八坂神社
八坂神社 内の資源
京阪本線祇園四条駅から徒歩約5分。四条通の東の突き当たり、祇園の花街と円山(まるやま)公園にはさまれた東山の中心にあり、「祇園さん」の名で親しまれている。祭神は素戔嗚尊(すさのおのみこと)・櫛稲田姫命・八柱御子神。社伝では656(斉明天皇2)年、高句麗系渡来人伊利之の創祀、または876(貞観18)年の南都の僧・円如の創祀という。古くは祇園感神(かんしん)院、牛頭(ごず)天王社*、祇園社とも呼ばれたが、1868(慶応4)年以後八坂神社と改められ、3000社を超える全国の八坂神社、祇園社の総本社となっている。
約2万m2の境内には、国宝の本殿をはじめ、多くの摂社・末社が立ち並び、境外の御旅所などを含め29棟の建築が国の重要文化財に指定されている。忠盛灯籠などの伝説も伝える。山鉾巡行で知られる祇園祭は、この社の祭礼。大晦日(おおみそか)から元日の朝にかけては「をけら参り*」の参拝者でにぎわう。
約2万m2の境内には、国宝の本殿をはじめ、多くの摂社・末社が立ち並び、境外の御旅所などを含め29棟の建築が国の重要文化財に指定されている。忠盛灯籠などの伝説も伝える。山鉾巡行で知られる祇園祭は、この社の祭礼。大晦日(おおみそか)から元日の朝にかけては「をけら参り*」の参拝者でにぎわう。

みどころ
神社正面は江戸時代前期の石鳥居*のある南側。入ると南楼門、舞殿、続いて堂々とした本殿*が立つ。四条通に面する西楼門*から入るとすぐに災いを除く疫(えき)神社*、疫神社から右手に行くと三間社流造・杮葺の北向蛭子(きたむきえびす)社が現れ、さらに進めば舞殿の横に出る。本殿東側には美容に関するご利益があるという美御前(うつくしごぜん)社、そのやや南の悪王子社そばに忠盛灯籠*が立っている。北側には刃物社などが並んでいる。刃物社は刃物供養のほか、不幸ごとの縁切り祈願の社ともいう。御旅所*は繁華街四条通が寺町通と交わるすぐ東にあり、祇園祭の7月17日の神幸祭に八坂神社を出た神輿が渡御、24日の還幸祭までここに奉安される。

補足情報
*牛頭天王:インドの祇園精舎の守り神で、素戔嗚尊と同一といわれ、疫病を払う威力をもつと信じられた。平安時代初期に伝染病が流行した時、病をもたらした御霊(怨霊)を鎮めるための八坂神社の御霊会(祇園御霊会)がのちに祇園祭として知られるようになった。
*をけら参り:キク科のオケラの根を焚いた浄火を火縄に移して持ち帰り、昔はこの火で雑煮を炊いて無病息災を祈った。現在は火縄の燃え残りをお守りとする。
*石鳥居:重文。神幸道に面して立ち、高さ9.5m。1666(寛文6)年の再建。
*本殿:国宝。1654(承応3)年の再建。本殿と拝殿の2棟を一つの大きな屋根に収めた祇園造と呼ばれる社殿は、正面7間、側面6間、東・西・北に庇(又庇)を延ばし、単層、入母屋造、檜皮葺。
*西楼門:重文。1497(明応6)年の再建。3間1戸の切妻造、丹塗で、左右の翼廊は後世につけられた。夜叉門・籠門とも呼ばれる。
*疫神社:重文。祇園祭の最後の行事、7月31日の夏越祭(なごしさい)には茅の輪を設け、「蘇民将来之子孫也」の護符を授与する。
*忠盛灯籠:祇園女御のもとへ通う白河法皇がこのあたりに来た時、前方に現れた鬼?の討伐を命じられた平忠盛がそのものを捕らえると、灯籠に火を点そうとした社僧であった。ただちに討ち取らなかった忠盛の思慮を賞して法王は女御を忠盛に与えたと「平家物語」にある。
*御旅所:東御殿・西御殿が並び、東御殿は1837(天保8)年の建築。ともに国指定重要文化財。祇園祭の際、3基の神輿は東西御旅所の間に奉安される。この東西御旅所の間は、普段は京みやげを売る「Otabi Kyoto」となっている。御旅所西側に立つ冠者殿社は素戔嗚尊荒魂を祀るといわれ、商売上の噓、遊女の嘘を清める「誓文(せいもん)払い」の神として信仰を集める。この社殿も国指定重要文化財。
*をけら参り:キク科のオケラの根を焚いた浄火を火縄に移して持ち帰り、昔はこの火で雑煮を炊いて無病息災を祈った。現在は火縄の燃え残りをお守りとする。
*石鳥居:重文。神幸道に面して立ち、高さ9.5m。1666(寛文6)年の再建。
*本殿:国宝。1654(承応3)年の再建。本殿と拝殿の2棟を一つの大きな屋根に収めた祇園造と呼ばれる社殿は、正面7間、側面6間、東・西・北に庇(又庇)を延ばし、単層、入母屋造、檜皮葺。
*西楼門:重文。1497(明応6)年の再建。3間1戸の切妻造、丹塗で、左右の翼廊は後世につけられた。夜叉門・籠門とも呼ばれる。
*疫神社:重文。祇園祭の最後の行事、7月31日の夏越祭(なごしさい)には茅の輪を設け、「蘇民将来之子孫也」の護符を授与する。
*忠盛灯籠:祇園女御のもとへ通う白河法皇がこのあたりに来た時、前方に現れた鬼?の討伐を命じられた平忠盛がそのものを捕らえると、灯籠に火を点そうとした社僧であった。ただちに討ち取らなかった忠盛の思慮を賞して法王は女御を忠盛に与えたと「平家物語」にある。
*御旅所:東御殿・西御殿が並び、東御殿は1837(天保8)年の建築。ともに国指定重要文化財。祇園祭の際、3基の神輿は東西御旅所の間に奉安される。この東西御旅所の間は、普段は京みやげを売る「Otabi Kyoto」となっている。御旅所西側に立つ冠者殿社は素戔嗚尊荒魂を祀るといわれ、商売上の噓、遊女の嘘を清める「誓文(せいもん)払い」の神として信仰を集める。この社殿も国指定重要文化財。
関連リンク | 八坂神社(WEBサイト) |
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参考文献 |
八坂神社(WEBサイト) 「京都府の歴史散歩 中」山川出版社 |
2025年05月現在
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