玉川温泉たまがわおんせん

JR花輪線鹿角花輪駅から南へ約35km、焼山(標高1,366m)の西麓、八幡平(1613m)と田沢湖を結ぶ道の途中、標高800mほどの所にある。温泉の周辺は、焼山の火山活動が活発で、いたるところから噴気があがっており、江戸時代からすでに硫黄が掘り出されていた。その際に温泉の湧出については、毒水*1源として確認されていた。1882(明治15)年に初めて温泉浴場の認可をうけ、昭和のはじめまでは鹿ノ湯あるいは酢湯(すかゆ)、渋黒温泉*2とも呼ばれていたが、1932(昭和7)年に湯瀬温泉の関直右衛門が権利を譲り受け、宿舎などの温泉設備を整備し、温泉名*3を玉川温泉とした。第2次世界大戦後、温泉までの道路も整備され、湯量の豊富さと強酸性の泉質で、効能のある湯治場として知られるようになった。
 現在は、大浴場を中心に自炊専門の棟と鉄筋建の旅館部や売店などが建ち並ぶ一軒宿。宿泊棟前から沢沿いに整備されている「玉川温泉自然研究路」を徒歩10分ほどのところに地熱を利用した岩盤浴*4が可能な小屋掛けがある。
 「玉川温泉自然研究路」は地獄地帯となっている沢沿いの一周約1kmの散策コースで、毎分9,000リットルの湧出し、轟音を立てて水蒸気を吹き上げる源泉「大噴(おおぶき)」をはじめ、盛んに噴湯・噴気が立ち上がり、活発な火山現象を観察することができる。ラジウムを含む「北投石」*5を産出することでも知られる。田沢湖と十和田・八幡平を結ぶ中継地で焼山登山の基地ともなっている。
 泉質は強酸性硫黄泉、源泉温度95~98℃。無色透明なぬるぬるした湯で飲用療法もある。宿泊施設は冬季休業(11月下旬~4月中旬)。
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みどころ

日本有数の酸性度が強い温泉といわれ、ラジウム温泉の一種でもある。宿の前にある焼山の大きな沢では、間近に火山現象を観察することができる。ここでの入浴法でもっとも特徴的なのは、沢沿いの地熱の高い地獄地帯における、地熱を利用して体を温める「岩盤浴」だろう。岩盤浴用の沢奥の小屋掛け以外にも玉川自然研究路沿いに各自思い思いにシートをひろげ、高原の涼風の中、この珍しい温泉浴を楽しんでいる姿もみられる。
 研究路は1kmほどの短い散策路だが、迫力ある噴出がみられる大噴をはじめ至る所で噴気噴湯がみられ、一帯はブナやアオモリトドマツなどの原生林で包まれているので、火山活動という大地の息吹を感じながら、雄大な山景を目の当たりにできる。
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補足情報

*1 毒水:玉川温泉で湧出した温泉は、湯の川となって下流の玉川に注ぐ。この温泉は強酸性泉であるため、古くから「玉川毒水」と呼ばれ、魚もすめない川であった。農業用水にも生活用水にも使用できず、玉川は水量が豊富であるにもかかわらず、流域開発の阻害となっていた。江戸末期から除毒工事が着手され疏水の開発などに取り組み、現在も中和処理施設の稼働など改良の努力が続けられている。疏水開発により、田沢湖の酸性化が進んだことから、現在も中和化に取り組んでいる。
*2 渋黒温泉:1930(昭和5)年発行の「日本温泉案内 東部篇」では渋黒温泉として紹介されている。「鹿の湯又は酢湯(すかゆ)などとも呼ばれ、昔から毒の湯として恐れられてゐたものである。現在そこに二軒の小屋」があるが、「一般浴客は毒氣を恐れて近づかないとい云ふ」としているので、当時はまだ開発が十分に進んでいなかったことが分る。
*3 温泉名:湯瀬温泉に逗留していた朝日新聞記者で随筆家の杉村楚人冠が玉川の上流にあるということで、「玉川温泉」と命名したという。杉村は八幡平の名をアサヒグラフなどに寄稿し、全国にその名を広めた。
*4 岩盤浴:沢奥の小屋掛けや自然研究路沿いの大噴の前、あるいは、周辺の地熱のある場所(但し、立入り禁止区域は除く)にゴザを敷いて横たわり、熱を逃がさないようタオルケットや毛布を身体にかけ、時折身体の向きを換えながら温まる。汗が大量に出るので着替え用の衣類、水分補給用のドリンクは必須。
*5 北投石:含鉛硫酸バリウムを含有し、放射能を帯びた珍しい石で、台湾の北投(ぺいとう)温泉で発見されているのでこの名がある。別名渋黒石といわれ日本ではここでしか見られない。

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