「くすりのとやま」として全国に知られるようになった。陸上交通が不便だったために古くから川で結ばれた文化圏を形成しており、神通川、常願寺川とも水運がおこなわれるなど、川を使った交易が盛んだった。米などの農産物、薪まきや炭すみ、柿などの特産物に加えて人の運行もあり、明治時代後半まで物流・文化交流の主要な交通路として大きな役割を果たした。1883年(明治16)石川県から分県以来県都として発展。北陸初の水力発電所が建設されるなど、豊かな電力を基盤とした工業のまちとして発展。戦後、都市基盤の整備や産業経済の進展により、現在では日本海側有数の商工業都市として発展している。
 全国的に「くすりのまち」として有名で、配置売薬の中心工場広貫堂のほか、売薬を主とする中小の製薬工場が多い。また、神通川下流右岸から北部と東部に工業が発達し、製紙、化学、製鋼等の工場が立地。また、神通川河口西側には石油工場や火力発電所がある。富山港はこの工業地を背景に船舶の出入りが多い。呉羽丘陵の西側緩斜地は、ナシを中心とする果樹園が多く、また市への蔬菜の供給地となっている。近年は環境、バイオ、IT関連産業の育成、立山連峰や越中おわら風の盆といった観光資源をいかした観光産業の発展にも取組んでいる。ます寿し、ブリ、ホタルイカ、シロエビ、エッチュウバイ貝、昆布〆、甘エビ、ズワイガニ、サクラマス、呉羽梨、池多りんご、いちじく、らっきょう漬、朝日すいか、牛岳高原馬鈴薯、コシヒカリ、富山えごま、かまぼこ、いかの黒作り、八尾そば、富山やくぜん、食やくシリーズ、地酒、ワイン、地ビール、配置薬、ガラス工芸品、越中八尾和紙、とやま土人形、富山木象嵌を特産する。
 富山城跡は旧本丸と石垣と堀だけが残り、二の丸、三の丸は市街地となっている。富山市郷土博物館に利用されている3層の天守閣は1954年の産業博覧会を機会に建築されたもの。城南公園には富山市科学博物館、県立近代美術館がある。大田地区の浮田家住宅は江戸中期の建築物として国の重要文化財に指定されている。縄文時代の北代遺跡は国の史跡で、出土品を展示する北代縄文館がある。ほかに、民俗民芸村、佐藤記念美術館、大山歴史民俗資料館、有峰湖、薬師岳、八尾曳山展示館、八尾おわら資料館、安田城跡資料館、旧森家住宅、旧馬場家住宅、富山市ガラス美術館、猪谷関所館などの施設がある。呉羽丘陵と神通川上流の神通峡はそれぞれ県定公園で、呉羽丘陵北部はサクラの名所、南部の城山地区は白鳥城跡を中心に呉羽ハイツ、少年自然の家、ファミリーパーク(動物園)があり、丘陵の東麓には五百羅漢のある長慶寺や富山市民俗民芸村がある。常願寺川河口右岸の水橋沖から魚津市沖にかけてのホタルイカ群遊海面は国の特別天然記念物。ほかに牛岳温泉スキー場、山田温泉、楽今日館、天湖森などがある。祭事催事として、越中八尾曳山祭、岩瀬曳山車祭、売比河鵜飼祭、猿倉山フェスティバル、山王まつり、おおやま佐々成政戦国時代祭り、富山まつり、熊野神社稚児舞、安田城月見の宴、ふちゅう曲水の宴や、とやまスノーピアード、越中八尾冬浪漫、牛岳スノーフェスタ、全日本チンドンコンクールがある。また、越中八尾おわら風の盆は富山県を代表する行事として来訪者を魅了する。

観光資源一覧

おわら風の盆の写真

おわら風の盆 (富山県 富山市 )

おわら風の盆*1は、9月1日~3日に八尾町(現富山市八尾地区)で行われる祭りである。ここは、浄土真宗本願寺派の寺院・聞名寺の門前町として生まれ、江戸時代の町づくりにより発展した町である。「おわら風の盆」では、福島、下新町、天満町、今町、西町、東町、鏡町、上新町、諏訪町、西新町、東新町の町内11の地区で、それぞれ個性ある「...

