住吉大社御田植神事すみよしたいしゃおたうえしんじ

全国の大社といわれる古社では、その年の豊穣を願い、御田植神事を行っているところが多い。そのなかでも、芸能神事とともに実際に神田で田植えを行う形式と、農作業を真似て執り行う形式のものがある。住吉大社は実際に田植えを行う形式で、伊勢の神宮などとともに中世の芸能神事の古式をよく遺しているといわれている。
 第一本宮と住吉大社境内南の御田で毎年6月14日に行われる。神事は神前より授かった早苗を植女から替植女に渡し田植歌を歌いながら神田(約2,000m2)に早苗の植え付けが行われる。中央舞台では神楽女(巫女)8人が「八乙女田舞」や御稔女(みとしめ)による「神田代舞」、 続いて武家姿の「風流武者」、子どもたちの「田植踊」があり、最後の「住吉踊」が奉納される頃には、神田の田植えを終了するという段取りになっている。
 伝承によれば.住吉大社における御田植神事は、鎮座の際、神功皇后が住吉大神の御供田として新田を定めら、長門国(現在の山口県)から植女を召したことに始まるといわれている。 すでに文永年間(1264~1275年)に編纂された「住吉太神宮諸神事次第」にも猿楽・田楽など数々の芸能が奉納されていたとする記録があるが、その芸能神事の内容については、時代による変化*1もみられるといわれる。
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みどころ

江戸後期の「和泉名所図会」では旧暦の5月28日に「御田植神事」があるとして、挿絵入りで詳しく説明している。「此日社務乗車して経営あり。また神宮寺社僧甲冑を着て遊戯、甚だ法式あり。又泉州大津より田楽来て芸を行ふ。又堺の津、乳守(堺市南旅籠町付近)の傾城(遊女)来りて御田を植うる体あり(まねをする)。昔は自ら植えしなり」としており、時代により多少異なるところはあるが、賑やかに神事が継承されていたことがわかる。また、「紅染の浴衣にもえぎの生絹の千早に似たるを着し、赤袴に花笠被り、顔には覆面し、古代の風俗の出立にて神前に連り、又御田をめぐる体を珍とす」とも記していて、細部はともかくも現在へも引き継がれていることが良く分かる。連綿として古式が良く遺された、色彩豊かな神事である。
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補足情報

*1 時代による変化:江戸初期の地誌「難波鑑」によると「いに(古)しへは。堺の高洲(堺市高須付近)の傾城(遊女)の役として。色々のかたひら(帷子)に。衣裏ざし(裏にも刺繍)して。出たち(装い)うつくしき帯など。手すきにかけつゝ。田面におりたち。早苗を。とりてうた(唄)へり。神主は車にて。田の畔に来る車をたてゝ。幣をとり。一粒万倍の祈念あり。社人おほく出立て。早苗をはこびわたし。田歌おもしろくうた(唄)ひける」としており、遊女が早乙女の代わりにするなど、牧歌的な雰囲気も漂っている。もっとも、「難波鑑」が書かれた江戸初期は遊女はでておらず、「婆ども。渋かたひら(帷子)のやぶれたるに。軒まばらなる菅笠きて植るとや。いと見所なし」と神事が衰退気味だったことを嘆いている。