[Vol.9]日本の看板

 日本の景観を語るとき、全国各地に見られる看板は、すこぶる評判が悪い。東京の新宿や渋谷、そして大阪の新世界、道頓堀などなど、何でもありのゴチャゴチャ感。さらに郊外の観光地に行っても、自然空間の美を頓着なくぶち壊す看板をはじめ、幟旗、電柱電線が無神経に配されている。あの繊細な遠州流の庭園や盆栽、借景を絶妙に取り入れた建築物など、日本の美的センスと言われるものと余りに隔たりが大きい。

 永井荷風が大正初期に書いた「日和下駄」でも、すでに「今日東京の表通は銀座より日本橋通は勿論上野の広小路浅草の駒形通を始めとして到処西洋まがいの建築物とペンキ塗の看板痩せ衰えた並樹さては処嫌わず無遠慮に突立っている電信柱とまた目まぐるしい電線の網目のために、いうまでもなく静寂の美を保っていた江戸市街の整頓を失い、しかもなおいまだ音律的なる活動の美を有する西洋市街の列に加わる事も出来ない」と慨嘆している。もっとも、これは永井荷風が愛する、より「錯雑」な「平民的画趣ともいうべき」路地と対比して「西洋まがい」の「表通」を「不快と嫌悪の情」から描写しているのであって、永井荷風が路地を代表とした迷宮ともいえる都会の「渾然たる芸術的調和の世界」を嫌っているわけではない。もちろん現在では、これらの「表通」もさすがに「音律的なる活動の美を有する西洋市街の列に」加わるどころか世界でも有数な都市景観美をみせているものの、永井荷風の指摘に類する景観がいまだに日本の都市のそこここに見られ、なかでも原色の看板が幅をきかせているのも現実だ。

左)大阪府大阪市:新世界 右)東京都新宿区
日本らしさを感じる歓楽街の看板

 こうしたことが話題となるとき、必ず比較されるのが欧州の都市景観だ。欧州の都市は計画的で、機能性の高い都市空間が形成され、それに調和している看板は、デザイン性が豊かで統一感があるものになっていると評価が高い。 それでは、なぜ、このような差が生まれたのだろうか。都市政策を専門とする土岐寛は「貧困な日本の都市状況、都市景観」がどうして生まれたか、4つの論点にまとめている。

ひとつは「厳しい自然と外敵に対抗する緊密な生活・防衛共同体としての都市形成」がされた欧州と違い、日本は「温和な自然と融合し、都市と農村の境界がない自然増殖的な都市形成」であったこと。二つ目は富国強兵の国家政策の下、「明治以降の近代化における都市景観整備の優先順位の低さ」。三つ目は「都市景観への共同感情の形成」がなされなかったこと。そして四つ目は建築家など都市景観を構築する専門家たちが、個々の構造物に対し、個人的な思想や趣向を優先させたこと、を挙げている。

 こうした論点からみてみると、なぜ、日本の看板があくどいほど自己主張が個性的か、というと、欧州における都市形成の在り方と日本やアジアの都市形成の違いからくるのだろうという推論にたどり着く。すなわち、欧州大陸の都市では、城壁内に都市が形成されたため統制がとれ、なおかつ、建物が多層ではあるものの一定の高さで規制され、狭い竪空間という条件下では、都市景観の美的統一感が生まれ易いというものだろう。また、ギルドなどの同業者組合の発達は職業あるいはビジネスで自己顕示を極限まで示す必要はなかったのかもしれない。すなわち、ギルドとしての組織的なアイデンティティを示す標章、あるいは、建物の所有者の社会的な立場を示すもので十分だったのであろう。

イギリス ストウ・オン・ザ・ウォルド

オーストラリア メルボルン

 一方、日本は都市景観についての「共同感情」が形成されないまま、都市が増殖し、唯我独尊的な自由放任主義の結果、看板群も自己主張の強い強烈な個性と色合いになったといえよう。とはいうものの、借景を含めた日本庭園や生活に根付いた自然と一体化した里山、現代でも際立って諸外国の街と比べポイ捨ての少ない日本の街と、あの無秩序で美的センスにはほど遠い看板群に見られる日本人の景観、空間の美的認識との食い違いはどこからうまれてくるのであろうか。また、現在の都市景観や看板群の在り方は日本社会の本来の姿なのだろうか。

