[Vol.31]瀬戸内海の魅力

 重なり合う島影、行き交う船、静かな波の音。瀬戸内海は、本当に見聞きして、思い描いていたとおりの穏やかな海だ。この海を見慣れていない頃は、ゆったりと流れる大河のように思えた。明治の頃、中国の政治家が瀬戸内海を見て「日本にも大きな川がある」と言ったという逸話があり、それを聞きかじっていたからかもしれない。

 香川県で暮らすようになって15年、さすがに今では海と思って見ているが、瀬戸内海は私が抱いていた海のイメージとはだいぶ違っていた。まず、海水特有のべたつきが少なく、磯の匂いも控えめだ。瀬戸内海は閉鎖海域で、多くの河川から淡水が流れ込むため、外洋と比べて塩分濃度が低いそうだ。それに、対岸が見えるからか、人影のない海辺でもさびれた感じがしない。古くから海上交通の要衝であり、この地域の住人にとって海は表玄関。人々を隔てるものではなく、つなぐものであり、海を挟んで向かい合う地域どうしは今も近しい。海より山派ではあるが、このように清潔感があり穏やかで明るい海なら、近くで暮らすのも悪くないと思えた。

高松港からフェリーで20分、女木島の海水浴場

 ところで、現在の瀬戸内海にあたる海域を「瀬戸内海」というくくりでとらえるようになったのは19世紀以降だという。古代から風光明媚の地として知られ、歌枕などが名所となっていたものの、それまでの日本ではもっと狭い海域や海岸、港といった個別の風景を愛で、瀬戸内海全体としてのイメージは持っていなかったようだ。幕末から明治時代にかけて、日本を訪れた西洋人が、目の前に広がる多島美と、この地であたりまえに見られる段々畑や白砂青松といった景観に魅了され、この海域をThe Inland Sea と呼んだ。瀬戸内の暮らしは、島の名前や景勝地のうんちくを語らずとも、近くのありふれた海岸や高台から日常的に美しい景色を眺められる。季節や天候、時間によって印象も変わり、今日はどのように見えるのかと毎朝ドアを開けるのが楽しみだ。

本州と四国のほぼ中間に位置する真鍋島(岡山県笠岡市)から見た佐柳島(香川県多度津町)

 そして、なんといっても700以上の島を有する多島海、瀬戸内海の最大の魅力は島である。香川県の主な有人島へは定期航路があり、長くても1時間程度の船旅だ。以前、島に赴任することになった知人が、船上からシルエットを見ただけでどの島かわかるようになりたいと話していて、とても共感した。瀬戸内海は陸地にはさまれた多島海なので、同じ島をいろいろな方角から見られるのだが、その見え方が思った以上に異なることがある。たとえば、高見島は多度津の町からは富士山のような形に見えるので、お茶椀を伏せたような島だと思っている人が多い。しかし、地図ではアボカドのような形をしていて、瀬戸大橋のあたりから見ると、南端のピークから北へ長く稜線を伸ばしていることがわかる。スケール感がつかめてくると、瀬戸内海の島めぐりは、まるで自分がジオラマに入り込んだような感覚を味わえて楽しい。

多度津側へ向かうフェリーから見た高見島とユリカモメ

沙弥島(香川県坂出市)の西ノ浜から見た高見島

 島では過疎と高齢化が進み、人が住まなくなった土地は植物の勢いに負けている。水道や電気はもちろん、携帯電話も通じる現代のこと、島の暮らしも本土の生活とそれほどかけ離れたものではない。それでも、島では時間がゆっくりと流れているような感覚になるのは、できるだけ島にあるもので生活するということが基本にあるからだと思う。島の外から物が入ってきにくく、いらなくなったものも簡単に捨てることができない。必然的に今あるものに手をかけて長く使う暮らしになる。実際は、普段の生活に時間と手間をかけられる人(または、かけたい人)が島に住んでいるともいえるのだが、今日を生きるためにこの一日を費やすようなシンプルな暮らしと、本来、生きるために必要であろう技術を失わずにいることを羨ましく感じる。ほとんどの島が固有の産業を持たなくなり、島民の多くは島の外の生活の経験している。案外さばけていて、異なる地での暮らしに対する想像力があり、少し身構えてやってくる、よそ者の気持ちをほぐしてくれる。

 2022年は瀬戸内国際芸術祭が5回目の開催を迎える。会期中は増便や新設航路によりアクセスが向上し、島での飲食の提供も増える。普段、観光客が来ることを想定していない島に出かけるのにはよい機会だ。

志々島(香川県三豊市)のパワースポット、大きなクスノキごしに海を望む

筆者

勝田 真由美

東京生まれ、東京育ち。2004年から香川県在住。瀬戸内国際芸術祭2013、2016に高見島のスタッフとして携わる。全国通訳案内士(英語)。

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