グラバー園ぐらばーえん

JR西九州新幹線・長崎本線長崎駅から南へ海岸沿いに約2.7km、長崎港を見下ろす南山手にある。園内には、この地がかつての外国人居留地だった時代から遺る旧グラバー住宅、旧オルト住宅*1、旧リンガー住宅*2の3棟を中心にして、長崎市内に散在していた明治期の洋風建築の旧ウォーカー住宅、旧三菱第2ドックハウス*3、旧スチイル記念学校など6棟が移築復元されている。また、長崎くんちの資料を展示した長崎伝統芸能館や長崎港を見下ろす展望台、喫茶室、オープンカフェ、ショップなどが点在している。園内の広さは約3万3千mに及ぶ。
グラバー園の中心となる旧グラバー住宅は1859(安政6)年に来日したスコットランド人貿易商トーマス・ブレーク・グラバー*4が1863(文久3)年に住宅として建築したもので、熱帯地方のバンガロー形式の木造瓦葺き平屋建ての建造物である。建物の平面は半円形で、日本瓦や漆喰土壁が用いられている。外回りには木造菱格子の天井を持つ広いベランダが配され、アーチ型の欄間が施されている。室内は応接室・寝室などからなる。第二次世界大戦前にグラバーの息子が三菱重工長崎造船所に売却、戦後はアメリカ軍に接収されたが、1957(昭和32)年に長崎市に寄贈され、翌年から一般公開されるようになった。現存する日本最古の木造洋風建築である。
また、この住宅から見える長崎港の景色と長崎を舞台とするオペラ「蝶々夫人」の物語の場面が似ていることから、戦後にこの住宅に住んだアメリカ進駐軍の大佐夫人が「マダム・バタフライ・ハウス」という愛称をつけたとされる。このため、園内には「マダムバタフライ」のプリマドンナ、三浦環と作曲者のプッチーニの石像も立っている。
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みどころ

第1ゲートから入って、まず、見渡したいのは稲佐山を背景にした長崎港だ。この外国人居留地が設けられた頃に比べ、長崎港は埋め立てが進み、地形は変わったものの、かつて、多くの南蛮船やジャンク(唐)船が来航した様子を思い浮かべるのも楽しい。旧グラバー住宅などの建築物群は洋風建築でありながら、日本瓦で葺かれた屋根などの和風のテイストや開放感あふれるバンガロー造りであることなどがあいまって独特の雰囲気を醸し出している。幕末、明治維新と、政情不安定の日本で、ビジネスに奔走したグラバー等の欧米の貿易商たちが、母国と異なる環境の中で生み出した住宅様式ではないかと、想像を巡らすことができ、興味深い。園内には、四季折々の花々が飾られ、例年7月中旬~10月初旬には洋館群がライトアップされるので、長崎港の眺望とともに長崎情緒をたっぷり楽しめる。
 なお、園内への入口は海岸側の第1ゲートと高台側の第2ゲートの2ヵ所。海岸側は石畳の急坂を登ることになるので、足に自信のない方や車椅子利用の方は、石橋電停近くのグラバースカイロード(斜面エレベーター)を利用して第2ゲートから入場することをお勧めする。
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補足情報

*1 旧オルト住宅:製茶業を中心に活躍したイギリス人貿易商人ウィリアム・ジョン・オルトの旧宅。1865(慶応元)年に建てられた木骨石造、平屋建、寄棟造桟瓦葺の洋風建築。広いベランダには石の列柱が立ち、重厚な印象を与える。(建物の保存修理工事実施のため、令和7年12月(予定)まで観覧中止)
*2 旧リンガー住宅:イギリス人実業家のフレデリック・リンガーが住んでいた明治初期の建築で、木骨石造、平屋建ベランダ付き寄棟造桟瓦葺。リンガーが手掛けた「ナガサキ・ホテル」で使われていたカトラリー(食卓用のナイフ、フォーク、スプーン)が、2013(平成25)年に奈良ホテルで発見され、現在その一部が旧リンガー住宅内で展示されている。
*3 旧三菱第2ドックハウス:グラバー園の対岸に位置する三菱造船所内から移築した、木造2階建、ベランダ付の洋風建築。船がドックに停泊している間、船員の宿泊所に使用していたもの。
*4 トーマス・ブレーク・グラバー:1838~1911年。スコットランド出身。21歳の時に開港と同時に来日、「グラバー商会」を設立して長崎で貿易商となる。五代友厚をはじめとする幕末の志士や薩長などの西南諸藩と交わり、中古の蒸気船・武器・機械類などの輸入と茶、絹などの特産品の輸出に携った。このほか、高島炭坑の開発経営や、大浦海岸に日本最初の蒸気機関車を走らせるなど日本の近代化に影響を与えた。東京の自宅で病没。墓は長崎市内の坂本国際墓地にある。妻は淡路屋ツル、富三郎・ハナの2子がある。
*2024年9月4日にはグラバー園開園50周年を迎え、それを記念して2025年3月末まで一年を通して夜間開園を実施している。時期により時間帯は異なるため、HPを要確認。