 確かに、城壁に囲まれ石造りの多層化した建築物で都市が形成されている欧州と、城や街道を軸に無秩序に広がる日本的、アジア的な都市と、歴史的背景によって都市景観が異なってくるというのは事実だ。しかし、アジアでも日本でも、例えば京都や奈良、そして江戸でさえ、その歴史的過程においては、コアの部分はしっかりとした都市計画のもとに造られたのだから必ずしも無秩序とは言い切れないところもある。

 江戸時代の江戸や京都の主要都市では、木造家屋という制約から家並の高さの統一性が高く、それが看板の制約となっていることは、浮世絵などから想像がつく。商業地域では間口と軒下の制約もあるので、意外と看板も整然としているのが見て取れる。いまでも、家並みがしっかりと保存されている栃木市の「蔵の町」などいくつかの地方の町を歩いてみると、そのことを多少なりとも窺い知ることができる。

 このような観点からすると、日本の看板の煩雑性は、土岐寛が都市景観の論点として指摘している通り、明治以降、近代になってから起こったことだと断定しうる。これは急激な近代化によって、都市が規律なく膨張し、カオス的な発展だったことに起因しており、アジアの人口の都市集中が19世紀以降急激だったことからも肯ける。さらには、アジアのみならず、現在も開発途上の世界の国々においても都市化が進めば、進むほど、同様な看板のカオスが起こっている。そこへアメリカ型の郊外の大看板群がカオスに拍車をかけている。

「名所江戸百景」するかてふ
(国立国会図書館ウェブサイトから転載)

栃木県栃木市

石川県金沢市

 しかし、最近、こうした都市景観の日欧比較論のなかで、現状の日本の都市景観を評価する向きもある。それは、外国人観光客であり、漫画に描かれた煩雑な看板も含め日本の街を「COOL(かっこいい)」とする風潮だ。これに対し、比較文化学者の南明日香は日本の都市景観の現状を否定的に慨嘆するのは「欧米を理想化したオクシダンタリズム」(Occidentalism西洋崇拝・西洋中心主義)であり、「外国人観光客が東京の雑多な盛り場を『COOL(かっこいい)!』といって感激」することをもってして現状を肯定するのも「逆オリエンタリズム」(reverse Orientalism 西洋からみた東洋趣味の甘受、オクシダンタリズムと同じ視点ともいえる)でもあるとしている。

 一方、フランスの歴史学者アラン・コルバンは「風景とは空間を検証し、評価する一つの方法である。個人や集団によって異なるこの解釈は時とともに絶えず変化」するものだとしている。要するに風景は「解釈であり、空間を見つめる人間と不可分」なものと論じ、「客観性などという概念は放棄」するべきだとしている。風景美というものは、時代、思想、信仰や集団や個人の属性によって異なり変化していくという。これらを考え合わせると、欧州の都市景観が絶対的に美しいものでもなく、あるべき姿であるということでもなく、欧州自体の景観に対する美意識も時代により変遷があり、日本も同様だと言える。

 確かに、日本では、看板群を含めた都市景観については、観光立国推進の立場から統一性や規制についてもっと考えるべきだという意見が多い。私もここ何年もそう言った立場をとってきたが、この考えにも若干の修正が必要かなとも思うようにもなった。

 この考え方を修正する必要があると思った具体的なきっかけとなったのは、デザイナー石井大五の「世界東京化計画」という作品だ。世界の有名都市の街並みに日本の看板や幟旗を配し、装飾をすると、どんな雰囲気になるかを試みている。どんな都市も風景も、東京の都市景観のなかにある看板、幟旗、装飾などのエレメントを加えると、まさに東京になってしまうのだ。このエレメントの持つ影響力の強さには驚く。石井大五はそのホームページで「私たちが考えているほど、都市のイメージやローカリティーは、確固としたものではなく、容易に置き換えられてしまうものかもしれません」と述べている。

 エレメントの交換という具象面ではその通りかもしれないが、このエレメントを生み出した、風土、意識を考えると、逆説的に言えば、これらのエレメントの影響力の強さこそが、日本を表現しているのかもしれない。いわば東京や日本のアイデンティティではないか、とも思えるのだ。私は、日本にしてもアジアにしても歓楽街のネオン、看板の猥雑さ、煩雑さは人間の根本的な欲望がそのまま表れ、その表現形式は民族性やお国柄が表出しており、肯定的に受け止めている。いわんや、江戸名所図会に見られるような看板や明治期から高度成長前の昭和の、衒いのない、自己主張の強い独創的な看板には好感が持てる。

