清水寺きよみずでら

京都駅の東北に位置し、比較的運行本数の多いバス路線にある五条坂ないしは清水道のバス停で下車(京都駅からバスで約15分)。バス停から清水寺までは坂道を徒歩約10分。道筋*には、土産物店、茶店などが立ち並び楽しい。往時より数は減ったとはいえ、清水焼*の店も目に付く。
 清水寺は清水山(音羽山)の中腹にあり、13万m2の広さを誇る。ことわざ「清水の舞台から飛び降りる*」でよく知られている。入り口の仁王門の手前で見ておきたいのは、かつて参詣の折りに、馬をつないでおいた馬駐*(うまどめ)、地蔵院の首振り地蔵*。
 仁王門*から入ると、左手に鐘楼*、右手に西門*・三重塔*が並ぶ。さらに、真っ暗闇を体験する「胎内くぐり」ができる随求堂、経堂、開山堂である田村堂がある。そして轟門をくぐると左手に朝倉堂があり、その奥に舞台造の本堂*がある。本尊に十一面千手観世音菩薩立像*を安置し、西国三十三所観音霊場の第16番札所になっている。なお、本尊は秘仏とされており、33年ごとの開扉を原則としている。近年では2009(平成21)年に行われた。外陣の梁の上には、奉納された渡海船の絵馬が掲げられている。本堂前の舞台からは、市街の眺めがよい。本堂の東から急な石段をおりたところに、音羽の滝*があり、その清水を飲むと延命長寿などのご利益があるという。階段を下りず、本堂から先の釈迦堂*、阿弥陀堂*、奥の院*などを見ながら迂回ルートで音羽の滝に行くこともできる。奥の院は本堂の舞台の写真を撮る好位置にある。音羽の滝のあとは、本堂の舞台造を真下から仰ぎながらの帰り道になる。周辺は樹木が豊富で、本堂南の渓谷沿いには桜や楓が多く、一帯を錦雲渓と呼び、新緑と11月中旬~12月上旬の紅葉が美しい。
 清水寺の創建を物語る縁起は複数あるが、奈良時代末期の778(宝亀9)年、大和国子島寺の僧賢心(のちの延鎮)が、音羽山中の滝にて行叡という居士と出会い、授けられた霊木で観音像を彫像し、滝の上に草庵を結び祀ったのが始まりとされる。清水寺の寺名はこの音羽の滝に由来する。その2年後、坂上田村麻呂が妻の安産の薬餌を求めてこの地で鹿狩りをしていたところ賢心と出会い、その教えに導かれて観音に帰依、仏殿を建立し、十一面千手観音像を安置した。810 (弘仁元)年、勅により鎮護国家の道場となって栄えた。平安時代中期ころから、観音霊場として広く知られ、種々の縁起が作られ、観音霊験が世に知れ渡った。その後、平安末期の南都北嶺の争い*に巻き込まれ、応仁・文明の乱でも全焼したが、その都度再建された。いまの堂宇は、江戸時代初期の大火後の1631~1633(寛永8~10)年に、徳川家光によって古様式で再建されたものが多い。明治時代初頭までは、奈良の興福寺に属して、真言・法相の両宗を兼ね、興福寺勢力の京都での拠点であった。1965(昭和40)年、法相宗から独立して、北法相宗の大本山となった。
 清水寺には本坊の成就院のほか、本堂の南の泰産寺、馬駐の東の宝性院、錦雲渓の中の延命院、清水坂の真福寺(大日堂)と来迎院(経書堂)の6カ寺の塔頭がある。
  毎年12月に清水寺で「今年の漢字*」が発表され、清水寺の貫主が大きな筆を使って漢字1文字を書くのがテレビ等で話題となる。
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みどころ

清水寺の広い境内は起伏に富んでいて、一帯にはサクラとカエデが繁り、春と秋の美しさは格別である。本堂の舞台からの眺望はすぐれ、夕陽に照らされた景色が特にすばらしく、古都の風情を感じさせてくれる。一方、本堂・舞台を見るには、東方の奥の院からがよい。
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補足情報

