河口湖
富士五湖*は富士山の北麓、山梨県側に東から山中湖、河口湖、西湖、精進湖、本栖湖の順で並んでいる。
そのなかで五湖観光の中心になっているのが河口湖である。面積は548万m2、湖岸線は19km。面積は山中湖に次いで二番目だが、湖岸線は複雑でもっとも長い。標高は833mで五湖の中ではもっとも低いが、気候は高原のような清涼感があり、湖周辺は富士山の景観とあいまって古くから別荘地が開発され、避暑地として人気が高い。湖中には五湖唯一の浮島、鵜(う)ノ島がある。
北側は御坂山地・三ツ峠山が迫り、南は富士を置いている。湖の東寄りに河口湖大橋が架られており、北岸から新御坂トンネル*を抜け、甲府盆地への要路となっている。河口湖からの富士は左右対象の長い裾をひき、女性的であるといわれ、東岸の産屋ガ崎*、北岸の長崎などから見るさかさ富士*が有名である。東南岸の船津地区は宿泊施設や船着場・天上山ロープウェイなどがあって河口湖観光の中心になっている。東岸から北岸にかけては近年、数多くの宿泊施設や美術館、公園などの観光施設*が整備され河口湖観光の魅力を増している。
例年、8月5日には、河口湖湖上祭*も開かれ、多くの観光客を集めている。
そのなかで五湖観光の中心になっているのが河口湖である。面積は548万m2、湖岸線は19km。面積は山中湖に次いで二番目だが、湖岸線は複雑でもっとも長い。標高は833mで五湖の中ではもっとも低いが、気候は高原のような清涼感があり、湖周辺は富士山の景観とあいまって古くから別荘地が開発され、避暑地として人気が高い。湖中には五湖唯一の浮島、鵜(う)ノ島がある。
北側は御坂山地・三ツ峠山が迫り、南は富士を置いている。湖の東寄りに河口湖大橋が架られており、北岸から新御坂トンネル*を抜け、甲府盆地への要路となっている。河口湖からの富士は左右対象の長い裾をひき、女性的であるといわれ、東岸の産屋ガ崎*、北岸の長崎などから見るさかさ富士*が有名である。東南岸の船津地区は宿泊施設や船着場・天上山ロープウェイなどがあって河口湖観光の中心になっている。東岸から北岸にかけては近年、数多くの宿泊施設や美術館、公園などの観光施設*が整備され河口湖観光の魅力を増している。
例年、8月5日には、河口湖湖上祭*も開かれ、多くの観光客を集めている。
みどころ
谷崎潤一郎は「細雪」のなかで、河口湖畔の「富士ビューホテル」での情景を「この山間の空気の類なく清澄なせいなのである。幸子は着いた翌日の午後、昼の食事のあとで、暫くベッドへ仰向けに臥てじっと天井を視詰めていたが、そうしていても、一方の窓からは富士の頂が、他の方の窓からは、湖水を囲繞する山々の起伏が、彼女の視野に這入って来た。彼女は何と云うこともなく、まだ行ったことのない瑞西あたりの湖畔の景色を空想したり」し、「清冽な湖水の底にでもいるように感じ」さえしたと、河口湖畔の空気感、清浄感を描いている。現在でも、この雰囲気が残されており、河口湖の楽しみ方のひとつだ。
河口湖畔には数多くの美術館、博物館や公園があり、湖畔沿いの遊歩道も整備されているので、河口湖に映るさかさ富士を眺めながらこれらを巡るのも面白い。
夏の湖上祭での華やかな花火も美しいが、冬に開催される「河口湖冬花火」は寒く澄み切った空気に打ち上がる花火が色鮮やかで漆黒の冬の空に際立つ。風がなく湖面が穏やかなときは、河口湖に映る「逆さ花火」も楽しめる。
河口湖畔には数多くの美術館、博物館や公園があり、湖畔沿いの遊歩道も整備されているので、河口湖に映るさかさ富士を眺めながらこれらを巡るのも面白い。
夏の湖上祭での華やかな花火も美しいが、冬に開催される「河口湖冬花火」は寒く澄み切った空気に打ち上がる花火が色鮮やかで漆黒の冬の空に際立つ。風がなく湖面が穏やかなときは、河口湖に映る「逆さ花火」も楽しめる。
