岡山市
印刷する観光資源一覧
造山古墳 (岡山県 岡山市 )
岡山市北西部から総社市にかけての「吉備路」と呼ばれる一帯は、古代吉備王国時代の中心地だったと考えられており、畿内の大王墓に匹敵する巨大な古墳が多くある。なかでも、JR吉備(桃太郎)線 備中高松駅から南西へ約2.5kmのところにある造山古墳は、古墳時代中期(5世紀初頭)に築かれた全長約350m、県下最大、全国第4位の墳丘規模をもつ...
吉備津神社 (岡山県 岡山市 )
岡山市西部、吉備の中山*(標高175m)の西麓に鎮座する。当地を治めたとされる大吉備津彦命(おおきびつひこのみこと)*を主祭神とし、その一族の神々を祀っている。創建時期は不詳だが、927(延長5)年に撰進された延喜式神名帳では、すでに名神大社に列せられていた古社で、吉備国総鎮守として崇敬されてきた。7世紀後半頃、吉備国の三国...
最上稲荷 (岡山県 岡山市 )
羽柴(豊臣)秀吉の水攻めで有名な備中高松城址の北、龍王山にある日蓮宗の寺で、正式名称を最上稲荷山妙教寺という。明治の廃仏毀釈を逃れ、寺でありながら鳥居があり、神宮形式をあわせ持つ本殿(霊光殿)など神仏習合時代の形態を現在も残している。 縁起によれば、752(天平勝宝4)年、この地で修行していた報恩大師*に孝謙天皇の病...
岡山城 (岡山県 岡山市 )
岡山駅から路面電車の通る「桃太郎大通り」を東へ1.7km、岡山市内を流れる旭川西岸にあり、対岸には金沢の兼六園や水戸の偕楽園とならぶ名園とされる岡山後楽園がある。天守の黒く塗られた下見板張りの外観から、「烏城」(うじよう)、「金烏城」とも呼ばれる。かつて本丸には30の櫓と6の城門を誇っていたが、明治期の国有化と太平洋戦争下...
西川緑道公園 (岡山県 岡山市 )
岡山駅から路面電車の通る「桃太郎大通り」を東へ約500m、中心市街地を南北に流れる西川用水の両岸に、1974(昭和49)年から1983(昭和58)年にかけて整備された公園。桃太郎大通りから、旧国道2号線と交わる瓦橋までの1kmが「西川緑道公園中流」で、北に「西川緑道公園上流」(0.9km)、南に「枝川緑道公園」(0.5km)が整備され、総延長2.4...
後楽園 (岡山県 岡山市 )
旭川をはさんで岡山城の対岸にあり、水戸の偕楽園、金沢の兼六園とともに日本の名園の一つとされる。岡山藩主池田綱政が家臣の津田永忠に命じて1687(貞享4)年に着工、1700(元禄13)年に一応の完成をみた。操山(みさおやま)をはじめとする東側の山を借景とした回遊式の明るく優美な庭園で、広い芝生や池、曲水、築山などが配されている。...
会陽(裸祭り) (岡山県 岡山市 )
JR赤穂線西大寺駅から徒歩10分、吉井川河畔にある西大寺観音院は、751(天保勝宝3)年に周防国玖珂庄(現、山口県岩国市玖珂町)に住む藤原皆足姫(ふじわらみなたるひめ)が、金岡郷(現、西大寺金岡)に小堂を建て観音像を安置したのが始まりと伝えられる。 会陽は、2月の第3土曜日22時に、西大寺観音院の本堂の御福窓から投下される2本...
吉備津彦神社 (岡山県 岡山市 )
JR吉備線(桃太郎線)備前一宮駅からすぐ、岡山市西部、吉備の中山*(標高175m)の北東麓に鎮座する。祭神は当地を治めたとされる大吉備津彦命(おおきびつひこのみこと)*。 中世以後は、戦国大名の赤松氏や宇喜多氏からも尊ばれ、江戸時代になると岡山藩主池田氏の援助で社殿が再建・整備され、1697(元禄10)年には三間社流造・檜皮...
ままかり寿司 (岡山県 岡山市 )
「ままかり」とは、サッパという体長10~15cmほどのニシン科の魚を2枚におろして酢漬けにしたもので、「(自分の家のご飯を食べつくし)隣家にご飯(ママ)を借りに行くほどおいしい」ことに由来する。「ままかりずし」は、「ままかり」を握りずしにした岡山県の郷土料理で、昔から家庭の味としてつくられてきた。地元では酢漬けにする前の鮮...
ベネッセアートサイト直島 (香川県 直島町 / 香川県 土庄町 / 香川県 小豆島町 / 香川県 高松市 / 岡山県 岡山市 )
ベネッセアートサイト直島は岡山市に本拠を置く、通信教育などで知られる、株式会社ベネッセホールディングスと公益財団法人 福武財団が瀬戸内海の直島、豊島、犬島などで展開する現代アートに関わるさまざまな活動である。美術館、宿泊事業、集落の古民家などを使ったインスタレーション*のほか、刊行物やシンポジウムなどの情報発信も行っ...