久能山東照宮くのうざんとうしょうぐう

JR東海道本線・東海道新幹線静岡駅から南東へ約7.5km、有度山の南に位置する久能山の山頂(標高216m)に鎮座する。東照宮へは、久能山山麓からは16折、1,159段の急な石段*1を登るか、あるいは日本平からのロープウェイを利用する。社殿をはじめ楼門・鼓楼・神楽殿・神庫・玉垣・渡廊などの建築物は、山頂付近の傾斜を利用して巧みに配置されている。境内は全山老樹が繁茂し、眼下には駿河湾の海原が広がる。                                                                            
 社殿は江戸時代初期の権現造で、本殿には徳川家康を祀り、その左右に相殿として豊臣秀吉および織田信長を祀っている。本殿は桁行3間、梁間3間、石の間は桁行1間、梁間1間、拝殿は桁行5間、梁間2間の複合社殿となっており、内外の装飾は華麗で、随所に彫刻や彩色が施され、日光東照宮の先駆をなすものといわれている。
 久能山は、古くは観音菩薩の霊場とされ、7世紀頃には秦氏一族の久能忠仁が開山し、補陀落山久能寺と称したといわれ、鎌倉時代前後に最も栄えたと伝えられる。1568(永禄11)年に武田信玄が久能寺を移転させ築城したが、のちに徳川家康によって搦手の要害を加え城を完成させた。
 1616(元和2)年、家康が没するとともに遺言*2によってここに遺骸を葬り、2代将軍秀忠の命のもと、城を廃して社殿の造営を始め、1617(元和3)年に竣工したのが現在の社殿である。さらに、これもまた家康の遺言に従い、1617(元和3)年に日光へ改葬している。
 境内には、貴重な社宝が展示されている久能山東照宮博物館*3がある。
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みどころ

日本平からロープウェイで駿河湾を眺望しながら参拝するのもよいが、ハイキングがてら1,159段の石段に挑戦してみるのも面白い。南側に駿河湾の広がりを眺めながら登り、鬱蒼とした木々に覆われた山頂部に辿り着けば、楼門から石段を登ってだんだんと本殿に導かれるようになっており、青銅の屋根に朱塗の柱が鮮やかで、精巧な彫刻類が施された社殿などの建造物群を目にする。これらが周囲の緑と美しく調和して、荘厳な雰囲気に包まれている。
 久能山東照宮博物館では、徳川家康の愛用、愛玩した品々を見ることができ、徳川家の関係資料も豊富だ。当地静岡と徳川家の強いつながりも理解できる。
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補足情報

*1 石段:1,159段の数をもじって、俗にイチイチゴクロウと語呂合わせをする。久能山の麓は石垣イチゴの生産地として有名。イチゴ狩りを楽しめる。
*2 遺言:1650(慶安3)年に書かれた「東叡開山慈眼大師伝記」によると、「吾取滅而後、先葬于當州久能山・歳華經一周、達叡聞請神號、然後可遷于日光山、遺命赫然、此故覃于薨御、奉安置久能山」(自分が亡くなったあとは、まず駿河国久能山に葬り、一周忌を経て、神号を天皇に請い聞き届けられたら、日光山に遷せと、明確な遺命があった、このため薨御に及び久能山に安置した)と、天海(諡:慈眼大師)が家康の遺言どおりにこの地への安置と日光への遷座を行ったとしている。この記述通りに日光への改葬は1617(元和3)年に行われたが、久能山東照宮の建造はそのまま続けられ、同年には完成した。なお、現在の日光東照宮社殿が竣工したのは1634(寛永11)年3代将軍家光のときであった。                                                                             *3 久能山東照宮博物館:収蔵品は久能山東照宮に伝来する神宝類、明治維新後に徳川家、旧幕臣から奉納されたものなど500件2,000点に及ぶ。1階の第1展示室では 徳川家康の晩年の愛用品や、歴代将軍が代替りなどの際に久能山東照宮へ奉納した刀剣を展示。2階の第2展示室では 甲冑を中心とした徳川家ゆかりの武具、書画などを展示している。

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