*道筋:バス停から清水寺への道筋は、大きく3ルートがある。一つは、バス停五条坂から、五条坂を少し上り、途中の分岐から右手の茶わん坂をたどるルート。二つ目は、バス停清水道から清水道を上る。もう一つは、清水道バス停からさらに二つ目のバス停祇園まで行き、八坂神社から円山公園に抜けねねの道、石塀小路を通って二年坂、産寧坂(三年坂)をのぼり清水坂に合流するコース。いずれのコースも緩やかな傾斜で変化ある坂道で、坂道に沿って土産物店・茶店などが立ち並び、行きも帰りも、店をのぞきながら楽しい坂道である。産寧坂はその名で国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されているが、伝建地区の範囲は、産寧坂だけでなく、二年坂、八坂の塔、石塀小路も含んでいる。
*ことわざ「清水の舞台から飛び降りる」:高さ13m余の本堂の舞台は断崖に臨んでいる。病の治癒や恋の成就を願掛けにして、この舞台から飛び降りる風習が、江戸初期からあった。この風習は浮世絵師たちの格好の画題となって、数多くの作品が残されている。若い女が傘を開いて空中に飛び出したものも多く、「傘一本で寺開く」ということわざがあり、傘は仏具という認識から、落下傘の代わりに傘による加護を期待したものであったといわれる。
*清水焼:京都を代表する伝統工芸品のひとつで、清水寺への参道である五条坂や清水坂界隈に多くの窯元があったのが、清水焼の由来とされる。五条坂にある若宮八幡宮社の境内には「清水焼発祥の地」の石碑が建っており、毎年8月7日から10日の「陶器祭」では清水焼で装飾された神輿が出る。五条坂の南にある河井寛次郎記念館は、自宅兼工房を改装したもので、登り窯も保存されている。
*南都北嶺の争い:南都(奈良)興福寺と北嶺(比叡山)の争い。いずれも僧兵をたくわえて対抗した。
*今年の漢字:1995(平成7)年から、日本漢字能力検定協会が、その年の世相を表現する漢字1文字を全国公募して決定している。
清水寺の主な建物などは以下のとおりである。
*馬駐:重要文化財。仁王門の北側にある。むかし参詣者が馬を繋いだもの。現在の建物は室町時代後期の再建。正面5間、側面2間、切妻造、本瓦葺で、がっちりとした建物。
*首ふり地蔵:馬駐の北西。地蔵院善光寺堂の前に安置される地蔵尊。40cmほどの石造の坐像で、首が動くようになっている。願かけの願う方向に、この地蔵の首を向けて祈念するとかなうといわれている。
*仁王門:重要文化財。室町時代後期の再建。高さ14m、朱色が鮮やかで、「赤門」とも呼ばれている。
*鐘楼:重要文化財。仁王門の東にある。1607(慶長12)年の再建。切妻造、本瓦葺で、総丹塗。蟇股・頭貫・破風に桃山時代の特徴が見られる。現在は2007(平成19)年寄進の第五世の新梵鐘が架かる。
*西門(さいもん):重要文化財。鐘楼の南側にあるが、通行はできない。1631(寛永8)年の再建。正面3間、側面2間、切妻造、檜皮葺で、正面に向拝がある。向拝には7段の階段があり、勾欄を設けている。両側面は羽目板張、左右の間は格天井と豪華な八脚門である。1991~1994(平成3~6)年に彩色の全面復元がなされた。
*三重塔:重要文化財。西門のすぐ東にある。1632(寛永9)年の再建。3間四方、本瓦葺のがっしりした塔で、高さ30.1m。1987(昭和62)年に、彩色が復元された。
*本堂:国宝。「清水の舞台」で名高い堂で、十一面千手観世音菩薩を安置する。1633(寛永10)年の再建。正面9間、側面7間、寄棟造、前方左右に入母屋造の両翼廊がある。堂が崖に建てられているために南面する前面は、高さ約13m、樹齢300~400年のケヤキで縦横に組まれた139本の柱に支えられる舞台造になっている。大屋根は寄棟造、檜皮葺、起(むく)りが柔和な線を描き、翼廊の屋根の入母屋と巧みに溶け合っている。本堂は本尊を安置する内々陣、内陣、外陣に分かれている。内陣は石敷床に化粧屋根裏、外陣(礼堂)は板敷に折上小組格天井で、密教本堂の形式である。舞台は古来、本尊に歌舞などの芸能を奉納するための場所として使われてきた。
*十一面千手観世音菩薩:他の千手観音像とは違い、2つの手を頭上高くあげ組み合わせ、手のひらに小さな化仏を抱いている清水型観音と呼ばれる独特な姿である。
*絵馬:病気平癒・商売繁盛・航海安全などの願望成就を祈念して奉納される扁額式の絵である。当寺には約50面の絵馬があり、なかでも末吉船3面と角倉船1面は貿易史・風俗史の上からも貴重なもので重要文化財。
*音羽の滝:本堂の東から石段を下りきった正面にある。3つの筧(かけい)から水が流れ落ちるささやかな滝だが延命長寿の霊験あらたかな滝として古くから知られ、水垢離(みずごり)の行場となってきた。
*阿弥陀堂:重要文化財。本堂の東にあり、西面して立つ。阿弥陀如来を本尊としている。法然が常行念仏を始めたところでもあると伝えられ、正面3間、側面3間で、入母屋造、本瓦葺である。
*奥の院:重要文化財。阿弥陀堂の南隣。1633(寛永10)年の再建。本堂と同じような舞台を西面に設けている。正面側面とも5間の寄棟造、檜皮葺の屋根である。堂内には秘仏本尊の千手観音像のほか、空海(弘法大師)像などが安置されている。また堂の裏手の小さな池に石造の「濡れ手観音」が安置されている。水をかけて祈願するので、水かけ観音ともいわれる。
関連リンク 音羽山清水寺(WEBサイト)
参考文献 音羽山清水寺(WEBサイト)
「京都府の歴史散歩 中」山川出版社
「岩波ことわざ辞典」岩波書店

2025年05月現在

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