皇大神宮(内宮)こうたいじんぐう(ないくう)

内宮(皇大神宮)は、皇室の祖と仰がれ、国民の大御祖神(おおみおやがみ)として崇敬を集める天照大御神(あまてらすおおみかみ)を祀っており、垂仁天皇26年に鎮座した。三種の神器の一つ八咫鏡は、御霊代として宮廷内に祭られていたが、崇神天皇のとき、宮廷内に祭るのは恐れ多いとされ豊鍬入媛命(とよすきいりひめのみこと)を御杖代(みつえしろ)*として大和笠縫邑(現在の奈良県桜井市三輪町檜原の地といわれる)へ遷座、ついで垂仁天皇の時代、倭姫命(やまとひめのみこと)が大御神を奉戴して各地を巡行の末、伊勢を鎮座の地と定められたと伝えられている。
 内宮は、天照大御神が鎮座する正宮のほか、2つの別宮と所管社10社が祀られている。内宮の別宮は、宮域内に荒祭宮、風日祈宮の2つ、さらに宮域外に倭姫宮、月読宮、伊雑宮、瀧原宮など8つの合計10社ある。さらに、内宮摂社27社、内宮末社16社、内宮所管社30社が所属している。
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みどころ

外宮の南東約5km、神路山の麓にあたり、五十鈴川のほとりに鎮座する。神域は外宮の10倍ほど広く、参道も長い。宇治橋を渡った表参道の火除橋あたりまでは、広々として明るいが、その奥の老杉が立ち並ぶあたりは森厳の感が深い。
 参拝の順路としては、宇治橋*…火除橋…第一鳥居…御手洗場*…瀧祭神*…第二鳥居…忌火屋殿…御贄調舎*と回り、正宮(正殿)*…御稲御倉*…外幣殿…荒祭宮…由貴御倉*…五丈殿*…風日祈宮…神楽殿…御厩*…参集殿*を拝して50分から1時間程度である。
 20段あまりの石段の上に板垣南御門があり、外宮とほぼ同様に4重の垣の奥に正殿が鎮座する。異なる点は、東西宝殿が正殿の後方にあり、内玉垣南御門と瑞垣南御門の間に蕃垣(ばんがき)があること、御饌殿がなく外幣殿が板垣の外にあること、正宮敷地が外宮のように平面でなく、斜面になっていることなどである。
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補足情報

*御杖代:御杖ともいう。神に奉仕する人をいい、特に斎王をさす。
*宇治橋:内宮の入口、五十鈴川に架かり、幅8.4m、長さ101.8m、ケヤキの橋脚以外は桧で造られている。古くは勧進聖の手で架橋された。天正年間(1573~1592年)、慶光院周養尼が造替した際の宇治橋供養の宝篋印塔が、市内の今北山墓地に残っている。現在の橋は遷宮に先だって2009(平成21)年に造替された。橋の東西詰の高さ7.5mの鳥居は、前回遷宮された外宮正殿の棟持柱、東詰の鳥居は内宮正殿の棟持柱で造られている。
*御手洗場:参道の右手、五十鈴川に面する川岸をいう。参拝を前に手を濯ぎ、身を清める場である。
*瀧祭神:御手洗場南の林中に祭られる。社殿はなく、板垣に囲まれた石畳だけであるが、神饌は別宮に準じて供されるほど尊ばれている水の神である。
*御贄調舎:正宮石段下の南、蕃塀と呼ぶ板塀の後にある切妻造板葺の建物。正宮の祭典に供える御贄(神饌)を調理する儀式を行うところ。かつては正宮前の五十鈴川に中島があり、遷宮の折り、天照大御神の神饌を調えるために、石畳を設け豊受大御神を迎えたといわれるが、現在は御贄調舎の南に豊受大御神の御神座が北面するかたちで設けられている。
*正殿:外宮正殿と同じく唯一神明造で、正面11.2m、側面5.5m、高さ10.3mある。千木は切口が水平の内削(うちそぎ)、鰹木は10本である点などが異なる。
*御稲御倉:正宮の西に東面して立っている。神田で取れた稲を納める倉で、守護神として御稲御倉神を祭っている。規模こそ小さいが神明造の特徴を間近に見ることができる。
*由貴御倉:五丈殿の後方にあり、古くは由貴大御饌の供物類を納める倉庫であったが、今は由貴御倉神を祭る。隣に御酒殿が並んでいる。
*五丈殿:神楽殿の東に南面して立つ板葺、切妻の建物で、外宮の五丈殿と同じ用途をもつ。
*御厩:内御厩は二ノ鳥居の左側、外御厩は裏参道口御橋のそばにある。皇室から献じられた2頭の神馬を飼育し、毎月1・11・21日、馬は菊花紋の馬衣を付け、神前に牽かれる。
*参集殿:表参道脇にある鉄筋コンクリート2階建の建物で、1階は能舞台と無料休憩所、2階は集会室と展示場となっている。この南に直会の饗膳を頂く饗膳所がある。
関連リンク 神宮 ISEJINGU(神宮司庁)(WEBサイト)
参考文献 神宮 ISEJINGU(神宮司庁)(WEBサイト)
「伊勢神宮のこころ、式年遷宮の意味」小堀邦夫 淡交社
「永遠の聖地 伊勢神宮」千種清美 ウェッジ
「伊勢神宮-式年遷宮と125社をめぐる旅」太陽の地図帖 平凡社
「伊勢神宮ひとり歩き」中野晴生/中村葉子 ポプラ社

2024年08月現在

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