左)高知県中土佐町:久礼 右)兵庫県丹波篠山市
独創的な看板

 ただ、これとは別に日本の看板群の問題と意識すべきなのは、駅であろうが、郊外であろうが、全国チェーンの大看板が跋扈し、どの駅に降りても、どのバイパスを走っても、同じような色合い、色調の組み合わせが並び、まったく、ローカリティーや個性を失ったことにある。また、本来自然を楽しむべきところや、日本の生活文化がしみ込んでいたはずだった町並みにも同じパターンの看板が林立し、その良さをぶち壊していることだ。さらに看板のみならず、幟旗や電柱も見事だといってよいほど、ぶち壊しに加担している。そのうえ、大音響で演歌などを流していれば、人を寄せ付けたくないのではないかと、疑ってしまう。いくら時代性による景観意識の変化といっても、すべてを現状肯定すべきではないことも事実だ。

 こうした問題点に対し、南明日香は、「東京景観をプラスに働かせるためのキイワード」として永井荷風のいう「風土」に求めている。永井荷風は日本の「風土」について「江戸芸術論 『浮世絵の鑑賞』」のなかで、「日本の気候と天象と草木とは黒潮の流れにひたされたる火山質の島嶼の存するかぎり、永遠に初夏晩秋の夕陽は猩々緋の如く赤かるべし。永遠に中秋月夜 の山水は藍の如く青かるべし。椿と紅梅の花に降る春の雪はまた永遠に友禅模様の染色の如く絢爛たるべし」とし、それゆえ「浮世絵は永遠に日本なる太平洋上の島嶼に生るるものの感情に対して必ず親密なる私語を伝ふる処あるべきなり。浮世絵の生命は実に日本の風土と共に永劫なるべし」と述べ、浮世絵を例として、洋の東西問わずそれぞれの地域における独特な風土や景観がそれぞれ特色のある芸術を創造しているとしている。また、「日和下駄」では日本における寺院建築が日本の風景にいかに溶け込んでいるかを「日本の自然は尽く強い色彩を持っている。これにペンキあるいは煉瓦の色彩を対時せしめるのは余りに無謀といわねばならぬ。試に寺院の屋根と廂と廻廊を見よ。日本寺院の建築は山に河に村に都に、いかなる処においても、必ずその周囲の風景と樹木と、また空の色とに調和して、ここに特色ある日本固有の風景美を組織している」と、「風土」を所与のものとして生み出された芸術、建築物、風景美と「風土」に対する日本人の意識との関係性について書き綴っている。これらのことから、南明日香は永井荷風がいう「風土」とは「個々人の身体に馴染んでいる季節や気候やひいては場所の雰囲気といったものをもとに、集団に分かち持たれ受け継がれている了解事項」だとしている。

  しかし、個々人はともかく、受け入れる集団がか つての村落共同体、あるいは家族共同体などで担保されていれば良いが、いまやその基礎集団が体を成していない現状では、この了解事項をどのように組み立てていくのかが難関となろう。それゆえ、日本的美観は日本人自身が自分の置かれている歴史性や生活習慣、感性の中から形作っていく以外ないのだ。それは日本のそれぞれの地域で自然、場面、生活、文化、産業などの「風土」に見合った、景観に対する「共同感情」を紡ぎ得るかどうかにかかっている。都市景観はもちろん、看板群についても肯定否定の二分法ではなく、それぞれの「風土」に応じて考えるべき大きなテーマのひとつだ。 

  このことは、新しいコンセンサスの形成の在り方が問われ、さらには日本の社会の成熟度を試される。永井荷風の「清夜に月光を賞し、春風に梅花を愛するが如く、風土固有の自然美を敬愛する風雅の習慣今は全く地を払ってしまった」(「日和下駄」)という慨嘆を拭い去り元に戻るということはすでに不可逆ではあるが、「風土」に応じた「共同感情」を紡ぎ出す努力を続けていかないと、日本の都市景観は看板を筆頭に無国籍で無秩序で煩雑なものになり、そのアイデンティティを失うことになるだろう。

大阪府大阪市:心斎橋
大阪のシンボルのひとつ

引用・参考文献

筆者

典然

観光関係の調査研究機関をリタイヤして、気儘に日本中を旅するtourist。
「典然」視線で、折々の、所々の日本の佇まいを切り取り、カメラに収めることがライフワーク。「佇まい」という言葉が表す、単に建物や風景だけではない人間の暮らしや生業、そして、人びとの生き方を見つめている。

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