大山
大山(だいせん)は鳥取県米子市の東約10kmにある標高1,729mの山で、中国地方の最高峰である。鳥取県西部の旧国名を付けて伯耆大山(ほうきだいせん)と呼ばれる他、富士山に似た山容から伯耆富士や出雲富士とも呼ばれる。日本百名山に選定されている。
大山へのアクセスはバス・車が基本となる。山陰側の観光拠点である大山寺集落と桝水(ますみず)高原には、米子側から県道米子大山線で入るルートと琴浦町から大山環状道路で入るルートがある。もう一つの観光拠点は南麓にあたる奥大山(鳥取県江府町)の高原エリアである。ここに入るルートは桝水高原から鍵掛峠展望台経由と、岡山県側から蒜山高原を経て県境の鬼女台(きめんだい)展望台経由の2ルートがある。
成層火山*に分類されるが有史時代の噴火記録は無い。その山容は東西約37km、南北約28kmの広大な裾野をもち、標高800mから上部は急傾斜が続く。山頂部は火山活動により陥没したカルデラ地形*で、その主稜線は弥山(みせん)・剣ヶ峰・天狗ヶ峰・三鈷峰(さんこほう)を結んで屏風を巡らしたような馬蹄形となっている。稜線は風化と崩壊により岩肌が露出しており、山陰海岸側から見ると北壁となって峻険な岩肌を見せている。また、広大な山麓には外輪山として矢筈ヶ山・甲ヶ山・船上山、寄生火山として豪円山や烏ヶ山・擬宝珠山がある。
大山は標高1,000m未満の山々が続く中国山地から北に離れた独立峰である。そのため、米子や松江からは雄大な山容を間近に見ることができる他、出雲市や鳥取市、鳥取砂丘からも遠く眺めることができる。鳥取県民にとっては郷土のシンボルとして親しまれている。
山麓の標高800m弱までの緩傾斜地では、昭和初期から牛馬の放牧による開拓が進み、現在でも牧歌的な景観が残っている。標高800m~1,300m付近までは西日本最大のブナ林を始めとする落葉広葉樹林帯、そして、山頂付近は国の特別天然記念物であるダイセンキャラボク等の低木草本帯や高山植物*の世界である。
大山の歴史を見ると、奈良時代から1300年にわたって山岳信仰の対象となってきた山であることがわかる。大山は奈良時代の出雲国風土記には「大神岳・火神岳」、鎌倉・室町時代に記された大山寺縁起・大山寺縁起絵巻には「角盤山(かくばんざん)*」と記されている。そして江戸時代には「大山参り」として大山の呼び方が浸透している。このように大山信仰は、奈良・平安時代には古神道に密教系の仏教が加わった修験道による行者や山伏の修練の場であったが、鎌倉・室町時代には大山寺がその信仰の中心となった。そして、江戸時代には大山寺(大神山神社)に詣でる「大山参り(だいせんまいり)」が庶民の間にも浸透した。大山は現在でも参拝者や参拝登山をする人々を引きつけている。
大山へのアクセスはバス・車が基本となる。山陰側の観光拠点である大山寺集落と桝水(ますみず)高原には、米子側から県道米子大山線で入るルートと琴浦町から大山環状道路で入るルートがある。もう一つの観光拠点は南麓にあたる奥大山(鳥取県江府町)の高原エリアである。ここに入るルートは桝水高原から鍵掛峠展望台経由と、岡山県側から蒜山高原を経て県境の鬼女台(きめんだい)展望台経由の2ルートがある。
成層火山*に分類されるが有史時代の噴火記録は無い。その山容は東西約37km、南北約28kmの広大な裾野をもち、標高800mから上部は急傾斜が続く。山頂部は火山活動により陥没したカルデラ地形*で、その主稜線は弥山(みせん)・剣ヶ峰・天狗ヶ峰・三鈷峰(さんこほう)を結んで屏風を巡らしたような馬蹄形となっている。稜線は風化と崩壊により岩肌が露出しており、山陰海岸側から見ると北壁となって峻険な岩肌を見せている。また、広大な山麓には外輪山として矢筈ヶ山・甲ヶ山・船上山、寄生火山として豪円山や烏ヶ山・擬宝珠山がある。
