男鹿のナマハゲおがのなまはげ

大晦日の夜、ナマハゲとなった地区の青年たちが藁蓑をまとい包丁を手にウォーウォーと叫んで民家を回る男鹿半島の民俗行事である。
 「ナマハゲ」に扮する未婚の青年が男鹿一帯のそれぞれの集落の神社に集まったのち数人ずつ集落に下りて一軒一軒回って歩く。「なまけものはいねガァ」、「親の言うこときかね子はいねガァ」などと子供たちや新妻をいましめ、そのあと酒や餅のふるまいを受けて帰っていく。怠惰で「いろり」にばかりにあたっていて火形がついてしまった怠者を懲しめるもので「ナモミ(火形)ハギ」が語源といわれる。現在、男鹿半島内で観光行事でなく本来の民俗行事として実施されている「ナマハゲ」は、約85個所(集落)*1ほどで、集落により、面の形相の意匠が異なるなど、行事の細部には相違点もある。
 また、「なまはげ柴灯(せど)まつり」は、毎年2月第2金・土・日曜日に男鹿市北浦の真山神社*2で開かれるが、これは、1月3日に行われる古くからの神事「柴灯祭」*3と伝統行事「ナマハゲ」を組み合わせた観光行事で1964(昭和39)年に始まったものである。
 「ナマハゲ」の由来としては、漢の武帝が男鹿に渡来し、従者の五匹の鬼に正月15日だけ自由を与えたところ、里に下りて勝手放題に乱暴したのが始まりだという伝承は遺されているものの、元来は新年最初の満月となる日である小正月(旧暦1月15日)に行われていた、年の節目に神が来臨し人々に祝福を与え無病息災や豊作を祈願する、という来訪神による予祝行事*4だとされる。現在は大晦日に行われている。
 真山神社の近くには「なまはげ館」と「男鹿真山伝承館」*5があり、行事の映像や展示、大晦日の行事体験もできる。
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みどころ

芸術家岡本太郎は「私が『なまはげ』にひかれたのは、第一にそのお面だった。書物で写真を見て、こいつはいい。無邪気で、おおらかで、 神秘的だ。しかも濃い生活の匂いがする。」と感心した。「大たい日本のお祭りの面などが、とかくしらじらしくこまっちゃくれているのに、底ぬけ、ベラボーな魅力。古い民衆芸術のゆがめられない姿だ。しかし近代的に国家が統一され、文化が進むと、厖大な刊行物のマスコミュケーションによって、これが『鬼』だ、という規格が出来て統制されてくる」とし、「ナマハゲ」についても心配をして出掛けたが、「観光パンフレットに 出ているのよりは遥かにましであったし、それをつける若い漁師の素顔の逞しさと藁の衣裳とのなまなましいコントラストはすばらしかった。」と感想を述べている。
 「ナマハゲ」行事は岡本太郎が訪ねた1957(昭和32)年頃より観光行事化が進んでいる。一方、人口減少などの環境変化もある中で、伝統継承に向け、体験型などの新しい取り組みが官民を挙げて続けられている。
 「ナマハゲ」行事を手軽に知るなら「なまはげ館」「男鹿真山伝承館」がよいだろう。年間を通して集落ごとの特色がある衣装、面などを見ることができ、「ナマハゲ」行事の実演も見学できる。また、寒さのなかではあるが、「なまはげ柴灯(せど)まつり」は「ナマハゲ」の数も多く、迫力があって面白い。
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補足情報

*1 85個所(集落):2015(平成27)年度に、男鹿市教育委員会と男鹿市菅江真澄研究会の「ナマハゲ状況調査」では、男鹿地方の148町内(集落)のうち、当初から行っていないのが14町内、昭和の時代に行事を中断してしまったのが15町内、平成に中断したのが34町内、現在は85町内が実施している。
*2 真山神社:創建は不詳。古くから、本山と真山は、山岳信仰の対象となっており、涌出山、あるいは赤神山と称されていたが、貞観年中(859~877年)には、円仁により熊野の本宮、新宮にならって、南を本山、北を真(新)山と分けられ、真山は、平安時代以降、修験信仰の広がりとともに天台宗僧徒によって光飯寺(こうぼうじ)が建立され、比叡山延暦寺守護神赤山明神(赤神)と習合された。南北朝期には真言宗に転じたが、秋田藩佐竹家からも崇敬、寄進を受けていた。明治期の神仏分離により現在の真山神社となった。本山の方は、男鹿半島南西端、船川港の近くの山中に赤神(赤神権現)を中心とした五社堂がある赤神神社(別当寺・日積寺永禅院)となっている。赤神は漢の武帝を祀ったものとされ、この地方の武帝渡来伝説や鬼伝説につながっている。
*3 柴灯(せど)祭:神の使いとしての「なまはげ」を数多く呼び寄せ、柴燈護摩の火で焼いた餅を献じる祭事で、平安末期より行われてきたと伝えられる。
*4 来訪神による予祝行事:菅江真澄は「牡鹿乃寒かぜ」のなかで1811(文化8)年正月15日の記録として「角高く、丹塗の假面(おもて)に、海菅(藻の一種)といふものを黒く染めなして髪をふり亂(乱)し、肩蓑(けら)というふものを着て、何の入りたらんかから/\と鳴る箱ひとつをおひ、手に小刀を持て、あといひて(言って)ゆくなりなう(不意に)入り來るを、すはや生身剥(なまはぎ、なまみはぎ)よとて、童は聲もたてず人にすがり、ものゝ陰ににげか(逃げ隠)くろふ。これに餅をとらせて、あなおかな、泣ななとおとしぬ(ああ、怖がるな、泣くなと脅す)」と当時の「なまはげ」の様子を記している。来訪神について、柳田国男は「雪国の春」のなかで、年が改まり春の農作業が始まる前に「敬虔なる若者は仮面をかぶり藁の衣裳をもって身を包んで、神の語を伝えに来るのであって、ことに怠惰逸楽の徒を憎み罰せんとするゆえに、これをナマハギともナゴミタクリとも、またヒカタタクリ とも称するのである。・・・中略・・・満天の風雪を物の数ともせず、伊勢の暦が春を告ぐるごとに、出でて古式をくり返して歳の神に仕えていたなごりである」としている。なお、文化人類学者の八木康幸によると、柳田国男は「なまはげ」などの「小正月の訪問者」の姿や所作について「『神』であることよりも『年神の神主』となること、神を演じる『わざおぎ』(俳優)であること」だと解釈している、としている。
*5 なまはげ館・男鹿真山伝承館:真山神社の手前300mほどのところにある「なまはげ館」では行事の映像と150を超える「ナマハゲ」の面を観ることができる。また、隣接して国の登録文化財である「男鹿真山伝承館」があり、四季を通じ、大晦日の夜の行事を体験でき、真山地区の行事を、「ナマハゲ」と家の主人の問答として再現している(1日数回~10数回実施)。両館とも入館有料(共通券あり)。

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