建長寺けんちょうじ

臨済宗建長寺派の大本山で、鎌倉五山*の第一位に列する名刹。
 1253(建長5)年5代執権北条時頼が宋の蘭渓道隆*を開山として創建した寺で、わが国最初の臨済禅専門道場となった。かつては七堂伽藍、塔頭49院を備えていたが、たびたびの火災で堂宇のことごとくを焼失、江戸時代になって将軍家の寄進を受けて、ようやく寺運は復興した。 
 現諸堂宇は江戸時代以後に建てられたものが多いが、その伽藍配置は創建当時とほとんど変わりがなく、宋朝風禅寺の様式をうかがうことができる。総門*から三門*・仏殿*・法堂・庫裏などが直線上に並び、境内両側の山腹に西来庵・宝珠院など塔頭10院が点在し、境内最奥の山道は半僧坊へとつづく。方丈裏には心字池を配した庭園*がある。
#

みどころ

個々の堂宇の美しさもさることながら、なんといっても規模の大きさに圧倒される。まさに鎌倉五山第一位の禅寺として、日本の禅を牽引してきた風格が表れている。庭園は、簡素な造庭で雅趣深いものがあり、特に桜、アジサイ、ボタンの花どきは美しい。
 順路としては、総門~三門~鐘楼~仏殿~法堂~唐門*~龍王~庭園で所要約40分。半僧坊へは境内奥から約15分。山道にはなるがぜひ足を伸ばしたい。(溝尾 良隆)
#

補足情報

*鎌倉五山:鎌倉の大寺院には臨済宗の禅院が多い。これは、日本にはじめて坐禅の教えを説き広めた明庵栄西(1141~1215年)が、晩年鎌倉にあったことの影響が強くあらわれたものである。栄西は源頼朝を開基とした聖福寺を博多に、頼家を開基とした建仁寺を京都にそれぞれ開き、源家との関わりも深い。そして、鎌倉では、実朝を寿福寺で帰依させている。この寿福寺をはじめ鎌倉時代の大禅院を、中国南宋代の五山官寺制度を移入して列したのが鎌倉五山だ。鎌倉末期、北条貞時のころにはすでに成立していたとみられているが、五山のひとつとして史料上確認できるのは、浄智寺のみだという。その後、建武年間(1334~1338年)には、第一南禅寺、第二東福寺、第三建仁寺、第四建長寺、第五円覚寺と定められたとみられる。建武中興後は、京都に五山の中心が置かれることになり、1334(元弘3)年に南禅寺が五山第一に列せられた。さらに、再編を繰り返すが、1386(元中3・至徳3)年、将軍足利義満によって鎌倉、京都各五山がそれぞれ位次される。これで鎌倉五山と京都五山の序列がつぎのように確定した。鎌倉五山は、第一建長寺、第二円覚寺、第三寿福寺、第四浄智寺、第五浄妙寺。京都五山は第一南禅寺、第二天竜寺、第三建仁寺、第四東福寺、第五萬寿寺となった。
*蘭渓道隆:1213~1278年。宋僧。1246(寛元4)年33歳で来日。北条時頼の帰依が厚く、建長寺の開山となった。在住13年。のち京都の建仁寺に移ったが、再び鎌倉に帰った。1278(弘安元)年建長寺で入寂。大覚禅師の諡号を受ける。日本の禅師号の初めである。
*総門:巨福門ともいう。もと京都般舟三昧院にあったのを1940(昭和15)年に移築したもので、1783(天明3)年の建立。額の「巨福山」の「巨」の字の下には一つ点が加えられており、百貫点と呼ばれる。一山一寧の筆と伝わるもので、この点によって全体が引きしまって見え、百貫の価を添えたことが命名の理由。
*三門:1775(安永4)年の再建。入母屋造、唐破風5間に2間の裳階付き、銅板葺の壮大な楼門である。上層に五百羅漢像を安置するが非公開。
*仏殿:1647(正保4)年、徳川秀忠夫人の霊廟の拝殿を東京芝増上寺から移したもの。桁行3間、梁間3間、重層、寄棟造、裳階付き、瓦棒銅板葺で江戸時代の建築様式を伝えている。堂内には本尊地蔵菩薩坐像を中心に諸仏が並ぶ。仏殿前、樹齢760年のビャクシンの古木は前栽列樹と呼ばれ、道隆が宋から持参し移植したと伝えられる。
*庭園:方丈の背後の書院庭園で、北に丘を背負い、麓に蘸碧(さんぺき)池があり、その中に島があって橋がかけられている。開山蘭渓道隆の作庭と伝えるが現在のものは2003(平成15)年に整備されたもの。
*唐門:龍王殿と呼ばれる方丈の前にある。仏殿とともに徳川家の寄進により1647(正保4)年移建された。桁行1間、梁間1間、銅板葺。唐破風を正面にみせた向唐門である。
*昭堂は、鐘楼横の嵩山門を入った西来庵の中にある。1634(寛永11)年の建立で、寺中ではもっとも古い建物。桁行5間、梁間5間、寄棟造、茅葺。堂背後に接して開山堂があり、開山像を奉安している(非公開)。
*梵鐘は、山門右手の鐘楼にある。1255(建長7)年北条時頼が物部重光に鋳造させたもので、藤原時代の様式を伝え、鐘座の蓮弁、飛雲文、道隆撰の銘文などの陽鋳が美しい。建長寺創建当時の数少ない遺品の一つである。総高208.8cm、口径124.3cm。
*大覚禅師塔は、開山蘭渓道隆の墓で、113cm、径37cm。隣に円覚寺開山無学祖元*の無縫塔が立つ(非公開)。
*無学祖元:1226~1286年。臨済宗円覚寺派の始祖。中国宋の明州の生まれ。1279(弘安2)年、北条時宗の招請により渡来。建長寺住持を経て円覚寺開山となり、時宗をはじめ多くの鎌倉武将に禅を説き、深い影響を与えた。中国で元兵の襲来に遭ったとき、泰然として「珍重す大元三尺の剣、電光影裏春風を斬る」の偈を唱えた話は名高く、のちにこれは「臨剣の頌」といわれ、わが国の剣道の極意となった。入寂後、仏光国師と諡され、法脈は門下の高峰顕日(仏国国師)・夢窓疎石に受け継がれた。
関連リンク 建長寺(WEBサイト)
参考文献 建長寺(WEBサイト)

2020年04月現在

※交通アクセスや料金等に関する情報は、関連リンクをご覧ください。

あわせて行きたい