雲ノ平の写真

雲ノ平 (富山県 富山市 )

富山市南部、飛騨山脈(北アルプス)の最奥部、黒部源流域に位置する標高約2,600mに広がる溶岩台地。面積は25万m2。黒部川の源流部にあたり、南、西、北を黒部川が取り囲んでいる。北アルプスの中でも最も奥深いところに位置し、どの登山口からでも当日中にたどり着くことが困難であり、「日本最後の秘境」、別名を奥の平とも呼ば...

神通峡の写真

神通峡 (富山県 富山市 )

飛騨山地を水源として北流する神通川が、飛騨山地から富山平野に抜ける間の峡谷である。かつては、豊かな水量と岩を嚙むような峡谷美を誇っていたが、ダムの建築により、今は満々と水をたたえた人造湖に変貌をとげ、季節の花や紅葉が水面に映え、静かな湖畔のたたずまいをみせている。  第一ダムの下流にある庵谷峠に登ると神通峡の展望を...

水晶岳(黒岳)の写真

水晶岳(黒岳) (富山県 富山市 )

水晶岳は飛騨山脈(北アルプス)北部、富山市の南東部に位置する標高2,986mの山である。山頂は切り立った岩の双耳峰で針峰状の側壁に囲まれた急峻なカール地形をなしており、このあたりでの最高峰である。  水晶岳の名称は、水晶がとれたことによる。別名黒岳で、これは山肌が黒々としていることによる。日本百名山において深田久弥は「北...

富山城の写真

富山城 (富山県 富山市 )

富山駅の南約1km、市街地のほぼ中央に富山城址公園がある。富山城は1543(天文12)年に畠山氏の守護代・神保長職が築城したことに始まり、江戸時代には前田氏の居城として整備され、富山藩政の中心であった。現在の城址公園は、主に本丸と西之丸の部分であり、当時はこの約6倍の広さがあった。公園として残された部分以外は、市街地となって...

富岩運河(富岩運河環水公園)の写真

富岩運河(富岩運河環水公園) (富山県 富山市 )

「富岩運河」は、富山市と当時の東岩瀬町をつなぐ運河である。富山城の外堀でもあった神通川は、富山市中心部で大きく蛇行しており、たびたび洪水を引き起こしていた。富山県はその流れを直線化する工事に1901~1903(明治34~36)年に着手。その工事で生まれた広大な廃川地対策として、東岩瀬港から富山駅北まで約5kmの運河を作り、運河を掘...

松川のサクラの写真

松川のサクラ (富山県 富山市 )

富山市の中心部を流れる松川は、富山城の外堀・神通川の名残りである。松川の川辺には、上流の磯部の布瀬橋から、いたち川合流点下流の宮下橋まで、右岸側と左岸側合わせて3.9km(右岸・左岸どちらかに桜のある川の距離としては約2.5km)にわたり、ソメイヨシノが530本植えられている。  富山藩10代藩主前田利保は、隠居所として建てた千歳...

薬師岳の写真

薬師岳 (富山県 富山市 )

飛騨山脈(北アルプス)北部の立山連峰南部に位置し、標高は2,926m。立山(たてやま)や剱(つるぎ)岳の峻険(しゅんけん)な山容に比べ、雄大だが穏やかな山容を示しており、重量感のあるどっしりとした山容は北アルプス随一だといわれる。薬師岳は山麓有峰の住民の信仰の山で、頂上には薬師堂が祀られている。立山などと同様に、薬師岳も...

常願寺川の写真

常願寺川 (富山県 富山市 / 富山県 立山町 )

常願寺川は富山県と岐阜県の県境にある北ノ俣岳(標高2,661m)から流れる真川と、立山カルデラを源とする湯川があわさり常願寺川となり、さらに千寿ヶ原で称名川と合流して富山県の中央部を北流し、富山湾に注いでいる。流路延長約56km、河床勾配は山地部で約1/30、扇状地部で約1/100の、日本有数の急流河川である*1。古くは「新川(にいか...

