円覚寺えんがくじ

北鎌倉駅のすぐ東に接する臨済宗円覚寺派の大本山。鎌倉五山の第二位に列せられている。1282(弘安5)年8代執権北条時宗が元寇の戦いの双方の戦死者を弔うために宋の高僧無学祖元*を招いて開山とし、この地に禅院を開いたのが始まりで、寺名は寺の起工の際、地中から円覚経を収めた石櫃(せきひつ)が出現したことによるという。その後、数度の火災に見舞われたが、江戸幕府の保護によって寺は復興した。
 山内は広く、老杉におおわれ、総門・山門・ボタンの名所松嶺院、本尊である宝冠釈如来像をまつる仏殿、続いて坐禅を組む道場として建てられた茅葺き屋根の選仏場、勅使門、法話を聞いて坐禅を行う会が開かれる方丈、さらに奥には仏日庵がある。これら伽藍が一直線に並び、周囲に塔頭16院を控えている。総面積は6万m2に及び、境内全域が国の史跡指定である。
 わが国の唐様(禅宗様)建築*を代表し釈迦の遺骨をまつる国宝の舎利殿や、鎌倉時代の代表的名鐘といわれる洪鐘*が国宝に指定されている。
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みどころ

建長寺、鶴岡八幡宮、高徳院と並び、鎌倉を代表する寺社。現在でも早朝や土・日曜日には坐禅会が開かれており、会場には静謐な空気が漂っている。日本を代表する禅寺としての歴史が、長い時を超えて脈々と息づいていることに感嘆する。
 円覚寺は建物が一直線に並んでおり、白鷺池~総門~三門~仏殿~選仏場~居士林~妙香池~正続院(舎利殿)~仏日庵~続燈庵~黄梅院まで進み、ここから仏殿近くまで戻って左手に入り、勅使門~方丈~蔵六庵~鐘楼~帰源院~総門でほぼ一巡する(なお、山内の塔頭のうち、ふだん開放されているのは仏日庵と黄梅院の2ケ所のみ)。(溝尾 良隆)
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補足情報

*無学祖元:1226~1286年。臨済宗円覚寺派の始祖。中国宋の明州の生まれ。1279(弘安2)年、北条時宗の招請により渡来。建長寺住持を経て円覚寺開山となり、時宗をはじめ多くの鎌倉武将に禅を説き、深い影響を与えた。中国で元兵の襲来に遭ったとき、泰然として「珍重す大元三尺の剣、電光影裏春風を斬る」の偈を唱えた話は名高く、のちにこれは「臨剣の頌」といわれ、わが国の剣道の極意となった。入寂後、仏光国師と諡され、法脈は門下の高峰顕日(仏国国師)・夢窓疎石に受け継がれた。
*唐様(禅宗様)建築:鎌倉時代に禅宗とともに輸入された北宋の建築様式。禅宗寺院建築は後代までこの様式によった。木割細く、装飾的細部が多く、平安時代以来の建築様式(和様)に大きな影響を与えた。
*洪鐘:1301(正安3)年、9代執権北条貞時が物部国光に鋳造させたもの。総高259.5cm、口径142cmで鎌倉最大。形態も優美で鎌倉時代の代表的な秀作とされる。「風調雨順、国泰民安」の陽刻銘文は貞時の撰である。
*庭園は、総門下を走る横須賀線ぎわの白鷺池付近と、境内奥の妙香池を中心とした庭園の2ケ所に分かれる。白鷺池は宋の禅寺様式にならった左右相対の形。妙香池は夢窓疎石の築造と伝わる方形の池で、正面に虎頭岩と呼ぶ大岩を配している。
関連リンク 円覚寺(WEBサイト)
参考文献 円覚寺(WEBサイト)

2020年04月現在

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