県中東部、琵琶湖東岸にあり、東から南は多賀町、南は甲良町、豊郷町、愛荘町、西から南は東近江市、西は近江八幡市、北から東は米原市に接する。
 JR東海道本線(琵琶湖線)、近江鉄道本線、国道8号、306号、名神高速道路が通じ、彦根インターチェンジがある。
 近江盆地の東部に位置し、市域は多景島、琵琶湖岸の湖東平野から鈴鹿山地に及ぶ。北東部は鈴鹿山地の西縁にあたる山地が占め、山地は東側の標高650m前後の山塊と西側の標高300m以下の山塊(佐和山を含む)に大別できる。この他、低地部に彦根山・雨壷山・荒神山など孤立丘と呼ばれる山地がある。湖岸沿いには、比高2m程の砂州も見られるほか、かつては松原湖・野田沼・曽根沼など内湖があったが、現在その大半は干拓事業により農地などになっている。主な河川としては、愛知川、宇曽川、犬上川、芹川、矢倉川がある。
 1937年(昭和12)彦根町と5村が合併して市制施行。その後の変遷があり、1968年(昭和43)稲枝町を編入して現在の市域となる。地名は、むかし天照大神の御子に天津彦根命(あまつひこねのみこと)、活津彦根命(いきつひこねのみこと)の二神がおられ、このうち活津彦根命が活津彦根明神として彦根山に祭られたことに由来しているとされている。戦国時代になって絶えず戦場となっていたが、豊臣時代に石田三成が佐和山城主となってから町は次第に繁栄。その後、関ヶ原の戦後、井伊直政が彦根の地に封ぜられ、その子の直継が彦根山(金亀山)の彦根城を築城開始。以後彦根藩35万石の城下町として栄え、現在に至るまで歴史的、文化的な風情を色濃くとどめる。
 伝統的な繊維工業もあり、市内には紡績、織物関係の工場が立地。セメント、バルブ、コック、機械などの近代工業もある。また、仏壇製造業も盛ん。
 彦根城跡は特別史跡、玄宮楽々園は国名勝指定で、国宝の彦根城天守に連なる付櫓、多聞櫓や、紙本金地着色風俗図(彦根屏風)のほか、国指定重要文化財も多い。彦根城表御殿を復元した彦根城博物館、旧明治銀行彦根支店ビルの滋賀中央信用金庫銀座支店ビル(国の登録有形文化財)、佐和山城を復元した佐和山遊園などもある。また湖岸一帯は琵琶湖国定公園域で、水泳場や琵琶湖めぐりの観光船の乗り場もある。県下で一番早い花火大会である高宮納涼花火大会、彦根大花火大会、シティマラソンなどのイベントがひらかれている。

観光資源一覧

彦根城の写真

彦根城 (滋賀県 彦根市 )

JR彦根駅西方の金亀山(こんきざん)の丘上に、琵琶湖畔を望み、白壁の三重三階の天守をのぞかせ聳え立つ。  井伊直政の遣志を継いで、子直継(のちに直勝と改名)が約20年をかけて築城、1622(元和8)年頃に完成した。近江に残る豊臣色一掃の目的を兼ねて、資材は大津・小谷(おだに)・長浜・安土・佐和山などの城の石垣や用材を使用し造...

彦根の街並みの写真

彦根の街並み (滋賀県 彦根市 )

彦根市は、江戸時代は井伊家35万石の城下町で、彦根城を中心に往時を偲ばせる古い町並みが各所に残っている。  彦根城の城下町は、1600(慶長5)年に関ヶ原の戦いで勝利した徳川方の井伊家(直政・直継)によって造られた。1604(慶長9)年から着工された彦根城の築城に伴い、 元和期(1615年から1624年)に3重の堀を巡らす城下町の骨格が...

玄宮楽々園の写真

玄宮楽々園 (滋賀県 彦根市 )

彦根城の北東、黒門の外にあり、内堀と中堀の間に位置している。彦根藩主の井伊家の下屋敷として、4代藩主井伊直興(いいなおおき)が1677(延宝5)年に造営し、槻御殿(けやきごてん)と呼ばれていた。現在は、建物部分を楽々園、庭園部分を玄宮園と呼び、国指定の名勝である。  楽々園は、1813(文化10)年の11代藩主井伊直中の隠居に際...

ふなずしの写真

ふなずし (滋賀県 大津市 / 滋賀県 草津市 / 滋賀県 長浜市 / 滋賀県 高島市 / 滋賀県 彦根市 )

江戸前寿司や箱ずしの起源となるなれずしの一種。琵琶湖産のニゴロブナ*を塩漬けにし、さらにごはんに漬けて乳酸菌の力で発酵させる。ニゴロブナは2~5月に漁獲され、そこから仕込みが始まる。大きな魚だと発酵完了まで2年ほどかかる*。  なれずしはおもに正月などハレの日の食べ物として多くの家庭で作られていた。正月などのめでたい席...