浜名湖はまなこ

静岡県南西端に位置し、湖面面積約65km2、周囲114kmで全国10番目の大きさの湖である。古くから「遠淡海(とおつおうみ)」と呼ばれる景勝地*1として知られていた。陸地内部の浸食谷が沈降し海水が浸入したのち、湾口を天竜川の漂砂による砂州でふさがれて湖となった海跡湖である。遠州灘とつなぐ現在の今切の水道は、1498(明応7)年の大津波で砂州が破壊され開口したもので、この時淡水湖から汽水湖*2へと変化した。こうした成因から湖岸線は掌指状の出入りのある複雑な地形となっている。
 水深は、湖北部では6~12mで湖底は舟底型の凹地となっており、遠州灘側の南部では湖口から流入する大量の砂の堆積により4m以下である。湖周辺の地形は、北岸は古生層の丘陵が長年の浸食で多くの岬をつくり、北西の瀬戸で支湖の猪鼻湖と接している。東岸と南西岸は三方ヶ原と天伯原(西浜名丘陵)の広大な洪積台地が横たわり、三方ヶ原台地の南側では、砂堤と低湿地が海岸線に沿って交互に並ぶ浜堤列*3が数列みられ、今切の水道がある南岸の弁天島、舞坂、新居付近は砂州が延びている。                                                     
 汽水湖であることから、魚類の種類が多く、クロダイ・コチ・ボラ・スズキ・ハゼなどが豊富である。また、ウナギ・スッポンのほかノリ・カキの養殖も行われている。湖岸には舘山寺温泉*4をはじめ、旅館、リゾートホテル、民宿などの宿泊施設が点在し、海(湖)水浴、釣り、潮干狩りやボート、ヨットなどのウォータースポーツが楽しめる。遊覧船は、舘山寺温泉付近のフラワーパーク港、舘山寺港、三ケ日の瀬戸港の3港で発着している。
 交通は、浜松駅からバス便があるほか、南岸は東海道本線の弁天島駅、舞坂駅、新居駅などからも至近で、北岸は東名高速道路三ケ日インターチェンジが最寄りとなる。
#

みどころ

南岸は、外洋(遠州灘)への開口部があるので、潮干狩り、海(湖)水浴、釣りなどのマリンスポーツが楽しめる。古くから東海道が通じていたことから、新居関をはじめとする史跡も、多くの古典、近代文学に登場する。平安中期の「更科日記」では「とのうみは、いといみじくあしく浪たかくて、入江のいたづらなる洲どもに物もなく松原のしげれる中より、浪のよせかへるも、いろいろの玉のやうに見え、まことに松の末より浪はこゆるやうに見えて、いみじくおもしろし」(舞阪から新居付近にあった浜名橋を渡る際、ちょうど波が高くて、波しぶきが玉の様に見え、マツの梢から波が越えてくるようだ)とこの地を描写している。北原白秋は「ほの寒き鹹と淡水の落合は蛤の渚もあはれなるべし」と汽水湖の風景を詠んでいる。
 東岸は舘山寺温泉をはじめ、遊園地、フラワーパークなどのアミューズメント施設が集まっている。舘山寺周辺の景観を北原白秋は「館山寺松山穏 (おだ)し湖(うみ)を来てここは小春の入江さざなみ」と湖岸線の出入りの多い様を詠んでいる。
 北岸周辺は奥浜名湖と呼ばれており、丘陵地帯には「三ケ日ミカン」で知られる果樹園地帯。入り組んだ入江にはリゾートホテルも点在する。また、古くから東海道のう回路である姫街道が通じており、古社名刹も多い。「万葉集」では「遠江引佐細江のみをつくし 吾を頼めて あさましものを」(「遠江の引佐細江にある水(澪)標ではないが、いとしい人の心は、自分に頼りに思はして置いて、何うやら、褪せて行きさうな容子だ」折口信夫訳)と詠まれている。
 また、 西岸は、天伯原(西浜名丘陵)を背に比較的穏やかな湖岸線で湖水浴場やマリーナなどが点在する。
#

補足情報

*1 古くから「遠淡海」と呼ばれる景勝地:かつては淡水湖であったため、琵琶湖を淡水の海、「淡海(おうみ)」と呼んだのに対して、遠くの淡海の意味で名付けられた。国名「遠江」の起源でもある。
*2 汽水湖:水1リットルあたり、0.5g以上の塩類を含む湖沼の内、海水の影響によって塩分が含まれる湖が汽水湖とされる。
*3 浜堤列:三方ヶ原台地の南方、浜名湖や佐鳴湖と遠州灘の間に砂堤と低湿地が交互に並ぶ浜堤列が数列あるが、その砂堤上には弥生時代から平安時代までの集落遺跡が確認されている。弥生期の環濠集落や律令期の遠江国敷知郡の郡家もあったと見られている。現在、遺跡の一部が伊場遺跡公園として公開されている。また、この低湿地部や浜名湖の海岸線の水深の浅い湖棚を利用して養鰻池が設けられた。
*4 舘山寺温泉:浜名湖北東岸に突き出した庄内半島の北側の付け根に位置する。温泉の湧出は1958(昭和33)年。周辺には遊園地、フラワーパーク、ロープウエイなどがあり遊覧船の発着場にもなっている。宿泊施設は10数軒。