立山カルデラの山体崩壊の写真

写真提供:富山県 立山カルデラ砂防博物館

立山カルデラの山体崩壊 (富山県 富山市 / 富山県 立山町 )

立山カルデラは立山連峰の南西、室堂平から弥陀ヶ原の南に位置する東西6.5km、南北4.5kmの楕円形の大規模なくぼ地である。この地形は4万年前頃まで活動した弥陀ヶ原火山などが地震や大雨などにより侵食されてできた「侵食カルデラ」と考えられており、日本有数の巨大崩壊地形である。  周辺には跡津川断層をはじめいくつもの活断層が分布し...

シロエビ料理の写真

シロエビ料理 (富山県 富山市 / 富山県 射水市 )

シロエビは富山湾独特の海底谷「藍瓶(あいがめ)」に群泳する体長は約6センチほどのエビ。水揚げ直後、透明感のある淡いピンク色をした姿から「富山湾の宝石」とも呼ばれる。ブリやホタルイカと並んで「富山県のさかな」*のひとつであり、富山湾の海の幸を象徴する食材になっている。標準和名は「シラエビ」だが、地方名あるいは商品名とし...

鹿島槍ヶ岳の写真

鹿島槍ヶ岳 (長野県 大町市 / 富山県 富山市 / 富山県 黒部市 )

長野県大町市と富山県立山町・黒部市の県境にあり、標高2,889m、後立山連峰*の中央に位置している。北峰と南峰のピークが吊尾根で結ばれた双耳峰の優美な山容で、後立山連峰の盟主ともいわれている。かつてはこの山周辺一帯の山域を後立山と呼んだというが、山麓の鹿島集落から取って鹿島槍ヶ岳の名になったといわれる。  鹿島槍ヶ岳への...

烏帽子岳の写真

烏帽子岳 (長野県 大町市 / 富山県 富山市 )

長野県大町市街の西方19km、大町市と富山県富山市との県境に位置する。北アルプス後立山連峰*の南につづく尾根の一峰で、標高2,628m。槍ケ岳への裏銀座コース*の起点である。  頂上部は烏帽子*状のとがった岩峰が立ち、その形から山の名が付けられたといわれる。烏帽子岳という名の山は日本全国でも数多く50座以上、烏帽子山を含めると9...

鷲羽岳の写真

鷲羽岳 (長野県 大町市 / 富山県 富山市 )

長野県大町市と富山県富山市の県境にあり、黒部川源流付近、三俣蓮華岳の北東にピラミッド型の雄姿を見せている。標高2,924m。  1697(元禄10)年に鷲ノ羽ヶ岳という記述が残っている。ただしこれは隣の三俣蓮華岳だったらしく、山の取り違えで現在の山名になったという。鷲が翼を広げた姿に似ているのでこの名がついたという説もある。

三俣蓮華岳の写真

三俣蓮華岳 (長野県 大町市 / 富山県 富山市 / 岐阜県 高山市 )

北アルプスの中央部にあり、長野・富山・岐阜3県の境になっている。標高は2,841m。北東部は烏帽子岳方面から後立山連峰*へ、西は黒部五郎岳方面から立山連峰へ、南は槍ケ岳へと稜線がのび、縦走路の重要な分岐点である。  山の名前は、信州・美濃・越中の三国の境であり(三俣)、大きく広がった姿が蓮の花のよう(蓮華)ということからと...

野口五郎岳の写真

写真提供:大町市観光協会

野口五郎岳 (長野県 大町市 / 富山県 富山市 )

長野県大町市と富山県富山市との県境にあり、北アルプスのほぼ中央に位置する。標高2,924mで本格的な登山を楽しむことができる山である。北方の白馬三山から続く尾根上にある。この稜線は南の三俣蓮華岳方面まで続き、そこで槍ヶ岳方面と薬師岳方面の稜線に分かれている。  高瀬ダムから烏帽子岳、野口五郎岳経由で槍ヶ岳までの登山ルート...