法多山尊永寺はったさんそんえいじ

JR東海道本線袋井駅から東南に約5km。寺号の尊永寺というより山号の「法多山」*1の名で古くから知られている。本尊は厄除観音として広く信仰されている。境内は広く、1640(寛永17)年建立の仁王門*2をくぐると右側に杉並木がつづく長い参道があり、その参道を抜けた先にある約250段の階段を上がった場所に1983(昭和58)年落慶の本堂が建ち、右手には1857(安政4)年建立の旧本堂である諸尊堂北谷寺、左手には2004(平成16)年落慶の大師堂がある。
 宗派は真言宗。参道の途中には名物の厄除けだんご*3を売る店もある。
 神亀年間(724~729年)に聖武天皇の勅命で建てられたとも伝えられているが、寺宝類から平安時代の創建と考えられている。今川・豊臣・徳川など武将の信仰が厚く、とくに家康は五万石の格式を与え保護した。
 年中行事では1月7日の田遊祭*4、7月9~10日の万灯祭などがある。境内には約200本のソメイヨシノが植えられ、桜の名所としても知られ、晩秋には参道沿いの紅葉も楽しめる。
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みどころ

参道に入ると、まず、豪壮でどっしりとした仁王門に出合う。両脇の金剛像も迫力満点だ。本堂に向かう参道は平坦で、右側に鬱蒼とした杉木立が続き、左側に江戸中期建立の黒門やサクラやモミジ、マツなどが植えられた諸坊の庭を見ることができる。この参道の最後には本堂への長い石段が待っているが、石段を登らずにすむ脇の坂道もある。
 仁王門をくぐって左手の坂道を登る参道もあり、この参道を諸坊の庭園などを眺めながら進めば、一休みできるだんご茶屋がある。だんご茶屋の先をそのまま進むと本堂への石段の中段あたりに出ることができ、だんご茶屋から左手の急坂を登り詰めても本堂に至ることができる。
 本堂は、小笠山の緑を背に大師堂、諸尊堂とともに広々とした開放感に溢れる平坦な高台に建っている。古くから厄除観音として多くの参詣客を集めた巨刹の風格を感じることができる。
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補足情報

*1 「法多山」:江戸中期の「遠州国風土記伝」では、「法多山之往古は六拾二ヶ坊御座候令零落只今拾貮ヶ坊御座候」とする1621(元和7)年の古文書を紹介している。往時は62の寺坊の集まりの総称を「法多山尊永寺」としており、江戸初期には12ヶ坊に衰退したものの、105石の寺領を賜っていたという。明治に入り、神仏分離令による寺院の合併、廃寺の流れのなかで、1876(明治9)年に12坊のひとつ、元正法院が「法多山尊永寺」の総称を受け継ぎ、現在に至っている。                                                                             *2 仁王門:1640(寛永17)年建立。国指定重要文化財。間口7.2m、奥行4.3m、入母屋造、こけら葺き。内部には左右に密迹・那羅延の両金剛が安置されている。太い垂木、斗栱、肘木(建物の柱の上で軒を支える部材)などに桃山時代の遺風が見られ、江戸初期の作と考えれている。           
*3 厄除けだんご:将軍家に当地の名産品を献上する習わしがあり、1854(嘉永7)年に寺士の八左ェ門が「観世音名物団子」を発案し、これを献上に供したことがはじまりとされる。                                                          *4 田遊祭:初春に行われる豊穣をあらかじめ祝う芸能。本堂横の大師堂で、村方衆によって執り行われる。田植えなど農耕作業過程を模倣し、「太刀」「棒振り」の方固めの舞二段が演じられ、その後、「しらくわ」「牛ぼめ」「のっとう」「鳥追い」「五月女」の田遊びの次第五段が演じられる。

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