大山は標高1,000m未満の山々が続く中国山地から北に離れた独立峰である。そのため、米子や松江からは雄大な山容を間近に見ることができる他、出雲市や鳥取市、鳥取砂丘からも遠く眺めることができる。鳥取県民にとっては郷土のシンボルとして親しまれている。
山麓の標高800m弱までの緩傾斜地では、昭和初期から牛馬の放牧による開拓が進み、現在でも牧歌的な景観が残っている。標高800m~1,300m付近までは西日本最大のブナ林を始めとする落葉広葉樹林帯、そして、山頂付近は国の特別天然記念物であるダイセンキャラボク等の低木草本帯や高山植物*の世界である。
大山の歴史を見ると、奈良時代から1300年にわたって山岳信仰の対象となってきた山であることがわかる。大山は奈良時代の出雲国風土記には「大神岳・火神岳」、鎌倉・室町時代に記された大山寺縁起・大山寺縁起絵巻には「角盤山(かくばんざん)*」と記されている。そして江戸時代には「大山参り」として大山の呼び方が浸透している。このように大山信仰は、奈良・平安時代には古神道に密教系の仏教が加わった修験道による行者や山伏の修練の場であったが、鎌倉・室町時代には大山寺がその信仰の中心となった。そして、江戸時代には大山寺(大神山神社)に詣でる「大山参り(だいせんまいり)」が庶民の間にも浸透した。大山は現在でも参拝者や参拝登山をする人々を引きつけている。
みどころ
大山寺集落などの北側から見る大山は、北面の峻険な岩肌となだらかな山麓の眺望が見どころであり、特に大山環状道路は一息坂、香取草谷の展望台からの眺望が素晴らしい。南麓から見る大山はブナ林の樹海と峻厳とした山頂部の対比が美しく、この2つの展望台からは秋のブナの紅葉、晩秋の初雪、春の残雪と新緑の眺望が楽しめる。
大山の見どころはこのような山岳景観に加えて、高原リゾートと野外活動がある。桝水高原及び大山放牧場ではゆったりとした穏やかな牧場風景が楽しめる。また、ナショナルパークセンターがある大山寺集落は、大山寺・大神山神社奥宮の参拝と山岳信仰の歴史探訪、及びブナ林のハイキングと自然観察が楽しめる。一方、奥大山はブナ林に覆われた豊かな渓流と農村風景が特徴で、木谷沢渓流(ブナ林の渓流美)、御机(みつくえ)集落の茅葺き小屋・みつめの棚田が見どころである。また、冬季は大山寺・桝水高原にそれぞれスキー場がある。
大山への登山は山岳信仰の場であった大山寺から修験者が登った道を辿るのが良い。樹林限界まで登れば高山植物の群落、そして山頂からは、北から西に広がる日本海と弓ケ浜・島根半島の海岸線、また、南には中国山地や蒜山(ひるぜん)を望むことができる。なお、大山の山頂は標高1,729mの剣ヶ峰であるが、登山道の崩壊が激しいため標高1,709mの弥山が山頂とされている。
最後に大山信仰の歴史の楽しみについて触れておきたい。大山寺に祀られた地蔵菩薩は牛馬の守り神でもあった。このため江戸時代に大山信仰が広がると、牛馬を連れて詣でる参拝者が多くなり、一方、大山山麓では牛馬の放牧が盛んになったことで大山寺集落では牛馬市が開かれていた。この歴史は文化庁により、日本遺産「地蔵信仰が育んだ日本最大の大山牛馬市」として認定されている。そして、大山道(だいせんみち)と呼ばれていた5本の街道*には今でも道標や常夜灯、一町地蔵が残り、往来の面影を残している。主な遺産として、「坊領道」に残る所子集落(国の伝統的建造物群保存地区指定)、「横手道」の宿場であった江府町下蚊屋地区、「横手道」と「河床道」の石畳の道などが挙げられる。
