鞍馬寺
鞍馬寺 内の資源
京都市街の北方、深い緑におおわれた標高584mの鞍馬山南東斜面にあり、牛若丸の修行の場として、また、大天狗僧正坊の住む地として知られる寺である。叡山電車の終点鞍馬駅で下車すると、大きな天狗の面が出迎える。駅から鞍馬寺仁王門*まで徒歩5分。門から左手に進むと「鞍馬の火祭」*で名高い由岐(ゆき)神社*、九十九(つづら)折りの坂を経て約25分で本殿金堂に着く。仁王門右手のケーブルカー*を使えば多宝塔駅まで楽に上れる。
『鞍馬(あんば)蓋寺縁起』によれば、770(宝亀元)年、唐招提寺を開いた鑑真の高弟、鑑禎(がんちょう)上人が夢告により白馬に導かれ、鞍馬山に毘沙門天像を本尊として小庵を結んだのが草創という。のちに造東寺長官の藤原伊勢人が平安遷都直後の796(延暦15)年に堂を整備、観音像を刻んで毘沙門天脇に安置し、平安京の北方鎮護の道場となり、鞍馬寺と号した。以来朝野の崇敬が深く隆盛を極めたが、1126(大治元)年をはじめ5度の火災を受け、明治の廃仏毀釈でも大きく荒廃した。その後復興されたが、1945(昭和20)年にも本殿などを焼失。国宝の毘沙門天立像など貴重な寺宝は多いが、仁王門、寝殿など一部を除き、立ち並ぶ堂宇は新しい。現在の本殿金堂は1971(昭和46)年の建立。平安末以降天台宗に属していたが、1947(昭和22)年、鞍馬弘教(くらまこうきょう)を開宗し、2年後独立して、鞍馬弘教総本山となった。
『鞍馬(あんば)蓋寺縁起』によれば、770(宝亀元)年、唐招提寺を開いた鑑真の高弟、鑑禎(がんちょう)上人が夢告により白馬に導かれ、鞍馬山に毘沙門天像を本尊として小庵を結んだのが草創という。のちに造東寺長官の藤原伊勢人が平安遷都直後の796(延暦15)年に堂を整備、観音像を刻んで毘沙門天脇に安置し、平安京の北方鎮護の道場となり、鞍馬寺と号した。以来朝野の崇敬が深く隆盛を極めたが、1126(大治元)年をはじめ5度の火災を受け、明治の廃仏毀釈でも大きく荒廃した。その後復興されたが、1945(昭和20)年にも本殿などを焼失。国宝の毘沙門天立像など貴重な寺宝は多いが、仁王門、寝殿など一部を除き、立ち並ぶ堂宇は新しい。現在の本殿金堂は1971(昭和46)年の建立。平安末以降天台宗に属していたが、1947(昭和22)年、鞍馬弘教(くらまこうきょう)を開宗し、2年後独立して、鞍馬弘教総本山となった。

みどころ
重層の仁王門は1911(明治44)年の再建。ケーブルカーは門から右手の普明殿から出る。ケーブルカーに乗らずに歩くと、まず由岐神社。石段途中に立つ懸け造の割拝殿を潜った先に本殿がある。そして『枕草子』166段に「鞍馬のつづらをりといふ道」と出てくる坂道をたどり、中門を過ぎ、ケーブル多宝塔駅からの道と合流すると、まもなく寝殿。大正時代の典雅な建築である。今は8月の如法写経会に使われる。仁王門から約30分で本殿金堂のあるエリアに着く。
本殿金堂は毘沙門天、千手観音、護法魔王尊*が、三身一体尊天として祀られている。60年に1回開扉する秘仏。堂前左右には阿吽の虎*を安置する。金堂前にある石敷の金剛床*は鞍馬寺随一のパワースポットとされる。本殿から徒歩2分ほどの鞍馬山霊宝殿(鞍馬山博物館)1階は鞍馬山の動植物の標本などを展示する自然科学博物苑展示室、2階は寺宝展観室で、国宝の数多くの鞍馬寺経塚遺物*、重要文化財の灯籠、古文書などが見られ、与謝野寛・晶子記念室もある。3階の仏像奉安室には国宝3体、重要文化財2体を含む仏像*を収蔵する。霊宝殿の前には与謝野晶子の書斎「冬柏亭(とうはくてい)」*が移築されている。
