喜多院きたいん

川越大師として親しまれている天台宗の関東総本山で、市街北東部にある。830(天長7)年、慈覚大師の草創になり、1588(天正16)年、天海僧正が来住して寺運が開けた。しかし 1638(寛永15)年の川越大火では山門を残し、すべて灰と化した。
 喜多院には江戸城内の建物の遺構である客殿・書院・庫裏などが残るが、これらは大火のあと徳川家光が寺の再興を図って江戸城別殿を移築したものである。その関連で書院には「春日の局化粧間」があり、そのため客殿*の上段の間は家光誕生の間であったのではないかともいわれる。逆に上野の寛永寺が1868(慶応4)年に焼失したときには、天海僧正との関連で、喜多院の本地堂を移築している。それが寛永寺根本中堂である。
 広い境内には20数棟の建物があり、6棟が国の重要文化財、番所・慈恵堂・多宝塔が県の文化財に指定され、建造物以外の寺宝も多い。境内にある五百羅漢はそれぞれがユーモラスで観光客の人気を集めている。
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みどころ

喜多院がうっそうとした森林の中に鎮座するという印象がないのは、初詣、だるま市、植木市、サクラの花見など、大勢の市民が集まる場であるため、境内を広く空けておく必要があるからである。
 有名な五百羅漢像は、山門をくぐって右手、沙羅双樹の下にある。川越北田島の僧志誠の発願で 1782(天明2)年から50年の歳月をかけて完成したもので、538体が鎮座している。一つとして同じ姿はなく、内緒話をしたり、読書をしたり、七輪で湯を沸かす羅漢像もあり、笑いを誘われる。全国各地に羅漢像があるが、ここの五百羅漢ほど豊かでユーモラスな表情を持つものは、他にないだろう。
 日本三大東照宮の一つである仙波東照宮が境内にある。やや離れてかつて喜多院(北院)、中院、南院(廃寺)の中心であった中院も訪れてほしい。中院は、シダレザクラ、ツツジ・サツキの美しい寺であり、カメラマンが撮影によく訪れる。いつ訪れてもきちんと清掃されていて清々しさを与えてくれる寺である。境内には川越で生活していた島崎藤村の義母の墓と移築した茶室がある。(溝尾 良隆)
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補足情報

*客殿:江戸城中から移築した建物で無量寿殿ともいう。正面8間、側面5間の単層入母屋造、栩葺。6室のうち12畳半の上段の間は家光誕生の間と伝えられ、床や違い棚があり、格天井に花模様、襖や張り付にも装飾が施されている。背面に厠と湯殿がある。
*紙本着色職人尽絵:狩野吉信筆。近世初期の代表的な風俗画。縦63cm、横 48cmの絵24枚が2枚ずつ六曲屏風1双の上下2段に貼られている。研師・経師・扇師・矢細工師・珠数師・筆師・むかばき師など25種の職人たちの様子がのびやかに描かれ、文化史的に貴重なものである。2種が1枚に描かれたものがあるため25種類になる。実物の公開は4月下旬~5月上旬の連休のみ。模写したものが常時事務所わきの展示場に置かれている。
関連リンク 喜多院(WEBサイト)
参考文献 喜多院(WEBサイト)
『埼玉県の歴史散歩』山川出版社、2005年

2020年04月現在

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