補足情報
*富士五湖の成り立ち:
本栖・精進・西湖の3つの湖は、水面の標高が同一であることから、遥かな昔に「古䆜の海」(こせのうみ)という富士山北西面を取囲む巨大な湖であったと考えられている。その東方には古い河口湖が存在した。忍野八海は忍野湖が干上がったものとみられている。これらの湖沼は、富士山の伏流水や周辺の山々からの陸水を溶岩が堰き止めて形成された。
河口湖は、船津溶岩の流下により、縄文時代前期から中期(6、000~4、500年前)の遺物を伴出する船津浜中村遺跡を覆って、河口湖の南岸を堰き止めて現在の形になった。古䆜の海には溶岩が流入し、本栖湖と䆜の海に分断した。そして、次の貞観大噴火(864年)で流れ出た膨大な青木ヶ原溶岩は、富士山北西麓にあった䆜の海に流入して大半を埋め、残った部分が西湖と精進湖となった。その後に流出したとされる鷹丸尾溶岩流は、桂川上流部を堰き止め、山中湖が誕生した。現在の富士五湖の姿は、富士山の火山活動を反映している。
*新御坂トンネル:河口湖から甲府盆地に抜ける延長2778mのトンネル。このトンネルの上が御坂峠(標高1520m)で、その直下を旧御坂隧道が通っている。この隧道の河口湖側には太宰治が「富嶽百景」を執筆した「天下茶屋」が現在も営業している。「富嶽百景」は「富士には、月見草がよく似合ふ」の言葉が有名だが、その伏線として「まんなかに富士があつて、その下に河口湖が白く寒々とひろがり、近景の山々がその両袖にひつそり蹲つて湖を抱きかかへるやうにしてゐる。…中略 …これは、まるで、風呂屋のペンキ画だ。芝居の書割だ」と河口湖まで引き合いに出し、注文通りの景観だとして腐しているが、「富士に就いて」では「富士は、熔岩の山である。あかつきの富士を見るがいい。こぶだらけの山肌が朝日を受けて、あかがね色光っている。私は、かえって、そのような富士の姿に、崇高を覚え、天下第一を感ずる」とも記している。
*産屋が崎:松尾芭蕉は、1683(天和3)年に甲州谷村藩に寄寓していたが、この地で「雲霧の暫時百景をつくしけり」と詠んだ。この句を詠んだ情景について井伏鱒二の「岳麓点描」では「産屋ヶ崎は逆さ富士がよく見える場所で、百姓一揆の殉難者を供養する六地蔵が立ってゐる…中略…ここから見た富士には雲も霧もなくて、正月の飾餅の形をしたような笠雲が頂上に被さってゐた」と描写している。現在、産屋が崎には芭蕉の句碑も建つ。
*さかさ富士:湖面にうつる富士山を呼び、湖面に波のない日で朝夕のなぎの時に見られる。富士山が湖面にうつるところなら五湖のどこでも見られるが、河口湖からのさかさ富士の景観は古くからの典籍、文学等でもよく取り上げられている。
*観光施設:北岸には、久保田一竹美術館、富士山をテーマにした河口湖美術館、アンティーク オルゴールの博物館である河口湖音楽と森の美術館、ブルーベリーの里河口湖自然生活館があり、河口湖越しの富士山の景観が素晴らしい大石公園などがある。
*河口湖湖上祭:河口浅間神社の例祭「身曽岐祭」から起こった祭りで旧暦の6月30日に催され、1917(大正6)年から花火を打ち上げるようになった。その後、現在の8月5日開催となり、富士五湖で夏季に行われる花火大会の最後を締めくくる。特大スターマインや大玉連発花火、ミュージカルスターマインなど前夜祭・本祭合わせ約1万発が夏の湖畔を彩る。
本栖・精進・西湖の3つの湖は、水面の標高が同一であることから、遥かな昔に「古䆜の海」(こせのうみ)という富士山北西面を取囲む巨大な湖であったと考えられている。その東方には古い河口湖が存在した。忍野八海は忍野湖が干上がったものとみられている。これらの湖沼は、富士山の伏流水や周辺の山々からの陸水を溶岩が堰き止めて形成された。
