大善寺だいぜんじ

JR中央本線勝沼ぶどう郷駅から南へ3kmほど、国道20号沿いのブドウ畑と日川を見渡せる山腹にある。創建については、諸説*あり不詳だが、代表的なものとしては、江戸後期編纂の「甲斐国志」によると「寺記曰、元正天皇養老二年(718年)八月、行基菩薩草創 号柏尾山 聖武天皇勅賜鎮護国家大善寺定額並御祈願所宣旨」とあり、また、「天文十四年(1545年)舊記云、本堂阿弥陀、西明寺(かつての本堂、阿弥陀堂は『往生院西明寺』といわれていたという)初ノ建立ハ天平四年(732年)也」とし、「薬師御堂」は、当時、この地の豪族だった「三枝守國初メテ建立者天禄辛未年(971年)也」ともしている。また、本尊で秘仏(5年1度の開帳)である木造薬師如来及両脇侍像*が平安期作とされることから、すでに10世紀までには大寺として成立していたと思われ、信仰を集めていた古刹である。真言宗智山派。
 国道20号線、甲州街道から石段を登り、境内に入ると、右手に駐車場を挟み、受付のある庫裏、客殿などがあり、その裏手には寛永年間(1624年~1645年)作庭の池泉式庭園がある。参道の石段をまっすぐ登ると、山門、楽屋堂、さらに檜皮葺きの大屋根を持つ国宝の本堂(薬師堂)*が山を背にどっしりとした構えをみせている。本堂には、秘仏の本尊が厨子に収蔵されているほか、日光菩薩像と月光菩薩像、十二神将*が鎮座している。
 大善寺の行基にまつわる伝承には、この地で、修行中、夢の中にブドウを持った薬師如来が現れたことから、薬種としてのブドウの作り方を村人に教えたというものがあり、これが「甲州ブドウ」*のはじまりだとされ、「ブドウの寺」としても信仰を集めている。
 5月5日に催される藤切り祭は、大蛇を形どった藤づるを切り落とし、参拝客が奪い合う祭であったが、現在は御神木の藤の根を総代が切り分け、希望者に頒布される。
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みどころ

サクラ、新緑、紅葉など四季折々の彩りに囲まれた国宝の本堂(薬師堂)は、伸びやかにゆったりとした曲線を描く桧皮葺きの大屋根が、参拝客の気持を穏やかなものにしてくれる。秘仏の本尊は5年に1度しか開帳されないが、厨子の脇に立つ、日光、月光菩薩立像や十二神将像も鎌倉期の円熟した造りをみせている。
 境内の西側の展望台からは、勝沼のぶどう郷越しに甲府盆地や南アルプスの眺望が素晴らしい。
 織田、徳川連合軍に敗れ、武田勝頼が終焉の地天目山に向かう途中、最後の戦勝祈願を行った寺であり、また、幕末の戊辰戦争時に、近藤勇が率いる甲陽鎮部隊が、江戸の防衛のため当寺門前の柏尾坂で板垣退助が率いる官軍と戦うが敗れ、江戸に向け敗走することになるなど、この地は歴史的な事件の舞台ともなっている。
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補足情報

*諸説:藤切り祭りを始めとする年間行事や伽藍の構成、仏像などから推し量ると、地元の民間信仰、山岳信仰(富士山信仰など)に仏教、神道が調和、習合され、大善寺への崇敬が強まったと考えられる。
*木造薬師如来及両脇侍像:本尊の秘仏薬師如来像は、ゆったりとした姿の坐像で、両脇の日光・月光菩薩立像とともに平安時代初期の作。サクラ材の一本造り。
*本堂(薬師堂):現存の本堂は、1286(弘安9)年に北条貞時が再建したものと伝えられ、正面5間、側面5間の約24m四方、単層、寄棟造、桧皮葺き。広縁に囲まれている。和様に唐様を加味した鎌倉時代の代表的建築といわれる。国宝。
*十二神将と月光菩薩像、日光菩薩像:十二神将は鎌倉時代の作、ヒノキ材の一木造りと寄木造りで像高145.9~138.2cm。それぞれの役割に応じた武器を持ち個性的な表情をみせている。月光菩薩像、日光菩薩像も鎌倉期の作。いずれも運慶の作といわれている(「運慶作也毎像背中ニ記アリ」⦅甲斐国志⦆)。
*甲州ブドウ:甲州種はヨーロッパ系に東洋系の野生種が交雑した品種。由来には行基導入説と上岩崎の住人・雨宮勘解由伝説などがあるが、1000年前後の歴史がある品種といわれている。近年では甲州種を使用した「甲州ワイン」が世界的にも評価されている。
関連リンク 大善寺(WEBサイト)
参考文献 大善寺(WEBサイト)
「甲斐国志」国立国会図書館デジタルコンテンツ(WEBサイト)
大善寺パンフレット

2024年07月現在

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