唐津市は、佐賀県の北西部に位置し、北部は玄界灘に面している。古代から大陸との交易があったところだが、市の基盤は唐津藩主寺沢広高が唐津城を築いたことに始まり、城下町として発展してきた。
 唐津城を軸にして、東ノ浜に延々とのびる虹ノ松原、七つ釜の奇観に加えて、唐津焼、国の重要無形民俗文化財で2017(平成29)年1月にユネスコ無形文化遺産に登録された「唐津くんちの曳山行事」などの観光資源が存在する。

観光資源一覧

虹の松原の写真

虹の松原 (佐賀県 唐津市 )

松浦川口の東唐津から浜玉町玉島川尻まで、ゆるい弧を描く砂浜にクロマツがびっしりと根をはっている。幅400~700m、長さ約4.5kmにわたる広大な松原は、日本三大松原*のひとつで、玄海国定公園を代表する景勝地である。初代唐津藩主・寺沢志摩守広高が防風防潮林として植えたもので、現在約100万本。遠浅で波静かな海岸は絶好の海水浴場。

名護屋城の写真

写真提供:肥前名護屋城歴史ツーリズム協議会

名護屋城 (佐賀県 唐津市 )

名護屋城は豊臣秀吉が朝鮮出兵(文禄・慶長の役)に際して拠点とした城で、全国の諸大名が普請し1591(天正19)年10月からわずか6カ月で築城したと伝わる。唐津市の北西、小高い丘陵にあり、玄界灘を望む。名護屋城の周囲約3km以内に、全国各地から集まった名だたる戦国大名の陣屋が130以上も立ち、多いときには20万人以上の人口がいたという...

見帰りの滝のアジサイの写真

写真提供:一般社団法人 唐津観光協会

見帰りの滝のアジサイ (佐賀県 唐津市 )

相知町の北方、伊岐佐の山間にある落差約100mの滝で、アジサイと紅葉期の景観は絶景となる。標高887mの作礼山に源を発する伊岐佐川にあり、昔から川魚も多く生息し、アユ釣りができる。滝と下流の周辺に約50種・4万株のアジサイが植えられており、1988(昭和63)年以降、毎年6月に「見帰りの滝アジサイ祭り」が催される。  滝のすぐ側に駐...

唐津城の写真

唐津城 (佐賀県 唐津市 )

唐津藩主・寺沢広高が名護屋城の解体資材を用いて、1608(慶長13)年に完成した城。別名「舞鶴城」。代々譜代大名が入城したが、廃藩置県後は廃城となり、舞鶴公園となる。1966(昭和41)年、虹の松原を見下す小高い城跡に5層5階地下1階の天守閣が建てられ、唐津のシンボルとなっている。天守閣からは唐津湾の眺望がよく、公園内は桜・藤の名...

呼子朝市の写真

呼子朝市 (佐賀県 唐津市 )

玄界灘に面し、東松浦半島の北部に位置する唐津市呼子町。呼子港を中心として漁業が盛んで、港の近くには名物の朝市が立つ。江戸時代、漁師と農家が鯨肉や鮮魚、農産物を物々交換していたことが始まりとされる呼子の朝市。約200mある呼子朝市通りに、毎日30~50軒の露店や店舗が並ぶ。地元の民宿や食事処では活きのよい玄界の活魚料理が賞味...

唐津くんちの写真

写真提供:唐津市役所

唐津くんち (佐賀県 唐津市 )

唐津神社の秋季例祭で11月2日の宵曳山に始まり、3日の御旅所神幸、4日の翌日祭に終わる。唐津の地主神、唐津大明神の市中巡行に供奉して曳山が従うもので、むかしは傘鉾であったという。  現在の曳山が巡行するようになったのは1819(文政2)年からである。くんち当日は法被姿の若者達が笛・鐘・太鼓にのって、鯛・鳳凰丸・飛龍などの勇壮...

大浦の棚田の写真

大浦の棚田 (佐賀県 唐津市 )

1999(平成11)年7月に「日本の棚田百選」に選ばれた大浦の棚田は、大浦岡、大浦浜、満越の3集落にわたって広がる。棚田は石積み式。棚田枚数は、1960(昭和35)年頃は1,200枚をこえていたが、後継者不足や高齢化などによりその数は年々減少し、現在は約1,000枚ほどとなっている。棚田は、鎌倉時代から江戸時代にかけて築かれたもので、かつ...

呼子イカの活き造りの写真

呼子イカの活き造り (佐賀県 唐津市 )

呼子といえばイカ。玄界灘は対馬海流で育ったケンサキイカの好漁場で、多くの水揚げがある。透明度抜群の「イカの活き造り」を目当てに多くの人が訪れる。40年ほど前に、地元の料理店がイカの活き造りを出したのがきっかけとされる。それまでも刺身では出してはいたが、生きたままのイカをさばくことはしなかったという。呼子にある10数店舗...