忍野八海おしのはっかい

はるか昔の忍野八海の周辺には、富士山の伏流水を溶岩がせき止めて形成された忍野湖があったとみられている。この忍野湖の水位が下がり、湧水口が池として残ったのが忍野八海*で、富士山東麓忍野村(忍草)に点在する、湧池*、出口池*、お釜池、濁池、鏡池、菖蒲池、底抜池*、銚子池の8つの池のことを指す。
 富士山に降った雨や雪が溶岩の間で歳月をかけてろ過され清澄な水となり伏流し、山麓で湧水しているため透明度が極めて高く、その水面に映す富士山の姿とあいまって、山中湖などの湖水景観とは趣の異なる田園風景となっている。
 かつては八海めぐり*が富士山信仰における禊の水行として行われていた。
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みどころ

現在、大半の池は土産物店や民家が池畔まで迫り、かつて岡田紅陽*が映したのどかな田園風景のなかの、澄み切った水面の池と富士の姿から変わってしまったが、池は透明度が極めて高く、神秘的であり、四季により様々に移り変わる富士の姿を水面に映し込んだ姿は絶景。
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補足情報

*忍野八海:水源は、富士山からの伏流水および杓子山~石割山からの伏流水。約1万年前以降に形成された新富士火山の透水層の地下水、あるいは約10万年前に形成された古富士山の堆積物の不透水層部より下方の透水層のうち、水圧の高い地下水が湧き出していると思われる。
*湧池:湧水量が豊富で、揺れ動く水草や吸い込まれるように透明で深い水底の景観が美しい。風情を醸し出すため、水車小屋などもあるが、池の畔には土産物屋が立ち並んでおり、賑やか。
*出口池:最も面積が広い池。他の池から離れた所にある。後方は山で、林のなかに出口稲荷大明神がある。周囲には土産物屋などもなく、もっとも自然の姿を残している。
*底抜池:18世紀後半に建てられた茅葺き民家を開放した「榛の木林資料館」(有料)の敷地内にある。池は樹林が生い茂るひっそりとした場所にある。
*八海めぐり:江戸後期、富士講の信者が富士山登拝の前に忍野八海で禊の水行を行った。そのため、忍野八海は「富士山根元八湖」とも呼ばれていた。このほか、「内八湖」、「富士外八湖」など、同様の禊の池、湖があった。しかしながら明治初期の神仏分離令により、富士講は衰退した。「内八海」は山中湖、河口湖、西湖、精進湖、本栖湖と富士吉田市にある明見湖、泉瑞(もしくは須戸湖)、それに山梨県市川三郷町の四尾連湖の八つの湖とされ、「富士外八湖」は琵琶湖、二見浦、箱根湖(芦ノ湖)、諏訪湖、中禅寺湖、榛名湖、桜池(静岡県御前崎市)、鹿島海(霞ヶ浦)だとされている。
*岡田紅陽:写真家。1895(明治28)~1972(昭和47)年。新潟県十日町市中条町生まれ。生涯にわたり富士山を撮り続け、千円札の裏面のデザインのもとになった本栖湖のさかさ富士も撮った。忍野八海と富士山の四季折々の写真も多い。忍野八海の近く、四季の杜おしの公園内に岡田紅陽写真美術館がある。