霊宝殿から鬱蒼とした山林が続き、杉の根が地表を這う「木の根道」、牛若丸の背比べ石があり、僧正ヶ谷とよばれる一帯には不動堂、義経堂が立つ。さらに進むと、奥の院魔王殿*に到達する。周辺に露出する石灰岩は2億6000万年前に海底が隆起したもの。急坂を下ると、貴船川の水音が聞こえ、貴船側の参拝口(西門)になる。
鞍馬寺では、1年を通して数多くの年中行事が繰り広げられるが、なかでも6月20日の竹伐り会式*には多くの人が集まる。桜*、紅葉の時期もいい。
本殿金堂は毘沙門天、千手観音、護法魔王尊*が、三身一体尊天として祀られている。60年に1回開扉する秘仏。堂前左右には阿吽の虎*を安置する。金堂前にある石敷の金剛床*は鞍馬寺随一のパワースポットとされる。本殿から徒歩2分ほどの鞍馬山霊宝殿(鞍馬山博物館)1階は鞍馬山の動植物の標本などを展示する自然科学博物苑展示室、2階は寺宝展観室で、国宝の数多くの鞍馬寺経塚遺物*、重要文化財の灯籠、古文書などが見られ、与謝野寛・晶子記念室もある。3階の仏像奉安室には国宝3体、重要文化財2体を含む仏像*を収蔵する。霊宝殿の前には与謝野晶子の書斎「冬柏亭(とうはくてい)」*が移築されている。
霊宝殿から鬱蒼とした山林が続き、杉の根が地表を這う「木の根道」、牛若丸の背比べ石があり、僧正ヶ谷とよばれる一帯には不動堂、義経堂が立つ。さらに進むと、奥の院魔王殿*に到達する。周辺に露出する石灰岩は2億6000万年前に海底が隆起したもの。急坂を下ると、貴船川の水音が聞こえ、貴船側の参拝口(西門)になる。
鞍馬寺では、1年を通して数多くの年中行事が繰り広げられるが、なかでも6月20日の竹伐り会式*には多くの人が集まる。桜*、紅葉の時期もいい。

補足情報
*仁王門:向かって左側の扉は寿永年間(1182~1184年)の建立当時のものという。
*鞍馬の火祭:940(天慶3)年、篝火を焚き、松明を持って、御所に祀られていた祭神を鞍馬に遷座したときの様子を表すものという。「サイレヤ、サイリョウ」の掛け声とともに里人のかざす大小の松明で、あたりが赤く染まる。甲斐性(かいしょう)松明とよばれる大松明は長さ4m、重さは100kgほどもある。
*由岐神社:鞍馬本町の産土神で、鞍馬寺の鎮守社。1610(慶長15)年に豊臣秀頼が再建した割拝殿は重要文化財。社名の由来は、国難に際し矢を入れる靫(ゆき)を奉納したからで、『徒然草』第203段に「鞍馬に靫の明神といふも、靫懸けられたりける神なり」と出てくる。
*ケーブルカー:正式には鞍馬山鋼索鉄道。1957(昭和32)年の開業で、走行距離207mは日本最短。所要2分。高低差96m、最大勾配は499パーミル。寺が直接運営する日本唯一のケーブルカーで、運賃無料、ただし200円を寄進することで乗車できるという特別なシステムである。
*護法魔王尊:650万年前に人類救済のため金星から降臨したという。金堂西、本坊金剛寿命院前にある瑞風庭は、この降臨の様を表している。
*阿吽の虎:虎は毘沙門天の使いとされ、鑑禎の前に毘沙門天が現れたのも寅の月、寅の日、寅の刻だったと伝える。
*金剛床:中心は三角形の敷石で、「宇宙のエネルギーである尊天の波動が果てしなく広がる星曼荼羅を模し、内奥に宇宙の力を蔵する人間が宇宙そのものである尊天と一体化する修行の場」といわれる。中心に立って両手を広げ空を仰ぐと、宇宙と一体化して願いが叶うとか。
*鞍馬寺経塚遺物:平安時代後期から室町時代にわたる経筒、仏像、鏡など200点余が出土。その一部を展示。
*仏像:元は本堂に祀られた毘沙門天、吉祥天、善膩師(ぜんにし)童子の三尊の立像が国宝。平安時代後期の作で、毘沙門天は左手をかざして遠くを見るような独特の姿である。西域風の鎧を着けた兜跋(とばつ)毘沙門天立像は重要文化財。
