山中湖やまなかこ

富士五湖*は富士山の北麓、山梨県側に東から山中湖、河口湖、西湖、精進湖、本栖湖の順で並んでいる。
 そのなかで山中湖は湖面標高が980mでもっとも高く、面積も657万㎡ともっとも大きい。湖岸線は比較的単純で、その形から三日月湖・臥牛湖などの別名をもっている。
 山中湖の名の通り、北は大平山、東は高指山・三国山、南は籠坂峠などのなだらかな山々に囲まれ、湖畔にはカラマツ林もあって、すがすがしい環境。南西に望む富士は男性的で力強く、北岸からは湖面に映るさかさ富士や赤富士、紅富士*を望むことができる。
 南岸の旭日丘は、古くから別荘開発が進み、旅館、保養所、セミナーハウスなどの宿泊施設やキャンプ場も多く、山中湖文学の森公園*には三島由紀夫文学館や徳富蘇峰館があるほか、近くには小さな美術館などが点在する。アクティビティとしてカヌー、サイクリング、ワカサギなどのフィッシング、キャンピング、ハイキングなどを楽しむことができるほか、周辺には、花の都公園*や富士山を間近に仰ぐ絶景の露天風呂がある村営の日帰り温泉施設「紅富士の湯」などがある。 
 例年、8月1日には報湖祭*が開催され、湖畔の各地区で花火が打ち上げられる。
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みどころ

山中湖は標高が富士五湖のなかでもっとも高く、富士山までの距離ももっとも近い湖。このため、富士山の眺望が素晴らしく、とくに空気が澄んでいる秋から冬にかけては、真っ白な雪を被った迫力ある山容をみせてくれる。三島由紀夫は、小説「豊饒の海 暁の寺」の中で、冬の山中湖と富士山について、「山中湖畔の疎林の地面は縮羅のような凍雪におおわれていた。松は黄ばみ、湖の水にだけうららかな色があった。見返る富士の白い肌、この地方のすべての白の源泉は、油を塗ったように光っていた」と描写し、この地から見た紅富士を「薔薇輝石色にかがやく山頂は、まだ夢中の幻を見ているかのように、寝起きの彼の瞳に宿った。それは端正な伽藍の屋根、日本の暁の寺の姿だった」と表現している。
 大正末期から別荘開発が始まった山中湖だけに標高1000mに近いこともあって、清々しい空気に包まれ、避暑地として最適。湖でのウオータースポーツはもちろん、サイクリング、ハイキングなどのアクティビティも充実している。
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補足情報

*富士五湖の成り立ち:
 本栖・精進・西湖の3つの湖は、水面の標高が同一であることから、遥かな昔に「古䆜の海」(こせのうみ)という富士山北西面を取囲む巨大な湖であったと考えられている。その東方には古い河口湖が存在した。忍野八海は忍野湖が干上がったものとみられている。これらの湖沼は、富士山の伏流水や周辺の山々からの陸水を溶岩が堰き止めて形成された。
 河口湖は、船津溶岩の流下により、縄文時代前期から中期(6000~4500年前)の遺物を伴出する船津浜中村遺跡を覆って、河口湖の南岸を堰き止めて現在の形になった。古䆜の海には溶岩が流入し、本栖湖と䆜の海に分断した。そして、次の貞観大噴火(864年)で流れ出た膨大な青木ヶ原溶岩は、富士山北西麓にあった䆜の海に流入して大半を埋め、残った部分が西湖と精進湖となった。その後に流出したとされる鷹丸尾溶岩流は、桂川上流部を堰き止め、山中湖が誕生した。現在の富士五湖の姿は、富士山の火山活動を反映している。
*さかさ富士や赤富士、紅富士:山中湖の北岸は、良く晴れた日で風がなく波立っていない湖面に、全山を映すさかさ富士の絶好のビューポイント。さらに山中湖畔には、晩夏から初秋にかけての早朝に、富士山の山肌が朝日に照らされ暗褐色に彩られる「赤富士」や、真冬の朝夕に雪が積もった白い山容に光があたり、鮮やかな紅色に染る「紅富士」のビューポイントも多い。また、夕日が富士山の山頂付近に沈むダイヤモンド富士も湖を挟んで見ることができ、とくに冬が良い。
*山中湖文学の森公園:約8万6千㎡の自然あふれる園内には、三島由紀夫文学館や徳富蘇峰館などの5つの文化施設があり、木立を縫った散策路には歌碑、句碑も点在している。三島由紀夫文学館には直筆原稿、創作・取材ノート、書簡、絵画などが収蔵され、三島文学の真髄に触れることができ、徳富蘇峰館では明治から昭和にかけて活躍したジャーナリスト・歴史家・思想家の蘇峰の業績を知ることができる。
*花の都公園:山中湖湖畔近くの約30万㎡の園内には、富士山を背景に四季折々の花が無料で楽しめる花畑・農園エリアと、水遊具広場、溶岩樹型地下観察体験ゾーン、全天候型温室などが整備された有料の清流の里がある。
*報湖祭:大正時代から始まり、徳富蘇峰によって命名された夏祭り。富士五湖のトップを切る花火大会。湖に感謝する祭りとして、毎年8月1日に開催されている。

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