円山公園のサクラ
円山公園は西に八坂神社、南に高台寺、北に知恩院の古社寺に囲まれ、さらに東は東山連峰に続くところにある。京阪本線「祇園四条駅」から徒歩10分で到達する。明治時代の神仏分離により、安養寺、八坂神社などの境内の一部を没収して、1886(明治19)年に円山公園が開設されたもの。京都市ではもっとも古い公園で小川治兵衛(植治)*の手による。緩やかな丘陵を利用し、瓢箪池を配置した池泉回遊式庭園になっている。園内には、坂本龍馬・中岡慎太郎の銅像や円山公園音楽堂などがあり、西側は市民の森として整備されている。また、公園内には、多くの料亭・茶店が点在している。赤穂浪士の円山会議*は公園内にあった重阿弥(じゅうあみ 今は廃絶)で行われた。
公園の面積約8万7,000m2と広く、囲いがないために開放的である。サクラが多く、そのほかフジやアヤメの開花時、新緑の頃も美しく彩られる。京都でも一、二を競うサクラの名所になっている。
公園の面積約8万7,000m2と広く、囲いがないために開放的である。サクラが多く、そのほかフジやアヤメの開花時、新緑の頃も美しく彩られる。京都でも一、二を競うサクラの名所になっている。

みどころ
3月下旬~4月上旬には数百本の桜が咲き乱れ、たくさんの人々で賑わう。特に園内中央部にあるシダレザクラ*は通称「祇園の夜桜」として有名。この時期にはシダレザクラがライトアップされ、園内に「かがり火」が設置されるので日中には見られない幻想的な夜桜が楽しめる。

補足情報
*小川治兵衛(植治):1860~1933 明治から昭和にかけて数多くの著名な庭をつくった作庭家。作庭園に無鄰庵・平安神宮・円山公園・旧古河邸の庭園などがある。
*円山会議:江戸時代に『忠臣蔵』で知られる赤穂浪士たちが、ある重大な決断を下した会議。『主君の仇、吉良上野介を討つ』ことを決断したもので、1702(元禄15)年7月に開かれ、討ち入りは同年12月に行われた。
*シダレザクラ:正式名は、一重白彼岸枝垂桜(ひとえしろひがんしだれざくら)といい、初代の木は1947(昭和22)年に枯死した。現在は2代目で、15代佐野藤右衛門(庭師で京都・嵯峨野にある造園業)が1928(昭和3)年に初代のサクラから種子を採取し、畑で育成したものを、同氏の寄贈により、1949(昭和24)年に現地に植栽したもの。現在は、樹高12m、幹回り2.8m、枝張り10m。
*円山会議:江戸時代に『忠臣蔵』で知られる赤穂浪士たちが、ある重大な決断を下した会議。『主君の仇、吉良上野介を討つ』ことを決断したもので、1702(元禄15)年7月に開かれ、討ち入りは同年12月に行われた。
*シダレザクラ:正式名は、一重白彼岸枝垂桜(ひとえしろひがんしだれざくら)といい、初代の木は1947(昭和22)年に枯死した。現在は2代目で、15代佐野藤右衛門(庭師で京都・嵯峨野にある造園業)が1928(昭和3)年に初代のサクラから種子を採取し、畑で育成したものを、同氏の寄贈により、1949(昭和24)年に現地に植栽したもの。現在は、樹高12m、幹回り2.8m、枝張り10m。
関連リンク | 公益財団法人京都市都市緑化協会(WEBサイト) |
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参考文献 |
公益財団法人京都市都市緑化協会(WEBサイト) 京都市情報館(WEBサイト) 「京都府の歴史散歩 中」山川出版社 |
2025年05月現在
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