宇佐神宮うさじんぐう

宇佐駅の西約3.5km、国道10号の南側に社叢が広がる。豊前国一の宮であり、全国4万社余りある八幡社の総本社。伊勢神宮に次ぐ宗廟として朝廷から崇敬を受けた屈指の名社である。
 寄藻川にかかる神橋を渡ると樹木の多い整然とした境内が菱形池を中心に広がる。広さ約50万m2、イチイガシなどの大樹がうっそうと茂る最奥の亀山に鎮まる朱塗柱、白壁の鮮やかな上宮をはじめ、下宮・頓宮や、若宮神社など境内全域に配されている。
 本殿は、向かって左から一之御殿、二之御殿、三之御殿と並び、一之御殿から順に、国家鎮護や厄除開運として知られる。八幡大神(はちまんおおかみ)、財運や交通安全の神である比売大神(ひめおおかみ)、そして安産や教育を守護する神功皇后(じんぐうこうごう)の三神を祀っている。
 社伝によれば、725(神亀2)年に本殿の一之御殿が創建されたのに始まるという。以来朝廷の崇敬厚く、現在に至るまで勅使が派遣され、749(天平21)年には奈良の東大寺大仏造立に際しても神助が仰がれている。特に769(神護景雲3)年には和気清麻呂*が八幡大神の神託により弓削道鏡を退けたことは有名である。859(貞観元)年朝廷守護のため石清水八幡宮が勧請された。30年ごとの式年造営も定められたが、南北朝の争乱で荒廃。応永年間(1394~1428年)に大内義弘により造営された。
 また、738(天平10)年には、全国で初めて境内に神宮寺が建立され神仏習合の先駆としても知られる。国東半島に広がる山岳信仰・六郷満山文化と深い関わりを持つ。
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みどころ

まず、社叢がすばらしい。境内は広大で、古木が生い茂り、深い森のような雰囲気で、散策するだけで気持ちがいい。全国に広く伝播した八幡社の原点であると思うと感慨深い。その森のような境内に鎮座する本殿は国宝で、造りが見事。建築様式は八幡造と呼ばれ、二棟の切妻造平入の建物が前後に接続。両殿の間に一間の相の間(馬道)が付き、その上の両軒に接するところに大きな金の雨樋が渡されている。桧皮葺で白壁朱漆塗柱の華麗な建物が、横一列に並ぶさまは一見の価値がある。
 さらに若宮神社、神橋、呉橋など、境内に点在する建築も、国指定重要文化財、県指定有形文化財などに指定された貴重なものが多く、各建築の細部を見て歩きたい。ちなみに、見過ごされることのある下宮だが、上宮の御祭神の御分霊を祀っていることから、古くから「下宮参らにゃ片参り」とも言われているので、参拝の際には必ず立ち寄っておきたい。また、高齢者や障害のある参拝者への配慮も秀逸で、やや高台に位置する上宮へはモノレールを使って行けるのもうれしい。
 境内にある宝物館には、孔雀文磬や朝鮮鐘など、宇佐神宮が所有する国宝や国指定重要文化財が収蔵・展示されている。時間があればこちらもぜひ見ておきたい。
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補足情報

*和気清麻呂:733~799年。奈良末~平安初期の公卿。備前・美作地方の豪族出身で、藤原仲麻呂の乱における戦功により登用された。769(神護景雲3)年、当時の女帝称徳(重詐して孝謙)天皇の寵愛を受けて権勢を誇った弓削道鏡が皇位を狙う事件が起こったが、清麻呂は宇佐八幡の神託をもってこれを退けた。このため道鏡の怒りをかってしまい清麻呂は大隅に流された。女帝没後は道鏡が失脚、清麻呂は召還されて従三位まで昇り、平安京遷都などに尽力した。なお、宇佐神宮への勅使は以後、和気氏を派遣することになり、宇佐和気使と呼ばれた。
関連リンク 宇佐神宮(WEBサイト)
参考文献 宇佐神宮(WEBサイト)
公益社団法人ツーリズムおおいた(WEBサイト)

2020年04月現在

※交通アクセスや料金等に関する情報は、関連リンクをご覧ください。

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