本栖湖もとすこ

富士五湖*は富士山の北麓、山梨県側に東から山中湖、河口湖、西湖、精進湖、本栖湖の順で並んでいる。
 もっとも西にある本栖湖は、標高900m、面積は470万㎡と3番目の大きさで、最大水深が121.6mともっとも深く、湖水の透明度も高い。
 北西南の三方を山に囲まれ、東は青木ヶ原樹海と大室山を前に富士山が望むことができ、静岡県の富士宮市に通じる国道139号が通る。北岸には下部温泉、身延山方面への国道300号線が通り、国道から山に入った中ノ倉峠展望地*からの眺望は、本栖湖に映るさかさ富士で知られ、千円札の裏面の図柄となっている。西・南岸は、標高1485mの竜ヶ岳を中心に県有林「本栖の森」としてキャンプ場やハイキングコースなどが整備され、深閑とした樹林帯が続く。湖の南東には、芝桜で知られる富士本栖湖リゾートがある。 ヒメマスやブラックバスのフィッシング、カヤック、ウインドサーフィン、トレッキングなどのアクティビティも楽しめる。
 例年、8月3日には神湖祭*が開催される。
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みどころ

本栖湖は、富士五湖のなかでは水深がもっとも深く、湖水の透明度が高いため、コバルト色の湖水に山の緑が影を落として神秘的な雰囲気を醸し出している。
 作家武田泰淳とその妻武田百合子は本栖湖にほど近い鳴沢村の別荘地に山荘を構え、後半生の13年間を過ごし、武田百合子が中心となって「富士日記」を残している。日記で富士五湖の自然を愛し、地元の人たちの触れ合いを大切にしていたことを綴っているが、とくに本栖湖を四季折々に訪れ、例えば、新緑の時期には「湖を取り囲む山々の雑木は若緑にもえ上がって、湖水の蒸気で煙っている…中略…眠気が襲ってくるのは、若葉がふきかけてくる酸素のせいだ」と、また、紅葉期には「西湖から本栖湖に達する樹海の紅葉は、なるほどモミジとはこんなに美しいかと感じ入るほど、すばらしい」と描写している。
 中ノ倉峠展望地までは登山道を徒歩で30分ほどかかるが、千円札の裏面の構図そのままの素晴らしい景観が楽しめる。登山口となっている駐車場の展望台からでも、視線は低くなるものの、さかさ富士の美しさは十分に味わえる。
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補足情報

*富士五湖の成り立ち:
 本栖・精進・西湖の3つの湖は、水面の標高が同一であることから、遥かな昔に「古䆜の海」(こせのうみ)という富士山北西面を取囲む巨大な湖であったと考えられている。その東方には古い河口湖が存在した。忍野八海は忍野湖が干上がったものとみられている。これらの湖沼は、富士山の伏流水や周辺の山々からの陸水を溶岩が堰き止めて形成された。
 河口湖は、船津溶岩の流下により、縄文時代前期から中期(6、000~4、500年前)の遺物を伴出する船津浜中村遺跡を覆って、河口湖の南岸を堰き止めて現在の形になった。古䆜の海には溶岩が流入し、本栖湖と䆜の海に分断した。そして、次の貞観大噴火(864年)で流れ出た膨大な青木ヶ原溶岩は、富士山北西麓にあった䆜の海に流入して大半を埋め、残った部分が西湖と精進湖となった。その後に流出したとされる鷹丸尾溶岩流は、桂川上流部を堰き止め、山中湖が誕生した。現在の富士五湖の姿は、富士山の火山活動を反映している。
 本栖・精進・西湖が、元は「古䆜の海」という一つの大きな湖だったことの裏付けとして、3つの湖は現在も常に水位が連動しているという。湖同士が地下でつながっていることを推測させるものと注目されている。
*中ノ倉峠展望地:国道300号線中ノ倉トンネル脇の駐車場(本栖湖側)から登山道を約680m、徒歩約30分の道のり。
*神湖祭:子ども神輿など手作り感のあふれるお祭り。花火の打ち上げも1000発ほどだが、間近にみることができる。