祇園祭
「コンコンチキチン、コンチキチン」のお囃子で知られる祇園祭は、7月1日から約1カ月にわたって行われる八坂神社の祭礼。京都の夏の風物詩であり、日本を代表する祭りの一つである。863(貞観5)年に疫病が大流行した。当時、非業の死を遂げた人が怨霊(御霊)となって疫病や災害をもたらすと考える御霊信仰が盛んで、その退散を願って神泉苑*で御霊会を始めたのが起源とされる。869(貞観11)年の御霊会では66本の矛を立て、この時は疫病防除に霊験のある牛頭天王を祀る祇園社から神輿が出たという。これが祇園御霊会として定着し、祇園会となる。
14世紀の南北朝時代に、現在のような山鉾(やまほこ)*が誕生、室町時代には趣向を凝らしその数も増え、山鉾を出す町内も定まってきて、年々祭りとして立派になっていく。こうした祇園祭の様子は次第に全国へと伝播する。応仁の乱後の中断や火災、明治維新などのダメージもあったが、祭りはその都度再興されてきた。
祇園祭は7月1日の吉符入(きっぷいり)から31日の疫神社夏越祭まで神事・祭事*が続く。よく知られる山鉾巡行は2回に分かれ、前祭(さきまつり)の17日は23基、後祭(あとまつり)の24日は11基が巡行。14~16日と21~23日の宵山では各町で飾りつけられた鉾の上で笛や鉦(かね)、太鼓で祇園囃子を奏で、家々では秘蔵の屏風*や家宝を居間に並べて祭りを盛り上げる。山鉾行事はユネスコ無形文化遺産に登録されている。
14世紀の南北朝時代に、現在のような山鉾(やまほこ)*が誕生、室町時代には趣向を凝らしその数も増え、山鉾を出す町内も定まってきて、年々祭りとして立派になっていく。こうした祇園祭の様子は次第に全国へと伝播する。応仁の乱後の中断や火災、明治維新などのダメージもあったが、祭りはその都度再興されてきた。
祇園祭は7月1日の吉符入(きっぷいり)から31日の疫神社夏越祭まで神事・祭事*が続く。よく知られる山鉾巡行は2回に分かれ、前祭(さきまつり)の17日は23基、後祭(あとまつり)の24日は11基が巡行。14~16日と21~23日の宵山では各町で飾りつけられた鉾の上で笛や鉦(かね)、太鼓で祇園囃子を奏で、家々では秘蔵の屏風*や家宝を居間に並べて祭りを盛り上げる。山鉾行事はユネスコ無形文化遺産に登録されている。

みどころ
山鉾巡行順路は、前祭は四条烏丸9時発-四条通-四条河原町-河原町通-河原町御池-御池通-烏丸御池-新町御池。後祭は烏丸御池9時30分発で、前祭の逆ルートで巡る。巡行の山鉾の順番が正しいか確認する「くじ改め」*は前祭は四条堺町、後祭は市役所前。長刀鉾の稚児による注連縄切りは四条麩屋町で行われる。一番の見ものは「辻廻し」*。10t以上の鉾を音頭取り(指揮者)が差し出す扇に合わせて90度転換させる力技である。市役所前の御池通には、道の両側に有料観覧席が設けられる。
山鉾巡行前の14~16日の夕刻、宵山期間には、山鉾を飾るさまざまな懸装品*を見て回ることをすすめたい。宵山の数日前から始まる鉾建・山建では、柱や貫を縄だけで結わえて組み上げる伝統の技が光る。山鉾が特に多いのは、室町通と新町通。
八坂神社に近い祇園町にある漢字ミュージアム内の「祇園祭ぎゃらりぃ」では、ほぼ原寸大で実物同様の縄絡みで組み上げ、見事な懸装品で飾られた鉾が常設展示されている。見て、触れて、六曲屏風のように仕立てた画面の映像でも祇園祭が楽しめる。
山鉾巡行前の14~16日の夕刻、宵山期間には、山鉾を飾るさまざまな懸装品*を見て回ることをすすめたい。宵山の数日前から始まる鉾建・山建では、柱や貫を縄だけで結わえて組み上げる伝統の技が光る。山鉾が特に多いのは、室町通と新町通。
八坂神社に近い祇園町にある漢字ミュージアム内の「祇園祭ぎゃらりぃ」では、ほぼ原寸大で実物同様の縄絡みで組み上げ、見事な懸装品で飾られた鉾が常設展示されている。見て、触れて、六曲屏風のように仕立てた画面の映像でも祇園祭が楽しめる。

補足情報
*神泉苑:二条城のすぐ南側。平安京造営時には禁苑(天皇の遊宴の地)だった。空海の祈雨の伝説があり、恵方の神・歳徳神を祀ることでも知られる。
*山鉾:山と鉾は別の物で、山の形に松を立てたものが山。神様の依代である自然の山を象徴する。舁いて移動するが、車が付いて鉾と同じ姿のものもある。鉾は武器の矛で、悪霊を退散させるためにある。鉾の屋根の高さは約8m、先端までは25mある。
