川越市
印刷する川越市は、埼玉県の中央部よりやや南部、武蔵野台地の東北端に位置する。
中心市街地の川越は、1457(長禄1) 年、太田道真・道灌父子が築城してから城下町として発展した。江戸時代は、川越街道と新河岸川の水運により江戸と結ばれ、江戸城の北の守りとして重要視され、柳沢、松平など譜代大名が配置された。
明治以後第二次世界大戦までは商業都市であったが、1950(昭和25)年代半ばから宅地化と工業化が進んだ。南西部の国道 16号線沿いに川越・狭山工業団地が造成され、機械、鉄鋼、食品などの内陸型近代工業が発達した。
川越市は、サツマイモに代表される商品作物などを生産する近郊農業、交通の利便性を生かした流通業、伝統に培われた商工業、豊かな歴史と文化を資源とする観光など、充実した都市機能を有している。
観光面では、国の「重要伝統的建造物群保存地区」にも選定されている蔵造りの町並みには、多くの観光客が訪れる。天台宗の円仁開基といわれる「喜多院」には重要文化財、国宝が多い。国の重要無形民俗文化財で関東三大祭の1つに数えられる川越まつり(10月)は、2016(平成28)年に、「川越氷川祭の山車行事」として、ユネスコの無形文化遺産に「山・鉾・屋台行事」の1つとして登録された。
観光資源一覧
喜多院 (埼玉県 川越市 )
川越大師として親しまれている天台宗の関東総本山で、市街北東部にある。830(天長7)年、慈覚大師の草創になり、1588(天正16)年、天海僧正が来住して寺運が開けた。しかし 1638(寛永15)年の川越大火では山門を残し、すべて灰と化した。 喜多院には江戸城内の建物の遺構である客殿・書院・庫裏などが残るが、これらは大火のあと徳川家...
川越まつり (埼玉県 川越市 )
川越まつりは、川越の総鎮守氷川神社の祭礼行事に由来する。1648(慶安元)年当時の藩主松平信綱が神輿と獅子頭、太鼓など祭礼用具を奉納したのをきっかけに祭りが始められたという。1698(元禄11)年、現在の元町2丁目からはじめて踊屋台が出て以来、年々盛大になり、天保年間(1830~1844年)には当時の十カ町すべての山車に上に人形をのせ...
川越蔵造りの町並み (埼玉県 川越市 )
藩主松平信綱により、川越城下は慶安年間(1648~1652年)に十ヵ町・四門前・郷分の町割りが行われた。十ヵ町は、札ノ辻(高札場)を中心に上五ヵ町の商人町が囲み、下五ヵ町は職人町で構成された。しだいに商人が職人町にもでてきて、職人は裏店に引っ込んだ。 1893(明治26)年、川越の大火により全町の4割にあたる1,302戸が焼失。類焼...