松島まつしま

湖のように波静かな松島湾に浮かぶ八百八島と呼ばれる大小、約260の島々。その景観を松尾芭蕉が『おくのほそ道』で「扶桑第一の好風にして」と絶賛した、江戸時代に選定された日本三景*の一つである。現在、広い意味で松島と呼ばれるのは、七ヶ浜町の御殿崎から松島湾をへだてて東松島市波島の南端とを結ぶ線と、鳴瀬川河口右岸から波島東端を見通す線に囲まれた海面をさす。
 松島湾は、中新世・鮮新世の凝灰質砂岩・泥岩を主とする地層で作られた丘陵が、後氷期海進で沈水して島となって出現した。このとき、東隣りの石巻・若柳の平野や、さらにその東の南三陸一帯にも沈水海岸ができた。しかし、松島湾には土砂を大量に運び込む大きな河川がないので堆積が進まず、また固結の進んだ岩石から成るわけでもないので突出した岬は浸食されて滑らかになり、結果として沖積平野でもなくリアス式海岸でもない小島の点在する景観が形成された。陸地からの砂礫の供給が少なく、外洋から隔てられ波も弱いので、湾底には軟弱な泥が20m余りも堆積して水深が2~3mと浅く、水の交換も不活発で汚染が進みやすい。
 湾に浮かぶ小島は、灰白色の岩の頭に黒松、赤松をのせた趣のあるたたずまいで、芭蕉*をはじめとする幾多の文人に称賛されてきた。この景観は湾内をめぐる遊覧船からがよく、変化に富んだ島々が浮き彫りにされる。また松島四大観*と呼ばれる展望地からは、小島を散りばめた松島湾が一望できる。
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みどころ

四季それぞれに楽しみがある。桂島や野々島に黄色い菜の花が、福浦島には椿が開花し、やがて松島湾の風物詩である潮干狩りが行われる。こうして春が訪れ、夏は桂島が海水浴場となる。秋の湾内は魚が豊富で、ハゼ・ボラの好漁場となり、扇谷、富山の紅葉狩りも一興である。冬の雪景色は美しい。
 松島観光の中心は瑞巌寺である。松島海岸周辺で、観瀾亭や五大堂、雄島などの史跡や霊場が自然美とみごとな調和を見せている。ゆったりとした気分の味わえる箱庭的な内湾とはちがって、太平洋に面して20~40mの海食崖をもつ凄みのある景観を示す奥松島に訪れる人も多い。
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補足情報

*日本三景:1643(寛永20)年、林羅山の子、林春斎が、「三処の奇観」として、松島、天橋立、宮島を選び、発表した。その後、海内三景、三勝景と言われたりしながら、50年後の元禄期(1688~1704年)に三景に定着した。
*芭蕉と松島:『曽良随行日記』によると芭蕉ら一行は、1689(元禄2)年5月9日朝8時ごろ、鹽竈神社を参拝した後、正午ごろに松島へ到着した。眼前に展開する島の光景に陶酔し、また瑞巌寺では名僧の徳や堂塔をほめ讃えて畏敬の念を表わし、雄島には世捨て人の姿を見出した。彼は『おくのほそ道』の中で「抑ことふりにたれど、松島は、扶桑第一の好風にして、凡洞庭、西湖を恥ず……」と述べている。なお、雄島にその碑が立てられている。
*松島四大観:むかしから、東に大高森の壮観、西に扇谷の幽観、南に多聞山の偉観、北には富山の麗観といわれ、松島湾の好展望地とされていた。島の高さが、ほぼ同じなため、島と島とが重なり合ってしまい、広い範囲を見るには、適当な高地に登る必要がある。文政年間(1818~1830年)、『鹽松勝譜』の著者舟山万年が、先にあげた場所を展望地として探し選んだ。現在では、双観山や新富山、西行戻しの松公園も好展望地としてあげられる。
関連リンク 松島町(WEBサイト)
参考文献 松島町(WEBサイト)
宮城県(WEBサイト)
宮城まるごと*探訪(公益社団法人 宮城県観光連盟)(WEBサイト)
旅東北(⼀般社団法⼈東北観光推進機構)(WEBサイト)
『日本の自然―地域編〈2〉東北』小島 圭二 (編さん) 岩波書店

2023年07月現在

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