大山の見どころはこのような山岳景観に加えて、高原リゾートと野外活動がある。桝水高原及び大山放牧場ではゆったりとした穏やかな牧場風景が楽しめる。また、ナショナルパークセンターがある大山寺集落は、大山寺・大神山神社奥宮の参拝と山岳信仰の歴史探訪、及びブナ林のハイキングと自然観察が楽しめる。一方、奥大山はブナ林に覆われた豊かな渓流と農村風景が特徴で、木谷沢渓流(ブナ林の渓流美)、御机(みつくえ)集落の茅葺き小屋・みつめの棚田が見どころである。また、冬季は大山寺・桝水高原にそれぞれスキー場がある。
大山への登山は山岳信仰の場であった大山寺から修験者が登った道を辿るのが良い。樹林限界まで登れば高山植物の群落、そして山頂からは、北から西に広がる日本海と弓ケ浜・島根半島の海岸線、また、南には中国山地や蒜山(ひるぜん)を望むことができる。なお、大山の山頂は標高1,729mの剣ヶ峰であるが、登山道の崩壊が激しいため標高1,709mの弥山が山頂とされている。
最後に大山信仰の歴史の楽しみについて触れておきたい。大山寺に祀られた地蔵菩薩は牛馬の守り神でもあった。このため江戸時代に大山信仰が広がると、牛馬を連れて詣でる参拝者が多くなり、一方、大山山麓では牛馬の放牧が盛んになったことで大山寺集落では牛馬市が開かれていた。この歴史は文化庁により、日本遺産「地蔵信仰が育んだ日本最大の大山牛馬市」として認定されている。そして、大山道(だいせんみち)と呼ばれていた5本の街道*には今でも道標や常夜灯、一町地蔵が残り、往来の面影を残している。主な遺産として、「坊領道」に残る所子集落(国の伝統的建造物群保存地区指定)、「横手道」の宿場であった江府町下蚊屋地区、「横手道」と「河床道」の石畳の道などが挙げられる。
補足情報
*成層火山:溶岩や火山灰などの噴出物が火口周囲に堆積し、層をなしてできた火山。代表的な山が富士山である。
*カルデラ:深さに比例して著しく広い火口。多くは噴火後に中央部が陥没してできる。
*大山の高山植物:ダイセンキャラボクはイチイ科の常緑針葉低木で、夏山登山道の八合目あたり(1,600m)から山頂にかけて大きな群落が広がる。秋になると淡紅色の実がなる。
その他の高山植物では、ミヤマキンバイ・クガイソウなどのほか、ダイセンコゴメグサ・ダイセンクワガタ・ダイセンオダマキなど
*角盤山(かくばんざん):兜率天(とそつてん)の角を支える岩(磐)が落ちてきて大山になったとの由来による。
*大山道(だいせんみち):倉吉・関金温泉方面からの川床道(かわどこみち)、米子からの坊領道(ぼうりょうみち)・尾高道(おだかみち)、鳥取県日野郡や山陽方面からの溝口道(みぞくちみち)、横手道(よこてみち)」が江戸時代に整備された。
*カルデラ:深さに比例して著しく広い火口。多くは噴火後に中央部が陥没してできる。
*大山の高山植物:ダイセンキャラボクはイチイ科の常緑針葉低木で、夏山登山道の八合目あたり(1,600m)から山頂にかけて大きな群落が広がる。秋になると淡紅色の実がなる。
その他の高山植物では、ミヤマキンバイ・クガイソウなどのほか、ダイセンコゴメグサ・ダイセンクワガタ・ダイセンオダマキなど
*角盤山(かくばんざん):兜率天(とそつてん)の角を支える岩(磐)が落ちてきて大山になったとの由来による。
*大山道(だいせんみち):倉吉・関金温泉方面からの川床道(かわどこみち)、米子からの坊領道(ぼうりょうみち)・尾高道(おだかみち)、鳥取県日野郡や山陽方面からの溝口道(みぞくちみち)、横手道(よこてみち)」が江戸時代に整備された。
関連リンク | 一般社団法人大山観光局(WEBサイト) |
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参考文献 | 一般社団法人大山観光局(WEBサイト) |
2024年06月現在
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