河口湖は、船津溶岩の流下により、縄文時代前期から中期(6、000~4、500年前)の遺物を伴出する船津浜中村遺跡を覆って、河口湖の南岸を堰き止めて現在の形になった。古䆜の海には溶岩が流入し、本栖湖と䆜の海に分断した。そして、次の貞観大噴火(864年)で流れ出た膨大な青木ヶ原溶岩は、富士山北西麓にあった䆜の海に流入して大半を埋め、残った部分が西湖と精進湖となった。その後に流出したとされる鷹丸尾溶岩流は、桂川上流部を堰き止め、山中湖が誕生した。現在の富士五湖の姿は、富士山の火山活動を反映している。
*新御坂トンネル:河口湖から甲府盆地に抜ける延長2778mのトンネル。このトンネルの上が御坂峠(標高1520m)で、その直下を旧御坂隧道が通っている。この隧道の河口湖側には太宰治が「富嶽百景」を執筆した「天下茶屋」が現在も営業している。「富嶽百景」は「富士には、月見草がよく似合ふ」の言葉が有名だが、その伏線として「まんなかに富士があつて、その下に河口湖が白く寒々とひろがり、近景の山々がその両袖にひつそり蹲つて湖を抱きかかへるやうにしてゐる。…中略 …これは、まるで、風呂屋のペンキ画だ。芝居の書割だ」と河口湖まで引き合いに出し、注文通りの景観だとして腐しているが、「富士に就いて」では「富士は、熔岩の山である。あかつきの富士を見るがいい。こぶだらけの山肌が朝日を受けて、あかがね色光っている。私は、かえって、そのような富士の姿に、崇高を覚え、天下第一を感ずる」とも記している。
*産屋が崎:松尾芭蕉は、1683(天和3)年に甲州谷村藩に寄寓していたが、この地で「雲霧の暫時百景をつくしけり」と詠んだ。この句を詠んだ情景について井伏鱒二の「岳麓点描」では「産屋ヶ崎は逆さ富士がよく見える場所で、百姓一揆の殉難者を供養する六地蔵が立ってゐる…中略…ここから見た富士には雲も霧もなくて、正月の飾餅の形をしたような笠雲が頂上に被さってゐた」と描写している。現在、産屋が崎には芭蕉の句碑も建つ。
*さかさ富士:湖面にうつる富士山を呼び、湖面に波のない日で朝夕のなぎの時に見られる。富士山が湖面にうつるところなら五湖のどこでも見られるが、河口湖からのさかさ富士の景観は古くからの典籍、文学等でもよく取り上げられている。
*観光施設:北岸には、久保田一竹美術館、富士山をテーマにした河口湖美術館、アンティーク オルゴールの博物館である河口湖音楽と森の美術館、ブルーベリーの里河口湖自然生活館があり、河口湖越しの富士山の景観が素晴らしい大石公園などがある。
*河口湖湖上祭:河口浅間神社の例祭「身曽岐祭」から起こった祭りで旧暦の6月30日に催され、1917(大正6)年から花火を打ち上げるようになった。その後、現在の8月5日開催となり、富士五湖で夏季に行われる花火大会の最後を締めくくる。特大スターマインや大玉連発花火、ミュージカルスターマインなど前夜祭・本祭合わせ約1万発が夏の湖畔を彩る。
関連リンク | 富士河口湖町観光連盟(WEBサイト) |
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関連図書 | 谷崎潤一郎「細雪」古典教養文庫Kindle版、太宰治「富嶽百景」「富士に就いて」太宰治全集Kindle版、井伏鱒二「岳麓点描」井伏鱒二全集第26巻 筑摩書房 |
参考文献 |
富士河口湖町観光連盟(WEBサイト) 富士参詣の道を往く(山梨県富士山世界文化遺産保存活用推進協議会)(WEBサイト) 世界遺産富士山構成資産ガイドブック(WEBサイト) |
2024年07月現在
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