蔦温泉つたおんせん

八甲田の南東約8km、蔦川の谷と多くの沼に近接した自然美の中にある。発見は約800年前ともいわれ、八甲田の温泉群では酸ヶ湯とともに歴史の古い温泉である。明治の文人大町桂月*が愛したことでも知られ、旅館の近くには墓碑が立ち、ブロンズの胸像もある。
 温泉は湯船の足元から湧き出る源泉湧き流しの湯で男女入れ替え制の「久安の湯」と男女別の「泉響の湯」がある。泉質は無色透明の芒硝泉。源泉は約45℃であるが湧き水による温度調整をしている。
 この温泉の開湯*は1147(久安3)年、既にこの地に湯治小屋があったと言われている。1897(明治30)年の頃から、湯治場として開湯し、1918(大正7)年現在もなお正面玄関・客室としてそのまま使われている木造二階建ての「本館」が完成した。1989(平成元)年に西本館を解体し鉄筋コンクリートに新築され現在に至っている。
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みどころ

付近一帯は十和田樹海とも呼ばれる深いブナ林で、朝夕の霧のかかったときの風情は樹林の奥深さを感じさせ、また紅葉の季節もみごとな景観である。付近には蔦の七沼があり朝夕の散策が心地よい。
 蔦温泉の風呂はいずれも源泉の上に浴槽があり、湯船の底板からブクブクと湧き出す空気に触れていない生の源泉で「源泉湧き流し」と謳っている、日本でも30ヶ所程度しかなく非常に希少である。泉響の湯は文豪・井上靖氏が来館した際、蔦温泉の雰囲気を「泉響颯颯」(せんきょうさつさつ=泉の響きが風の吹くように聞こえてくる、の意)と詠ったことからこの名称となったという。この浴室は浴槽から梁(はり)までの高さが最頂部で12 メートルもあり、入り口を開けたときその空間の大きさに感激する。旅館にはゆとりあるロビーやラウンジなど数多くの休憩スペースが設けられ、長期滞在者や訪日外客に心地よい憩いの場を提供しており人気の一端がうかがえる。
 大町桂月は、何度も長期滞留し、1925(大正14)年蔦温泉に本籍を移しその年に56歳の生涯を閉じた。それほどこの温泉にほれ込んでいた。墓前には辞世の句「極楽へ越(こ)ゆる峠の一休(ひとやす)み 蔦の出湯(いでゆ)に身をば清めて」が刻まれている。
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補足情報

*大町桂月:1869~1925年。明治大正時代の文人、旅行作家。旅と酒とをこよなく愛し後半生は、「行雲流水」や「日本の山水」などを刊行、紀行文家として名声を獲得した。
*蔦温泉の開湯:宝永年間(1704~1711年)という記述もある。
関連リンク 蔦温泉(WEBサイト)
参考文献 蔦温泉(WEBサイト)
八甲田山九湯会(WEBサイト)
『新版 日本温泉地域資産』日本温泉地域学会編

2023年10月現在

※交通アクセスや料金等に関する情報は、関連リンクをご覧ください。

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