*冬柏亭:1976(昭和51)年に東京から鞍馬寺に移築された。鞍馬寺貫主信楽香雲が晶子の直弟子だった関係から、晶子の机・文箱・歌稿なども鞍馬寺にあり、歌碑も立つ。
*奥の院魔王殿:宝形造の小堂。護法魔王尊を祀る。霊宝殿から徒歩約25分。魔王殿から西門までは15分ほど。
*竹伐り会式:本殿前で東の近江座と西の丹波座に分かれた4人の鞍馬法師が、合図とともに大蛇に見立てた4本の太い竹を山刀で掛け声勇ましく6つに伐る。その速さで農作物の豊凶を占う。
*桜:鞍馬の桜を一般に雲珠(うず)桜とよぶ。「鞍馬」という地名に掛けて、この名でよばれるともいう。
*鞍馬の火祭:940(天慶3)年、篝火を焚き、松明を持って、御所に祀られていた祭神を鞍馬に遷座したときの様子を表すものという。「サイレヤ、サイリョウ」の掛け声とともに里人のかざす大小の松明で、あたりが赤く染まる。甲斐性(かいしょう)松明とよばれる大松明は長さ4m、重さは100kgほどもある。
*由岐神社:鞍馬本町の産土神で、鞍馬寺の鎮守社。1610(慶長15)年に豊臣秀頼が再建した割拝殿は重要文化財。社名の由来は、国難に際し矢を入れる靫(ゆき)を奉納したからで、『徒然草』第203段に「鞍馬に靫の明神といふも、靫懸けられたりける神なり」と出てくる。
*ケーブルカー:正式には鞍馬山鋼索鉄道。1957(昭和32)年の開業で、走行距離207mは日本最短。所要2分。高低差96m、最大勾配は499パーミル。寺が直接運営する日本唯一のケーブルカーで、運賃無料、ただし200円を寄進することで乗車できるという特別なシステムである。
*護法魔王尊:650万年前に人類救済のため金星から降臨したという。金堂西、本坊金剛寿命院前にある瑞風庭は、この降臨の様を表している。
*阿吽の虎:虎は毘沙門天の使いとされ、鑑禎の前に毘沙門天が現れたのも寅の月、寅の日、寅の刻だったと伝える。
*金剛床:中心は三角形の敷石で、「宇宙のエネルギーである尊天の波動が果てしなく広がる星曼荼羅を模し、内奥に宇宙の力を蔵する人間が宇宙そのものである尊天と一体化する修行の場」といわれる。中心に立って両手を広げ空を仰ぐと、宇宙と一体化して願いが叶うとか。
*鞍馬寺経塚遺物:平安時代後期から室町時代にわたる経筒、仏像、鏡など200点余が出土。その一部を展示。
*仏像:元は本堂に祀られた毘沙門天、吉祥天、善膩師(ぜんにし)童子の三尊の立像が国宝。平安時代後期の作で、毘沙門天は左手をかざして遠くを見るような独特の姿である。西域風の鎧を着けた兜跋(とばつ)毘沙門天立像は重要文化財。
*冬柏亭:1976(昭和51)年に東京から鞍馬寺に移築された。鞍馬寺貫主信楽香雲が晶子の直弟子だった関係から、晶子の机・文箱・歌稿なども鞍馬寺にあり、歌碑も立つ。
*奥の院魔王殿:宝形造の小堂。護法魔王尊を祀る。霊宝殿から徒歩約25分。魔王殿から西門までは15分ほど。
*竹伐り会式:本殿前で東の近江座と西の丹波座に分かれた4人の鞍馬法師が、合図とともに大蛇に見立てた4本の太い竹を山刀で掛け声勇ましく6つに伐る。その速さで農作物の豊凶を占う。
*桜:鞍馬の桜を一般に雲珠(うず)桜とよぶ。「鞍馬」という地名に掛けて、この名でよばれるともいう。
関連リンク | 鞍馬寺(WEBサイト) |
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参考文献 |
鞍馬寺(WEBサイト) 「京都府の歴史散歩 中」山川出版社 |
2025年05月現在
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