高台寺
豊臣秀吉の正室、北政所ねねこと、高台院が秀吉の菩提を祈るために曹洞宗の弓箴を開基に迎え、1606(慶長11)年に建立した禅宗寺院(曹洞宗)。造営に際し、取りまとめ役の寺院への口添えをするなど徳川家康が積極的に援助したと伝わる。高台院の意向により伏見城の遺構や秀吉と高台院の所縁のものが堂宇には使用され、壮麗な寺院であった。のちに建仁寺の三江和尚を中興開山に迎え、曹洞宗より臨済宗に改め現在に至る。
創建当初の建物として開山堂*・霊屋*・観月台・茶室の傘亭と時雨亭*、それに庭園*が残る。また、境内から離れた、寺の西南の下河原通に表門が残る。寺の門前(西側)の南北の道は「ねねの道」と名付けられており、道の西側に、ねねの甥木下利房が建立した塔頭の圓徳院*、高台寺掌美術館がある。
創建当初の建物として開山堂*・霊屋*・観月台・茶室の傘亭と時雨亭*、それに庭園*が残る。また、境内から離れた、寺の西南の下河原通に表門が残る。寺の門前(西側)の南北の道は「ねねの道」と名付けられており、道の西側に、ねねの甥木下利房が建立した塔頭の圓徳院*、高台寺掌美術館がある。

みどころ
山の斜面を利用して諸建物を配置し、連続性を保つよう、回廊(歩行禁止)で結んでいる。方丈と開山堂の間には観月台があり、開山堂と霊屋は臥龍廊で結ぶ。開山堂の左右に臥龍池(がりょういけ)と偃月池(えんげつち)という池を配置した池泉回遊式庭園は小堀遠州作とされる。「鶴亀の庭」とも呼ばれ、東山を借景とした美しい景色が広がる。

補足情報
*開山堂:重要文化財。北政所の持仏堂を三江和尚の塔所に改めたもので、堂内に三江和尚の像を安置する。天井には、秀吉使用の御座船の格天井と、北政所の御所車の天井を使用。天井画の「龍図」は狩野山楽筆とされる。
*霊屋(おたまや):重要文化財。堂内は内陣・外陣に分かれ、外陣長押(なげし)上には土佐光信作の三十六歌仙図(非公開)が描かれている。内陣須弥壇(しゅみだん)には、2つの厨子があり、秀吉と高台院の坐像を安置している。正面向かって左の高台院像の下は、その墓所になっている。また、堂宇内は厨子扉や須弥壇を始め高台寺蒔絵として有名な蒔絵が全面に施されており、草花や楽器を散らした文様が優雅に美しく描かれている。
*傘亭・時雨亭:重要文化財。霊屋の東南にある。それぞれが趣の異なった茶室で、土間廊下で繋がっている。伏見城から移築したもので、閑寂な建物である。傘亭は宝形造で茅葺、時雨亭は2階建で入母屋造の茅葺である。
*高台寺庭園:国指定名勝・史跡。自然の地形を利用し、開山堂を中央に二つの池を配置した池泉回遊式の庭園。大名茶人、小堀遠州の作と伝わる。東山の山々を借景にし、偃月池には伏見城の遺構である観月台が配置されている。
*圓徳院:高台院の甥、木下利房公が建立した高台寺の塔頭。堂宇は高台院が終焉の住まいとした伏見城から移した化粧御殿を使用した為、北庭(名勝)には枯山水とした豪壮な石組み庭園が残る。
*霊屋(おたまや):重要文化財。堂内は内陣・外陣に分かれ、外陣長押(なげし)上には土佐光信作の三十六歌仙図(非公開)が描かれている。内陣須弥壇(しゅみだん)には、2つの厨子があり、秀吉と高台院の坐像を安置している。正面向かって左の高台院像の下は、その墓所になっている。また、堂宇内は厨子扉や須弥壇を始め高台寺蒔絵として有名な蒔絵が全面に施されており、草花や楽器を散らした文様が優雅に美しく描かれている。
*傘亭・時雨亭:重要文化財。霊屋の東南にある。それぞれが趣の異なった茶室で、土間廊下で繋がっている。伏見城から移築したもので、閑寂な建物である。傘亭は宝形造で茅葺、時雨亭は2階建で入母屋造の茅葺である。
*高台寺庭園:国指定名勝・史跡。自然の地形を利用し、開山堂を中央に二つの池を配置した池泉回遊式の庭園。大名茶人、小堀遠州の作と伝わる。東山の山々を借景にし、偃月池には伏見城の遺構である観月台が配置されている。
*圓徳院:高台院の甥、木下利房公が建立した高台寺の塔頭。堂宇は高台院が終焉の住まいとした伏見城から移した化粧御殿を使用した為、北庭(名勝)には枯山水とした豪壮な石組み庭園が残る。
関連リンク | 高台寺(WEBサイト) |
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参考文献 |
高台寺(WEBサイト) 「京都府の歴史散歩 中」山川出版社 |
2025年05月現在
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