日本建築の特徴のひとつに軒、あるいは庇があるという。
建造物を撮影しようとすると、この軒、あるいは庇がその建造物の造形全体に大きな影響を与えており、それをどう取り込むかが構図決定の重要な要素となる。日本建築の軒や庇は、大抵の場合、奥行きが深く、建造物の陰翳を際立たせる。
そんなに重要な要素であるのに、軒と庇の違いについて、説明できるかというと、ふと、考えてしまう。
そこで、広辞苑で調べてみると、軒は「屋根の下端の、建物の外部にさしでたところ」あるいは「ひさし」に同じだというのだ。一方、庇を見ると、建築関係の説明として二つあり、ひとつは「寝殿造で、母屋(もや)の四周にめぐらした下屋(げや)の部分」、もうひとつは「本屋から外側に差し出した片流れの小屋根。窓・縁側・出入口などの上に設けて日や雨を防ぐもの」だという。
要するに、軒は外壁から屋根が突き出た部分を言い、庇は本屋に取り付けられた小屋根を指すということのようだが、これは近現代の建物での定義であって、近世以前となると、広辞苑のひとつめの定義にあるように庇は、かなり幅広い意味を持っている。それは日本建築の独特の組み立て構造に関係があるといえよう。
平安時代の町屋の構造は、信貴山縁起絵巻での事例からみると、「側面から見ると中央2間の母屋の前後にそれぞれ1間の庇を加えた構造」だというのだ。当時の建築技術のレベルでは、屋根の構造と空間を一致させるしかなく、空間を広げるようにするためには、側柱と入側柱を立てて庇をつけて継ぎ足していく方法をとらざるを得なかったという。上流階級の住居、執務空間となる寝殿造りでは、これが大掛かりとなり、母屋を中心に庇が四方を囲むことになり、さらには、孫庇まで取り付けて、空間の確保を図ったというのだ。
室町期に至り、建築技術が発達し、屋根の構造と間取りが必ずしも一致しなくても空間を確保できるようになり、庇構造は擬制的なものを除き、母屋に取り込まれることになったという。これが書院造である。こうした歴史的経緯から現在では「本屋から外側に差し出した片流れの小屋根」の部分が庇となる。
動物学者で民俗学的な造詣も深いE・S・モースは、庇は「一般に家の縁側などのような開放部を直射日光や雨から守る役目を果たし」、この日本独特の建築構造は「見るからに華奢である。しかし、建築上および重力に関する法則の、計算されうる限界を超えた力がかかった場合でももちこたえられるのである」と労作である「日本人の住まい」のなかで詳しく観察・分析し評価を与えている。
日本建築における軒や庇は、日本人の生活のなかで、E・S・モースの評価にもあるが、いくつかの効用があるといわれている。日本の湿気が高く、四季によって日差しの変化が大きい気候風土や木材を中心とした建築材料などの観点から軒、庇の必要性は高い。ひとつは、木材を活用した比較的簡便な柱構造の日本建築は、高床とともに、四方に向けた開放性が高く、風通しが良いという特性があるものの、外壁の堅固性には欠けるため、軒、庇によって、風雨に対しての弱点を補っている。また、夏の直射日光を防ぎ、暑さと調度品の日焼けから守り、冬は斜めの陽光をある程度は差し込める構造となっている。とくに縁側はその恩恵にもっとも預かる、四季を通じて居心地の良い場所となることが多い。
谷崎潤一郎は、「陰翳礼讃」のなかで、「昔の大概な建物が軒から下と軒から上の屋根の部分とを比べると少くとも眼で見たところでは、屋根の方が重く、堆く、面積が大きく感ぜられる」と日本建築の外見的な特徴を表現している。そして、軒、庇の特性が日本文化への影響が大きいとしている。「日本家屋の屋根の庇が長いのは、気候風土や、建築材料や、その他いろいろの関係があり」、その素材、構造から「横なぐりの風雨を防ぐためには庇を深くする必要があったろうし、日本人とて暗い部屋よりは明るい部屋」を望んでいたに違いないが、それでも「暗い部屋に住むことを余儀なくされたわれわれの先祖は、いつしか陰翳のうちに美を発見」したというのだ。この「陰翳の美」を生み出す、軒や庇の文化とそれに対応した建具である障子の重要性も忘れてはならない。外見的には、深い軒、庇の影のなかに、白い障子が際立ち、色の少ない日本建築にメリハリをつけつつ、穏やかさ奥ゆかしさを印象づける。内部的には、障子を透した光が、室内にあるすべてのものを柔らかく包みつつ、その天候、時間の経緯を的確に伝える役割も果たしている。
これらの日本建築の特徴を実際に感じることができる建築物群のひとつに日光の田母沢御用邸がある。江戸時代後期、明治、大正と三時代に渡る、近世、近代の日本の建築様式や技の粋を集めた建築物群であり、軒、庇もそれぞれの建物の用途に従い、多様な工夫が施されているので、訪ねみるのもよい。
軒や庇はこうした建築的な意義だけでなく、生活の場、装飾の場、信仰の場としても活用されている。それは、生活面でいえば、農家では、十分な空間のある軒や庇を利用し、野菜、果物を干したり、農機具や運搬具の保管に使用したりしている。商家では商号屋号、看板の定位置になっている。その好例として挙げれるのは「杉玉」であろう。酒蔵の軒下に飾られる新酒を告げる青い杉玉は、徐々に枯れ茶褐色に変わっていくことで、お酒の熟成の様を知らせており、まさに店の顔といえよう。
装飾面では、例えば、桂離宮や修学院離宮の軒、庇の天井をみてみれば、繊細に行き届いたデザイン、細工が施されており、光と影の境を意識しつつ、母屋に入る序奏となるよう、また、母屋から庭園を観たとき、その美しさを映えさせる設計となっている。それは京都の美山の民家でも同様な設えをみることができる。
さらに、信仰面でいえば、羽黒山周辺の集落では、羽黒山出羽三山神社の大晦日から元旦にかけて催される「松例祭」の「大松明引き」にも用いる引綱の一部を魔除けとして、軒下に飾るという風習がある。こうした軒下や庇に魔除けを飾る風習は全国に枚挙のいとまがない。また、神社仏閣の軒下や庇には信仰、布教の意味合いから日光東照宮などでみられるようにストーリー性豊かな装飾品や彫刻が彫り込まれていることは数多く、羽黒山出羽三山神社拝殿の庇の小屋根を支えるように配された黒い力士像など、思いがけないものに出合うこともある。
こうしてみると、建造物の写真を撮る際は、その造形性や光と影に着目するのだが、日本建築の場合は軒や庇が作り出す深い陰翳を、どう表現するかが重要だと思う。くっきりとした立体感、量感、色彩感にあふれる欧米の建造物とは違い、日本建築を撮影する時は明らかに翳を引き出す力が必要となってくる。それがまた、写真を撮るときの奥深い楽しみなのかもしれない。
参考文献
- *「図説日本住宅の歴史」平井聖 学芸出版社
- *「日本人の住まい」E・S・モース著 斎藤正二・藤本周一訳 八坂書房
- *「陰翳礼讃」谷崎 潤一郎. Kindle 版.