軽井沢保養地かるいざわほようち

碓氷峠(うすいとうげ)を越えると、冷気が一瞬のうちに身を包む。夏でも平均最高気温*が26℃程度という軽井沢は浅間山南東斜面のゆるやかな裾野、標高900~1,000mの部分を占め、国際的に名高い高原避暑地である。
 英国聖公会の宣教師として派遣されたアレキサンダー・クロフト・ショーが、その高原や気候風土などが避暑地として好適であるとして、別荘を建てて以来急速に発展し、今日では非常に多くの別荘が立ち並んでいる。室生犀星、北原白秋*、堀辰雄*ら数え切れないほどの文人墨客に称賛され、当地で数多くの作品が産み出され、現在町内のいたるところに文学・記念碑が立っている。
 軽井沢はJR軽井沢駅の北方約1kmにある旧軽井沢を中心に、新軽井沢・中軽井沢・南軽井沢・信濃追分に大別される。JR信越本線の南側一帯を占める南軽井沢はゴルフ場やスキー場などのスポーツ施設が多い。
 上流階級の人たちの避暑地だった軽井沢は、近年ではその雰囲気を残したまま一般大衆の憩いの場と変わり、夏には当地を訪れる人たちで常住人口の10倍にもふくれあがる。また夏だけでなく、春・秋のトレッキング・サイクリング、冬のスキーと四季を通じて楽しめる保養地となっている。
#

みどころ

アレキサンダー・クロフト・ショーがこの地の冷涼さ、浅間山やスコットランドに似た一面草原の景観にほれ込んで別荘を建てたように、冷涼な気候、浅間山の景観が魅力である。さらに草原に植林されてきたカラマツを中心とした緑の豊富さが大きな発展のきっかけ。
 旧軽井沢の商店街や教会、テニスコートや宿泊施設などの賑わいが現在の観光客をひきつけている。また周辺部の多くの教会、ショッピングセンター、美術館や博物館、コンサートホールやゴルフやスキーなどのスポーツ施設の豊富さで保養地、リゾート地としての地位を確立している。
 歴史あるホテルや旅館、近代的なリゾートホテル、これらに加え温泉施設も人々をひきつける。
 日本でも屈指の野鳥の繁殖地で、カッコウ・シジュウカラ・ツツドリなど約120種類の野鳥が生息し、星野エリアには野鳥ノ森がありバードウォッチングも盛んである。
 北陸新幹線、上信越高速道路などの交通の便の良さが利便性を高めているが、一方ではゴールデンウィークや夏の期間の交通渋滞をひきおこし、別荘滞在者の悩みにもなっている。(林 清)
#

補足情報

*軽井沢の歴史:軽井沢町は江戸時代中山道の宿場町として栄えていたが、鉄道が横川まで開通すると中心が現在の駅方面へと移っていった。1886(明治19)年アレキサンダー・クロフト・ショーが当地を訪れて以来外国人の避暑地として栄え1899(明治32)年には900人程度が来訪したという。1915(大正4)年以降日本人向けの別荘開発が盛んになり西武鉄道なども参入して拡大していった。太平洋戦争時代には外国人の疎開地となり各国大使館が移転してきて戦後は米国占領軍の避暑、ゴルフが盛んになった。1957(昭和32)年に平成天皇(現上皇)と上皇妃殿下が軽井沢のテニスコートでの出会いをきっかけに成婚に至り、話題となって軽井沢の知名度を飛躍的に高めた。1995(平成7)年以降ショッピングプラザをはじめとして新しい施設が続々開発され、長野新幹線の開通と合わせ大きく変貌してきた。このように時代時代によって変化をとげ現在に至っている。
*軽井沢の平均最高気温:1981~2010(昭和56~平成22)年の8月平均最高気温は25.9℃、平均気温は20.5℃である。ちなみに最近は気温上昇傾向にあり、2019(令和元)年8月の平均最高気温は26.8℃、平均気温は21.9℃となっている。
*北原白秋:1885~1942年。詩人・歌人。福岡県生まれ。詩集『邪宗門』で詩人としての地位を確立し、童謡・民謡にも新風を吹き込んだ。
*堀辰雄:1904~1953年。小説家で東京都出身。著書に『風立ちぬ』『菜穂子』など。芥川龍之介・室生犀星に師事し、中野重治・川端康成らと文芸活動を行う。1923(大正12)年初めて軽井沢を訪れ、のち追分の油屋にしばしば寄宿し文筆に励む。1953(昭和28)年多恵子夫人にみとられながら結核のため、追分の自宅で永眠。
関連リンク 軽井沢町(WEBサイト)
参考文献 軽井沢町(WEBサイト)
「美し村 軽井沢」パンフレット 軽井沢観光協会
「アイじゃぱん軽井沢」 JTB

2022年09月現在

※交通アクセスや料金等に関する情報は、関連リンクをご覧ください。