小山田ヒガンザクラ樹林おやまだひがんざくらじゅりん

江戸時代から知られている桜の名所で、その美しさに良寛の弟橘由之をはじめ、多くの文人が花見に来訪した記録が残る。サクラ並木は、寛永年間(1850年)ころ、旧川東村(現、五泉市)の斎藤源左衛門が衰えの見えた桜を補植、整備したと伝えられ、当時、サクラ並木は1,000本を数えたと言われる。このころ訪れた頼三樹三郎*は「花の吉野にまさるともおとらず」と称賛したといわれる。
 サクラの種類はエドヒガン(アズマヒガン)で、花は純白のものが多く、淡紅のものも見られる。
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みどころ

菅名岳西側の蟹沢山(通称、花見山)の中腹から山麓にかけて約250本が群生する。最大のものは、幹の太さが約3mに達している。古木・巨木のサクラ並木が階段状に続くさまは、圧巻である。4月中旬から下旬が見ごろで、磐越西線の車窓からも見ることができる。(溝尾 良隆)
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補足情報

*頼三樹三郎:頼山陽の三男。江戸時代末期の儒学者。笹川流れにも訪れている。
*天然記念物のサクラ樹林のほかに、駐車場付近の山麓沿いに、あらたにサクラが100本ほど植樹され、こちらも若いが見る目を楽しませてくれる。