*神事・祭事:主なものは、2日の「くじ取式」。巡行の順番を決めるくじを引く。前祭の長刀鉾と船鉾、後祭の橋弁慶山と大船鉾は「くじ取らず」といって、常にそれぞれ先頭と最後尾を進むことになっている。10日20時からは四条大橋での「神輿洗式」、17日は山鉾巡行後の16時からの「神幸祭(神輿渡御)」。これが祭りの本来の神事で、八坂神社を出て氏子区域を回り、21時頃に四条通の御旅所に着き、24日まで祀られる。24日10時からは「花傘巡行」。同日16時から「還幸祭(神輿渡御)」。28日に四条大橋で「神輿洗式」。なお、1日から始まる「吉符入」は、神事始めの意。各山鉾の町内に八坂神社の神職を招いて神事をし、祭りの無事を祈り、打ち合わせをすることをいう。
*屏風:屏風が飾られることが多いので、宵山を屏風祭とも呼ぶ。近年は個人宅は減少しているが、会社などでの展示もみられる。
*伝播:室町時代以降、各地の大名が京都を真似たまちづくりを行い、いわゆる小京都が出現するが、その際、シンボルとして祇園社が勧請され、祇園祭の様相も導入されることが多かった。島根県津和野に伝わる鷺舞はかつて京都祇園会に演じられていた囃子ものの一つが伝播し、生き残った例であるもの。
*くじ改め:大紋烏帽子の奉行(市長)が、2日に決まった巡行の順番どおりか確認する。各山鉾の行司がくじ札が入った文箱の紐を解いて奉行に差し出す鮮やかな所作が見どころ。
*辻廻し:割竹を敷いて水を撒いた上に鉾の前輪を乗せて停止すると、そばに待機した車方が梃子棒を車の下に差し込んで支える。音頭取りの「エンヤラヤー」の掛け声で大勢の引手たちが力を合わせて綱を引っ張り、反対側からも梃子棒や素手で押す。鉾はぎーぎー軋みながら3~4回で90度回転する。
*懸装品:「動く世界の美術館」ともいわれる。これら染織品は、当時の中国、朝鮮やインド、ペルシア、ヨーロッパの国々から渡来した貴重なものが多い。なかでもベルギー製のタペストリーは4つの山鉾で使用されている。キリスト教関連の絵柄もある。
*山鉾:山と鉾は別の物で、山の形に松を立てたものが山。神様の依代である自然の山を象徴する。舁いて移動するが、車が付いて鉾と同じ姿のものもある。鉾は武器の矛で、悪霊を退散させるためにある。鉾の屋根の高さは約8m、先端までは25mある。
*神事・祭事:主なものは、2日の「くじ取式」。巡行の順番を決めるくじを引く。前祭の長刀鉾と船鉾、後祭の橋弁慶山と大船鉾は「くじ取らず」といって、常にそれぞれ先頭と最後尾を進むことになっている。10日20時からは四条大橋での「神輿洗式」、17日は山鉾巡行後の16時からの「神幸祭(神輿渡御)」。これが祭りの本来の神事で、八坂神社を出て氏子区域を回り、21時頃に四条通の御旅所に着き、24日まで祀られる。24日10時からは「花傘巡行」。同日16時から「還幸祭(神輿渡御)」。28日に四条大橋で「神輿洗式」。なお、1日から始まる「吉符入」は、神事始めの意。各山鉾の町内に八坂神社の神職を招いて神事をし、祭りの無事を祈り、打ち合わせをすることをいう。
*屏風:屏風が飾られることが多いので、宵山を屏風祭とも呼ぶ。近年は個人宅は減少しているが、会社などでの展示もみられる。
*伝播:室町時代以降、各地の大名が京都を真似たまちづくりを行い、いわゆる小京都が出現するが、その際、シンボルとして祇園社が勧請され、祇園祭の様相も導入されることが多かった。島根県津和野に伝わる鷺舞はかつて京都祇園会に演じられていた囃子ものの一つが伝播し、生き残った例であるもの。
*くじ改め:大紋烏帽子の奉行(市長)が、2日に決まった巡行の順番どおりか確認する。各山鉾の行司がくじ札が入った文箱の紐を解いて奉行に差し出す鮮やかな所作が見どころ。
*辻廻し:割竹を敷いて水を撒いた上に鉾の前輪を乗せて停止すると、そばに待機した車方が梃子棒を車の下に差し込んで支える。音頭取りの「エンヤラヤー」の掛け声で大勢の引手たちが力を合わせて綱を引っ張り、反対側からも梃子棒や素手で押す。鉾はぎーぎー軋みながら3~4回で90度回転する。
*懸装品:「動く世界の美術館」ともいわれる。これら染織品は、当時の中国、朝鮮やインド、ペルシア、ヨーロッパの国々から渡来した貴重なものが多い。なかでもベルギー製のタペストリーは4つの山鉾で使用されている。キリスト教関連の絵柄もある。
関連リンク | 祇園祭山鉾連合会(WEBサイト) |
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関連図書 | 世界大百科事典「祇園祭」 |
参考文献 |
祇園祭山鉾連合会(WEBサイト) 八坂神社(WEBサイト) 京都市観光協会 京都観光Navi(WEBサイト) 「祇園祭のすべて」光村推古書院 「京のまつり・年中行事」京のまつり研究会 |
2025年05月現在
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