精進湖しょうじこ

富士五湖*は富士山の北麓、山梨県側に東から山中湖、河口湖、西湖、精進湖、本栖湖の順で並んでいる。
 精進湖は面積51万㎡、周囲6.8kmと五湖中もっとも小さな湖で、平均水深も7mともっとも浅い。
 東・北・西の三方を山に囲まれ、南側は青木ガ原溶岩流が張り出し、南岸の一部には黒い溶岩流が剥き出しになっており、大室山を裾野に抱える「子抱き富士」や青木ヶ原樹海の眺めと合わせ、神秘的な景観を作り出している。この景観と清涼な気候を求め、明治時代から避暑地として開発*された。北岸の精進集落付近が精進湖観光の中心。ヘラブナの宝庫として有名なフィッシングをはじめ、カヌー、キャンピング、トレッキング*などアウトドアスポーツが楽しむことができる。
 例年、8月4日に涼湖祭*が開催される。
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みどころ

北原白秋は精進湖の西岸、パノラマ台で「青木繁む富士の裾原風乱り行きはしる雲の絶ゆる間もなし」(歌集「夢殿 富士五湖」)と「子抱き富士」を詠んでいる。精進湖のみどころのひとつは、他の湖では見られない青木ヶ原樹海越しの大室山を抱えた富士山の景観であろう。また、湖畔には溶岩流の流入したことがはっきりと分かる場所もあり、特異な景観も興味深い。
 富士五湖のなかでもっとも小さく、水深の浅い湖ではあるが、そのこじんまりとして静寂あふれる湖畔にたたずめば、避暑地として日本で初めての外国人専用ホテルが建てられた歴史も納得できる。
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補足情報

*富士五湖の成り立ち:
 本栖・精進・西湖の3つの湖は、水面の標高が同一であることから、遥かな昔に「古䆜の海」(こせのうみ)という富士山北西面を取囲む巨大な湖であったと考えられている。その東方には古い河口湖が存在した。忍野八海は忍野湖が干上がったものとみられている。これらの湖沼は、富士山の伏流水や周辺の山々からの陸水を溶岩が堰き止めて形成された。
 河口湖は、船津溶岩の流下により、縄文時代前期から中期(6、000~4、500年前)の遺物を伴出する船津浜中村遺跡を覆って、河口湖の南岸を堰き止めて現在の形になった。古䆜の海には溶岩が流入し、本栖湖と䆜の海に分断した。そして、次の貞観大噴火(864年)で流れ出た膨大な青木ヶ原溶岩は、富士山北西麓にあった䆜の海に流入して大半を埋め、残った部分が西湖と精進湖となった。その後に流出したとされる鷹丸尾溶岩流は、桂川上流部を堰き止め、山中湖が誕生した。現在の富士五湖の姿は、富士山の火山活動を反映している。
 本栖・精進・西湖が、元は「古䆜の海」という一つの大きな湖だったことの裏付けとして、3つの湖は現在も常に水位が連動しているという。湖同士が地下でつながっていることを推測させるものと注目されている。
*避暑地として開発:1985(明治28)年、英国人ハリー・スチュワート・ホイットウォーズ(のちに日本に帰化、日本名・星野芳春)が富士山をもっとも美しく眺められる地として精進湖を選び、永住の地として定め、日本初の外国人専用ホテルを1896(明治29)年に湖畔に開業。それを契機に、ホイットウォーズの尽力によって明治末から大正、昭和にかけて精進湖は避暑地として内外に知られるようになり、多くの外国人観光客が訪れた。
*トレッキング:湖畔周辺にはフットパスのコースも設定されているが、精進湖や、子抱き富士、青木ヶ原の眺望を楽しむなら、西岸のパノラマ台(標高1325m)へ登るのも良い。湖畔との標高差は400mほど。所要は徒歩1時間程度。
*涼湖祭:「花火と音楽の祭典」として開催され、河口湖の湖上祭のような華やかさはないが、夏のリゾートとしてファミリーが楽しめる親しみのあるプログラムが用意されている。