市の東部、国東半島ののどかな山里にある。六郷満山*の中で、満山を統括した本山末寺の一つで、寺伝では718(養老2)年の創建と伝える。大堂と庫裏が立つだけだが、大堂のまわりには五輪塔・笠塔婆・宝篋印塔などの石造物も残り、古刹らしい雰囲気に包まれている。
 大堂は国宝指定。平安後期の建築で、平等院鳳凰堂や中尊寺金色堂などと並ぶ貴重な阿弥陀堂であり、九州では最古の建築である。正面3間、側面4間で回縁があり、屋根は宝形造で節くれ立つ竹を並べたような行基葺。すべてカヤの白木が用いられ、内部は板敷、格天井で、中央の4本の柱や壁など随所に極彩色で描かれたとされる絵画の跡が残る。
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みどころ

山間に立つ大堂の佇まいが、ただただ美しい。これを見るためだけに訪れてもいいほどの、建築的な美しさがある。大堂内にある木造阿弥陀如来坐像もまた見事で、半眼のまなざし、ふくよかな相貌は見ていて飽きない深い魅力をたたえている。このほか、極楽浄土を描いたとされる本堂内陣の壁画や参道にある石像群など、一見地味だが、味わい深い魅力を持った寺院だ。六郷満山をめぐる折には、欠かせないみどころである。
 なお、雨天時には文化財保護のため大堂は開場されない。
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補足情報

*六郷満山:大化改新により国崎郡は来縄・田染・伊美・国崎・武蔵・安岐に分かれた。この6郷に奈良末期~平安時代、神仏習合の宇佐八幡宮の境外寺院として28カ寺が建立された。これらとその末寺を含めた65カ寺の総称が六郷満山である。つまり宇佐仏教に天台宗修験道が結びついた宗教で、28カ寺を学問場の本山8カ寺、修練場の中山10カ寺、布教場の末山10カ寺に分けた独特の三山組織をなし、平安末期に全盛を極めた。

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