蒸ノ湯温泉
JR花輪線八幡平駅から南へ約28km、八幡平の北西麓、標高1,100mの地にある。江戸時代*1からの湯治宿として知られ、オンドル式の湯治*2宿舎が数多く立っていたが、1973(昭和48)年の地すべりによって宿舎が流され、現在は少し離れた場所に木造2階建ての旅館部(客室26室)で営業を行っている。浴場は宿泊棟にある総ヒバ造りの男女別内湯と男女別露天風呂、それに宿泊棟から少し下った噴気の上がる大きな沢に、野天風呂(男性専用・女性専用)、枡風呂(混浴)、樽風呂(混浴)、岩風呂(混浴)の5つの露天の湯船の形態があり、かつてのオンドル式の宿舎はなくなったが、地熱で温かくなった地面に直接茣蓙を敷いて横になることができる。古くから子宝の湯として知られ、金精様が奉られているふけの湯神社は館内に移設された。八幡平頂上への登山口にもなっている。泉質は単純温泉、単純硫黄温泉、源泉温度は89℃。冬期は閉館(11月中旬〜4月上旬)。
みどころ
宿の周辺のガレ場からも湯煙が上がりイオウの臭いが漂い、その周囲は八幡平の深い緑や紅葉など四季折々の色合いが囲む。5つある野天風呂は湯量が豊富で、湯船には乳白色の湯が溢れ、また、混浴の野天風呂は視界を遮るものがない。雄大な山景を眺めながらの爽快な入浴は、まさに山のいで湯の風情そのもの。地熱がほどよく身体を温めてくれる。入浴の後の標高1,100mの外気が心地よい。
補足情報
*1 江戸時代:1894(明治27)年発行の「秋田県温泉のしるべ」によると「発見は寳永元(1704)年の秋本村市次郎なるもの負傷の熊此泉に來浴するを認めて奇効あるを発見し正徳二(1712)年藩主に請ふて浴場を建設せりと云ふ」としている。
*2 オンドル式の湯治:「秋田県温泉のしるべ」によると、当時のオンドル式の入浴の様子を「地上温氣を蒸騰する處(ところ)あり病者筵を其上に布(し)き偃臥(えんが:腹ばい)して患部を薫蒸す俗に之を『フカシ』湯と云ふ」と描写している。また、1923(大正12)年発行の地誌「鹿角」では「茲(蒸けの湯)には阿部藤助氏が大きな小屋を五棟も設け炊事道具も貸し物資は總て實費を以て供給するから斯る深山にありながら毫も不便を感じない・・・中略・・・尚奇なるは其邊何所を堀つても湯氣を吹き出す事で小屋の内に蓆(むしろ)一枚を敷て横臥すれば丸で湯婆の上に寝て居る様に蒸されるのである」と当時の様子を記している。さらに湯治は5月下旬から9月上旬までに限られるが、夏の最盛期には「方々より集まつた四五百人の人々が所在なきまゝに打寄りておのがじし隠し藝を演じ遠慮気兼なき深山の中の共同生活に飛んだ『ユートピア』を現出する事が間々ある」とも湯治での生活ぶりも描いている。
*2 オンドル式の湯治:「秋田県温泉のしるべ」によると、当時のオンドル式の入浴の様子を「地上温氣を蒸騰する處(ところ)あり病者筵を其上に布(し)き偃臥(えんが:腹ばい)して患部を薫蒸す俗に之を『フカシ』湯と云ふ」と描写している。また、1923(大正12)年発行の地誌「鹿角」では「茲(蒸けの湯)には阿部藤助氏が大きな小屋を五棟も設け炊事道具も貸し物資は總て實費を以て供給するから斯る深山にありながら毫も不便を感じない・・・中略・・・尚奇なるは其邊何所を堀つても湯氣を吹き出す事で小屋の内に蓆(むしろ)一枚を敷て横臥すれば丸で湯婆の上に寝て居る様に蒸されるのである」と当時の様子を記している。さらに湯治は5月下旬から9月上旬までに限られるが、夏の最盛期には「方々より集まつた四五百人の人々が所在なきまゝに打寄りておのがじし隠し藝を演じ遠慮気兼なき深山の中の共同生活に飛んだ『ユートピア』を現出する事が間々ある」とも湯治での生活ぶりも描いている。
関連リンク | ふけの湯(WEBサイト) |
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参考文献 |
ふけの湯(WEBサイト) 日本秘湯を守る会(WEBサイト) 『秋田県温泉のしるべ』西宮藤毅 編 国立国会図書館デジタルコレクション 『鹿角』大里周蔵編 国立国会図書館デジタルコレクション |
2023年07月現在
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