浜松のうなぎ料理はままつのうなぎりょうり

浜名湖では江戸時代*1から良質の天然ウナギが獲れたが、養殖ウナギは、東京のウナギ業者服部倉次郎が1900(明治33)年に舞阪に移転し、湖内の細ウナギの育成に成功したのが始まりである。昭和初期にはシラスウナギ*2からの育成が可能になり、昭和40年代に至ると、飼料の開発や加温施設の普及が進み、南岸一帯に養鰻池*3の造成が急速に拡大した。現在では、露地池養殖からハウス養殖が主流となり、ハウス養殖では、養鰻池をビニールハウスで覆い、水質や水温の管理が徹底され、配合飼料とともに養殖の効率を飛躍的に高め、12月から4月に遠州灘と浜名湖を結ぶ今切口をのぼってくる0.2gほどのシラスウナギを餌付けして3~10gにし、それを養鰻池で200g~250g前後に育てて出荷している。 
 かつては、この地は養殖ウナギの生産量が全国一位であったが、近年、シラスウナギの不漁が続き外国からの輸入にも依存し、現在では生産量は全国4位*4となり、ハウス養殖も含め養鰻池は減少傾向にあり、とくに昔ながらの露地の養漫池が広がる風景はなくなりつつある。しかし、「浜名湖うなぎ」としてブランド化されており、名産地としての地位は揺らいでいない。                                                                            
 料理法としてもっとも一般的なのは蒲焼き*5だが、茶碗蒸し・卵焼き・味噌あえ・肝吸い・ウナギ酒など料理法はいろいろある。浜松では背裂きにしたものを素焼きにして蒸し、そのあとタレで焼く関東風の調理法が主流である。
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みどころ

浜松市を中心に浜名湖周辺には100軒を超えるウナギ料理を提供する店が点在している。蒲焼きは関東風が主流ではあるものの、関東と関西のちょうど中間点にあることから、腹裂きで生のままタレ焼きにする関西風の蒲焼を供する店が2割ほどあるので、好みに応じて店を選ぶのも良い。浜松市内には明治時代からの老舗も含め、各店が味を競い合っている。浜松駅に隣接した商業施設にある浜名湖養魚漁業協同組合の直営店でも、ウナギ料理を食べることができる。また、浜松駅には、駅構内の売店のほか駅に隣接する商業施設でもうなぎ飯など各種うなぎの駅弁が販売されている。
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補足情報

*1 江戸時代:この地のウナギの蒲焼が名物だったのは、十返舎一九の『東海道中膝栗毛』で「あら井(現在の湖西市新居町)の駅に支度とゝのへ、名物のかばやきに腹をふくらし、休みゐたるに」と書かれ、茶屋の女がウナギをなまって「おなぎのかばやきがおざります」に対し侍が「なんじゃ、お内儀のかばやきか」とだしゃれを言う場面も書かれていること、また、歌川広重の浮世絵『東海道五十三図会』にも「荒井名ぶつ 蒲焼」とあり、いかに浜名湖のウナギが名物として知られていたかがわかる。                                     
*2 シラスウナギ:地元ではメッコと呼ぶ。ウナギの習性は複雑で、日本近海のウナギの産卵場所は熱帯の深海といわれるが、はっきりとは解明されていない。ウナギはふ化するとレプトケファルスと呼ぶ幼生になり、さらにシラスウナギに変態して川をのぼる。その後8年ほど淡水区域で生活して成熟すると再び川を下って海中に入り、長距離移動して産卵場所にもどってゆく。
*3 養鰻池:浜名湖がウナギの養殖の適地であった理由は、養殖に必要な水が天竜川によって形成された砂礫層の三方ヶ原台地を通して豊富な地下水として供給されたこと、三方ヶ原台地と遠州灘の間に形成された浜堤列(砂堤と低湿地が海岸に沿って交互に並ぶ地形)の低湿地が養鰻池として利用できたこと、後背地から飼料の供給が受けられたこと、年間平均気温が15℃前後であることなどの立地や気候の条件が挙げられる。なお、現在はハウス養殖が主流となり、さらに飼育環境の保全が徹底され、ウナギの品質の維持向上に努めている。
*4 全国4位:静岡県内でも、浜名湖南岸以外に大井川河口周辺での生産量が増大しており、全国的には鹿児島、愛知、宮崎などの生産量が多い。                                                                             *5 蒲焼き:蒲焼きとは、むかし丸ごと焼いていたころ、姿が蒲の穂に似ているので名付けられたという。

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