田平天主堂たびらてんしゅどう

平戸島の対岸、平戸大橋の南、車で10分にある煉瓦造の教会。この地区は、1886(明治19)年、黒島教会のラゲ神父が、自費で原野1町歩(約1ha)を買って、黒島から3家族を移住させ、続いて翌年、出津教会のド・ロ神父が1町歩を買って4家族を移住させたりして、次第に移住者がふえ、キリシタンの集落となった。
 彼らは1888(明治21)年に仮聖堂を建てたが、1914(大正4)年に着任した中田藤吉神父が教会堂の建設を発案すると、信者の積立金、各地からの募金、フランスの篤志家からの大口寄付を建設資金とし、信者の労働奉仕により、1918(大正7)年に完成した。
 設計と施工は、多くの教会堂建築を手がけ、教会建築の父と呼ばれる鉄川与助*。鉄川が手掛けた最後の煉瓦造教会で、彼の煉瓦建築の最高峰とも称される。国の重要文化財に指定されている。周囲にはカトリックの墓地が広がる。
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みどころ

田平教会では、張り出した特徴的な3層の高い塔屋を持っている。第1層が玄関部、第2層が3連アーチの縦長窓、第3層が鉄川独特の十字架をいただく八角ドームを乗せた鐘塔で、荘厳な重みを増している。煉瓦の色づかいと積み方に変化を持たせている*ことで、複雑な陰影がうまれ、それによって重々しく荘厳な美しさを漂わせている。外観の重々しさに対して、内部は、薄いグリーンの柱が並び、金色の装飾や椿の花の浮き彫りなどが見られ、晴れやかで軽やかな空間が広がっている。外と内、二つの異なる美しさが印象的な教会である。
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補足情報

*鉄川与助:1879-1976。長崎県南松浦郡魚目村(現 新上五島町)に生まれる。ド・ロ神父に教会建築の指導を受け、後に独自に数多くの教会堂の建築に携わった。30余りの天主堂を設計し、そのうちのいくつかは国の重要文化財に指定されている。
*煉瓦の積み方:たとえば正面は、長い煉瓦と短い煉瓦を一段ごとに交互に積み重ねるイギリス積みを主体としながら、所々に色合いの異なる煉瓦を用いて、短い煉瓦のみを積み重ねる小口積みという手法を採り入れることで、模様を描き出している。
*建てるとき使用された石灰は、平戸の信徒の協力を得て集められた貝殻を焼いて作られた。その貝殻を焼いた跡が、教会の前にいまも残されている。
*田平天主堂の見学には、「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産インフォメーションセンター(http://kyoukaigun.jp/)」への事前連絡が必要。
関連リンク 平戸市文化観光商工部観光課(WEBサイト)
参考文献 平戸市文化観光商工部観光課(WEBサイト)
長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産インフォメーションセンター(WEBサイト)
現地の案内板
「長崎の世界遺産めぐり「オトナ周楽旅行」ハンドブック」(一般社団法人 長崎県観光連盟 2019年1月)
「長崎・天草の教会と巡礼地完全ガイド」長崎

2024年10月現在

※交通アクセスや料金等に関する情報は、関連リンクをご覧ください。

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