萩市
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長門峡 (山口県 山口市 / 山口県 萩市 )
長門峡*は山口市の北東部から萩市南東部をまたいで流れる阿武川を中心とした溪谷。北から流れる阿武川と南から流れる篠目川が合流する「道の駅長門峡」近くの丁字川出合淵から、下流の竜宮淵までの約5kmには遊歩道がありみどころとなっている。この渓谷は火山活動で生成された火山岩(流紋岩、安山岩)や凝灰岩などからなり、北西方向から侵...
東光寺 (山口県 萩市 )
JR山陰本線東萩駅から東へ約2kmの道のり、松陰神社の東、東光寺山の麓に寺域が広がっている。萩藩*1の三代藩主毛利吉就が1691(元禄4)年に建立した寺で、萩市街の西にある大照院と並んで毛利氏の菩提寺である。江戸中期の最盛期には堂塔40棟、僧侶80人を数えたというが、明治維新には寺禄を失い、往時の隆盛はない。しかし、黄檗(おうばく...
萩城跡 (山口県 萩市 )
萩市街の北西端に位置する指月山(しづきやま)*1の麓にある。萩藩祖である毛利輝元*2は、豊臣政権下では中国地方で約112万石を領していたが、関ヶ原の戦で西軍に加わり周防・長門2カ国約36万石に減封となり、本拠地も広島から萩に移されたため、輝元は萩城を1604(慶長9)年に着工し、4年をかけて築城した。以後13代*3を重ね、1863(文久...
萩の城下町 (山口県 萩市 )
萩の城下町は、日本海に向って流れる阿武川の下流が二手にわかれて(東が松本川、西側が橋本川)できた三角州にある。1604(慶長9)年に萩藩*1の本拠地として毛利輝元*2は、三角州の北西部で日本海に突き出している指月山を背に萩城を築き、三角州に向かって城下町を整備した。 現在、世界文化遺産「明治日本の産業革命遺産」の構成資産...
松下村塾 (山口県 萩市 )
松下村塾は、JR山陰本線東萩駅から南東へ約1.4kmの道のりの松陰神社境内の中央にある。吉田松陰(よしだしょういん)*1の父の弟である玉木文之進が、この地より約600m東にある自宅に私塾を開いたのが起こりで、松陰が幕末・明治維新の人材を育てたところとして名高い。 松陰がこの塾を継いだのは、実家杉家において幽囚の身であった1857...
須佐ホルンフェルス (山口県 萩市 )
北長門海岸国定公園の東端。須佐湾の東、標高532.8mの高山(こうやま)*が日本海に突き出した西麓に縞模様がくっきりとした須佐ホルンフェルスと呼ばれる海食崖がある。JR山陰本線須佐駅から北へ約4kmの道のり。 須佐ホルンフェルスは、海底に堆積した須佐層群(砂泥互層)に対し、約1,500万年前に高温の火成岩体[高山(こうやま)斑れ...

大照院 (山口県 萩市 )
JR山陰本線萩駅から西へ約1kmに位置する臨済宗南禅寺派の寺院。萩藩7代*1にわたる藩主夫妻が墓地に眠ることで名高い。 1651(慶安4)年に亡くなった萩藩初代藩主毛利秀就(ひでなり)*2は、当時歓喜寺*3と呼ばれていた当寺に葬られた。2代藩主綱広(つなひろ)は父の菩提を弔うため寺の改築を始め、1656(明暦2)年に完工。亡き父の法...