住吉大社すみよしたいしゃ

南海電車住吉大社駅の東側の通りには路面電車(阪堺電軌)の住吉鳥居前駅があり、その先に住吉大社の境内が広がる。大鳥居をくぐると正面に朱塗りの大きな反(太鼓)橋*1があり、これを渡って、さらに鳥居を抜けると住吉造*2の4棟の本殿*3が建つ。今は海に遠くなったが、かつては海に向かって西面していたという。手前に建つ第三(本宮)本殿には表筒男命(うわつつのおのみこと)、その南側に並列する第四(本宮)本殿には息長足姫命(おきながたらしひめのみこと)である神功皇后が祀られ、第三本殿から奥に、中筒男命(なかつつのおのみこと)を祀る第二(本宮)本殿、底筒男命(そこつつのおのみこと)を祀る第一(本宮)本殿が縦直列する形で配置されている。
 同大社の創建については、記紀*4にも記事がみられ、その中では、神功皇后の新羅遠征からの凱旋の際に、底筒男命・中筒男命・表筒男命の三神(住吉大神ともいう)の託宣により、荒魂を穴門の山田邑(あなとのやまだむら)*5に祀り、和魂を長峡(ながお)*6に祀ったのに始まるとしている。創建の時期は211年と伝えられ、927(延長5)年に完成した延喜式神名帳では、4座とも格付けの高い名神大社として記載され、952(天暦6)年には最高位の正一位を朝廷から授けられている。その後、摂津国一之宮ともされた。
 故事に因み、古来から海上の守護神として漁業者や海運業者から信仰があり、軍神、歌神としても崇められていた。早くから朝廷の殊遇も厚く、天武天皇以来行幸がたびたびあり、遣唐使発遣に際しては、航路の安全をこの神に祈ることを常とした。さらに慶長年間には、秀吉の側室である淀君が、従来あった反橋を架け替えて奉納するなど崇敬を集めていた。
 本殿の南手は一段低くなり、6月14日の御田植神事が行われる御田があり、このほかの年中行事としては住吉祭*7(7月30日~8月1日)や観月祭(中秋日)などで知られている。
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みどころ

住吉大社は古代から貴賤を問わず、参詣者が数多くあったという。「源氏物語」でも光源氏が華やかに住吉詣をする場面があり、第14帖「澪標」にも「海岸のほうへ寄って行くと華美な参詣の行列が寄進する神宝を運び続けて来るのが見えた。楽人、十列の者もきれいな男を選んであった」(与謝野晶子訳)と描写され、身分の違いを嘆く明石の君の心情に触れている。古くは万葉集など多くの歌集、物語に取り上げられ、いかに住吉大社が広く崇敬を集めていたかがわかる。現在は、市街地の真ん中にあるため、森閑さには欠けるが、それでも正面の神池を反(太鼓)橋で渡り、玉砂利の境内の4つの本殿の前に立つと一挙に霊域に入ったような雰囲気が漂う。4棟の本殿は、構造美にあふれ、奇妙とも思える社殿配置も、構図的な調和や色彩的な美しさを生み出している。ひとつひとつの本宮(本殿)にゆっくり参拝しつつ、いろいろな位置から4棟の本殿を鑑賞することをお勧めする。
 また、境内と周辺の参道には、1644(寛永21)年から現代までに献納された約640基の石燈籠が並び、銘文には、北は松前(北海道)から南は薩摩(鹿児島県)まで全国各地の廻船問屋をはじめ舟運・船荷に関連した業者が寄進したことが記されており、形状も様々で、これを注目して見て回るのも、近世から現代までの産業の消長も分かり、大変興味深い。
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補足情報

*1 反(太鼓)橋:正面の神池に架けられた神橋は「反橋」と称し、一般的には「太鼓橋」とも呼ばれている。長さ約20m、高さ約3.6m、幅約5.5m、最大傾斜約48度。この橋を渡るだけで「お祓い」になるともされ、多くの参詣者がこの橋を渡り本宮に向かう。現在の石造橋脚(基礎部)は、江戸初期の造営と伝えられ、木製の橋桁や欄干は遷宮に合わせて修復している。川端康成の『反橋』(1948年)の中でもこの橋のことが記されている。
*2 住吉造:神社建築最古の様式の一つ。4本宮の本殿はともに国宝に指定されている。屋根は檜皮葺で、切妻造の妻が正面を向く形になっている。屋根には反りが無く、内部は二間に分かれ、柱は丹塗、壁は胡粉塗と色彩が艶やか。なお、住吉造の平面構造は、大嘗祭の際に造営される「大嘗宮」と類似した構造を有しているといわれている。
*3 本殿:4殿とも国宝。4本殿の独特な配置配列は大海原をゆく船団のような並びともされ、古代の祭祀形態を後世に伝えているともいう。現存の本殿は1810(文化7)年の造営。幣殿及び渡殿(4棟)も国指定重要文化財となっている。
*4 記紀:古事記では神功皇后の新羅遠征に際し「天照大御神の御心意である。 また我は、住吉の底箇男・中箇男・上箇男の三大神(住吉大神)である。…中略…今まさに西方の国を求めようと天皇がお思いならば、天神・地神、また山神と、河・海の諸神ことごとくに供え物を奉りお祭りし、我が住吉の神の御霊を、西征の船上に鎮座させて」渡海しなさいと神託があったという。そして遠征の後は「住吉大神の荒御魂を国を守る神として祭り鎮めて」(中村啓信訳)帰還したと記している。さらに日本書紀では、帰還した翌年、「神の誨(おしえ)の曰く。吾が和魂をば、宜しく大津渟中倉の長峡*6に居け。便に因りて往来(かよう)船を看ん。神の教えのままにもって鎮座まさしむ」(国史大系「日本書紀」九巻書き下し)としている。
*5 穴門の山田邑:穴門は長門とされ、山田邑は現在の山口県下関市一の宮住吉(旧・楠乃)。日本書紀に住吉大社同様に荒魂を鎮めるため同地に祀れ、との神託の記載があり、同地にも住吉神社が祀られている。
*6 長峡:現在地付近を指す。現在の町名としては、住吉大社前の通りと南海電車の線路に挟まれた地区にその名が残る。
*7 住吉祭:7月海の日に「神輿洗神事」、7月30日に「宵宮祭」、31日に「夏越祓神事・例大祭」が執り行われ、8月1日には住吉大神の神霊を遷した神輿の「渡御」が宿院頓宮(住吉大社から4.6km南にある)まで行われる。
関連リンク 住吉大社(WEBサイト)
参考文献 住吉大社(WEBサイト)
中村啓信. 新版 古事記 現代語訳付き (角川ソフィア文庫) (p.438). 角川学芸出版. Kindle 版.
「国史大系 第1巻 日本書紀巻第九」明治30年 92/300 国立国会図書館デジタルコレクション
「精選版 日本国語大辞典 住吉造」小学館
「文化遺産オンライン 住吉大社 幣殿及び渡殿(四棟)」 文化庁(WEBサイト)

2025年03月現在

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